2011-10-02(Sun)
アクションへの道(276)
1993年の事をふと思い出してしまったので書いておこうかと。
この年の事は以前もかなり書いていて、しかもあまり良い事は書いてないんですが…
今回も良い事は書きません(笑)
1993年は僕らにとって変革の年でした。
それまで僕が所属していたキャラクターショーチームは、ある意味『自由』というか、『好き勝手』というか、
う~ん…何て言うかな…
チームとしての枠を特に定めず、個人個人が自分の技量で勝負してる、みたいな…
そんな風潮だったんです。
なので、すごい人もそうでない人も、自分の引き出しだけでやっていけたんです。
ところがこの年、リーダーが改革を起こしました。
『チームとしての方向性』
という『枠』を作ったのです。
それはTVヒーローのクォリティを再現する為に必要な事だったし、プロのチームとしては本来『当たり前』の事でした。
しかしあまりに変化が急激だったので僕らはとまどってしまったのです。
『枠』というのは非常に厄介で、かつ重要なものです。
それまで自由にやってきた事がかなり制限されたりします。
苦手な事も求められたりします。
得意な事を封印されたりもします。
『自由にやればもっとすごい事がやれるのに!』
そんなジレンマに苦しみます。
でも、
『枠』がなければ成長しないんですよね。
やりたい事を、
やりたい分だけ、
やりたいようにやる、
これじゃ自分が鍛えられないんですよ。
この技を使ってくれ、
この技は使わないでくれ、
30秒の立ち回りに起承転結を入れてくれ、
戦闘員は新人だから簡単な立ち回りにしてやってくれ、
武器を使ってくれ、
等々…
色んな要望を突き付けられ、枠を作られる事で、自分の引き出しが広がるワケです。
立ち回りだけじゃないですね。
『台本書いたらショーが50分になっちゃいましたよ~(笑)』
なんて笑って済ませてる人は、削って削って30分の作品を作るべきだし(子供の集中力は30分も保たない)、
『ホントは5人編成30分のショーなのに、メンバーが集まらないから2人でミニショーしてきましたよ~』
なんて人は、どうにか3人集めて30分のショーをするべきなんです。
『そんなん各チームの自由だろ!』
って言われたらその通りなんで何の文句もありません。
1993年の僕らもリーダーに対してそう思ってました。
でも、数年後にようやく、
『それを乗り越えなきゃ成長しないんだな』
って気付きました。
細野不二彦先生の
『あどりぶシネ倶楽部』
ってマンガの中にこんなエピソードがあります。
自主映画サークルの監督が、3時間の作品を2時間に削るようにプロデューサーに命じられて悩むんです。
プロデューサーは
『プロの作品なら映画館の回転率も考えて2時間前後に押さえなければいけない』
って言うんですけど、監督は
『どのカットも苦労して撮ったから思い入れがあって切れない』
『プロの作品ならともかく、自主映画にそんな足枷は要らないんじゃないのか』
って反論するんです。
これ、
『枠なんて作らず自由にやった方が良いショーが出来るじゃん!』
って僕らの主張と同じですよね。
それに対しプロデューサーはこう言います。
『私たちが作ってるのは「映画」であって「映画の記録」じゃない。
そして1本の映画の中でワンカットのフィルムが生きて輝ける場所はおのずと限られていて・・・
その場所も与えられず、ただスクリーンにのせられただけのフィルムなんて不幸だと思わない?』
これは胸に響く台詞ですね。
自分がやりたい事が全て観客の中で輝くワケじゃない。
演者の主観ではそれをつい忘れがちになってしまう。
より良いショーを観客に提供する為に、リーダーは必要な『枠』を作ろうとしたのだと当時は気付きませんでした。
なので僕はよくリーダーに怒られていました。
リーダーといえども当時は20歳とか21歳ぐらいの若輩ですよ(先輩ですが僕とタメなんです)。
チームを率いてまとめていくのに苦労していた事は想像に難くなく、いつもピリピリと張り詰めた空気を漂わせていました。
後輩達はそのピリピリに萎縮してしまってます。
僕は場を和ませようと少しふざけてみたりしてリーダーの怒りを買っていたのです。
いま思えば、故意にピリピリを出してた部分もあるんでしょうね。
後輩達に緊張感を持たせる為に。
せっかくの緊張感を台無しにするもんだから僕は怒られてたんだと気付いたのはけっこう最近です(遅!)
無軌道だった我々に方向性を示そうと苦労していたリーダーの事を思うと、本当に申し訳なく思います。
しかし、ただ単にピリピリしてた部分もあったハズ。
ある日の練習でリーダーが
『武器を使った立ち回りをするからみんな武器を持て!』
と言いました。
みんなが剣を手に取りましたが本数が足りず、僕1人素手の状態に。
(あれ~っ、剣が足りないや!どうしよう!?)
僕は辺りを見回しました。
そこで目に入ったのは『キックミット』。
僕は閃きました。
(キックミットを腕に付ければ武器っぽいぞ!?)
ガントレットのイメージですね。
ヒーロー物の武器としてもよく使われるモチーフです。
(ガントレットなら剣を相手に防御が出来るしパンチが強そうだし、これはいける!)
僕は確信しました。
(そもそもリーダーは『武器』と言ったのであって『剣』とは言ってないし、みんなが剣殺陣してる中で1人だけガントレット殺陣をやったらインパクトあるぞ!)
僕は両腕にキックミットを装着しました。
(剣がなくても対応出来る!どうよ?俺の発想力!!)
ドヤ顔の僕にリーダーが言いました。
『内野ッ!それは何やぁッ!?ふざけとんかッ!!オマエは練習せんでいいッ!!』
僕の発想力はリーダーには通じなかったようです。
余裕がなかったリーダーが悪いのか、
普段ふざけてばっかりの僕が悪かったのか、
『若さゆえ』って事なのか…
18年前の想い出でした。
この年の事は以前もかなり書いていて、しかもあまり良い事は書いてないんですが…
今回も良い事は書きません(笑)
1993年は僕らにとって変革の年でした。
それまで僕が所属していたキャラクターショーチームは、ある意味『自由』というか、『好き勝手』というか、
う~ん…何て言うかな…
チームとしての枠を特に定めず、個人個人が自分の技量で勝負してる、みたいな…
そんな風潮だったんです。
なので、すごい人もそうでない人も、自分の引き出しだけでやっていけたんです。
ところがこの年、リーダーが改革を起こしました。
『チームとしての方向性』
という『枠』を作ったのです。
それはTVヒーローのクォリティを再現する為に必要な事だったし、プロのチームとしては本来『当たり前』の事でした。
しかしあまりに変化が急激だったので僕らはとまどってしまったのです。
『枠』というのは非常に厄介で、かつ重要なものです。
それまで自由にやってきた事がかなり制限されたりします。
苦手な事も求められたりします。
得意な事を封印されたりもします。
『自由にやればもっとすごい事がやれるのに!』
そんなジレンマに苦しみます。
でも、
『枠』がなければ成長しないんですよね。
やりたい事を、
やりたい分だけ、
やりたいようにやる、
これじゃ自分が鍛えられないんですよ。
この技を使ってくれ、
この技は使わないでくれ、
30秒の立ち回りに起承転結を入れてくれ、
戦闘員は新人だから簡単な立ち回りにしてやってくれ、
武器を使ってくれ、
等々…
色んな要望を突き付けられ、枠を作られる事で、自分の引き出しが広がるワケです。
立ち回りだけじゃないですね。
『台本書いたらショーが50分になっちゃいましたよ~(笑)』
なんて笑って済ませてる人は、削って削って30分の作品を作るべきだし(子供の集中力は30分も保たない)、
『ホントは5人編成30分のショーなのに、メンバーが集まらないから2人でミニショーしてきましたよ~』
なんて人は、どうにか3人集めて30分のショーをするべきなんです。
『そんなん各チームの自由だろ!』
って言われたらその通りなんで何の文句もありません。
1993年の僕らもリーダーに対してそう思ってました。
でも、数年後にようやく、
『それを乗り越えなきゃ成長しないんだな』
って気付きました。
細野不二彦先生の
『あどりぶシネ倶楽部』
ってマンガの中にこんなエピソードがあります。
自主映画サークルの監督が、3時間の作品を2時間に削るようにプロデューサーに命じられて悩むんです。
プロデューサーは
『プロの作品なら映画館の回転率も考えて2時間前後に押さえなければいけない』
って言うんですけど、監督は
『どのカットも苦労して撮ったから思い入れがあって切れない』
『プロの作品ならともかく、自主映画にそんな足枷は要らないんじゃないのか』
って反論するんです。
これ、
『枠なんて作らず自由にやった方が良いショーが出来るじゃん!』
って僕らの主張と同じですよね。
それに対しプロデューサーはこう言います。
『私たちが作ってるのは「映画」であって「映画の記録」じゃない。
そして1本の映画の中でワンカットのフィルムが生きて輝ける場所はおのずと限られていて・・・
その場所も与えられず、ただスクリーンにのせられただけのフィルムなんて不幸だと思わない?』
これは胸に響く台詞ですね。
自分がやりたい事が全て観客の中で輝くワケじゃない。
演者の主観ではそれをつい忘れがちになってしまう。
より良いショーを観客に提供する為に、リーダーは必要な『枠』を作ろうとしたのだと当時は気付きませんでした。
なので僕はよくリーダーに怒られていました。
リーダーといえども当時は20歳とか21歳ぐらいの若輩ですよ(先輩ですが僕とタメなんです)。
チームを率いてまとめていくのに苦労していた事は想像に難くなく、いつもピリピリと張り詰めた空気を漂わせていました。
後輩達はそのピリピリに萎縮してしまってます。
僕は場を和ませようと少しふざけてみたりしてリーダーの怒りを買っていたのです。
いま思えば、故意にピリピリを出してた部分もあるんでしょうね。
後輩達に緊張感を持たせる為に。
せっかくの緊張感を台無しにするもんだから僕は怒られてたんだと気付いたのはけっこう最近です(遅!)
無軌道だった我々に方向性を示そうと苦労していたリーダーの事を思うと、本当に申し訳なく思います。
しかし、ただ単にピリピリしてた部分もあったハズ。
ある日の練習でリーダーが
『武器を使った立ち回りをするからみんな武器を持て!』
と言いました。
みんなが剣を手に取りましたが本数が足りず、僕1人素手の状態に。
(あれ~っ、剣が足りないや!どうしよう!?)
僕は辺りを見回しました。
そこで目に入ったのは『キックミット』。
僕は閃きました。
(キックミットを腕に付ければ武器っぽいぞ!?)
ガントレットのイメージですね。
ヒーロー物の武器としてもよく使われるモチーフです。
(ガントレットなら剣を相手に防御が出来るしパンチが強そうだし、これはいける!)
僕は確信しました。
(そもそもリーダーは『武器』と言ったのであって『剣』とは言ってないし、みんなが剣殺陣してる中で1人だけガントレット殺陣をやったらインパクトあるぞ!)
僕は両腕にキックミットを装着しました。
(剣がなくても対応出来る!どうよ?俺の発想力!!)
ドヤ顔の僕にリーダーが言いました。
『内野ッ!それは何やぁッ!?ふざけとんかッ!!オマエは練習せんでいいッ!!』
僕の発想力はリーダーには通じなかったようです。
余裕がなかったリーダーが悪いのか、
普段ふざけてばっかりの僕が悪かったのか、
『若さゆえ』って事なのか…
18年前の想い出でした。
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