2011-08-10(Wed)
アクションへの道(247)
さてさて、
アクションへの道、
現在は2006年のエピソードの真っ只中。
2006年というと今から5年前。
5年という歳月を『長い』と思うか『短い』と思うかは人それぞれですが、ぼくの感覚では
『5年前なんて、ついこないだじゃん』
って感じです。
なので、この時期のエピソードに関しては生々しさが残っていて、書く事に躊躇があったりもします。
特に人間関係においては現在の僕に直接つながる人が多く、またそのほとんどが恩人である為、
『迂闊な事を書いて迷惑をかけたくない』
という思いがある事は否めません。
しかし、
それでもやっぱり書き続けなければならないと思ってます(誰も望んでないかもしれないけど)。
なのでここで、
ラストスパートに入る前にこれまでを振り返る意味も込めて、
この
『アクションへの道』
というシリーズについて考えてみたいと思います。
僕がこのシリーズを書こうと思ったのは、僕の
『ショーに対する熱い思い』
を残しておきたいと思ったからです。
熱い思いの中には、こだわりであるとか、哲学であるとか、方法論であるとか、色んなものが含まれているワケですが、単に
『俺はこう思う!』
という結果のみを語るのではなく、
『何故そう思うようになったのか』
『何を根拠にそう思うのか』
という過程を示していくべきだと考えました。
その為には、僕が見聞してきたもの、経験してきた事を紹介していくのがベストである、と、そう判断したワケです。
正直言って、このシリーズは『面白おかしく』書くつもりはありません。
誰かを批判したり、逆に媚びたりするつもりもありません。
全ての登場人物は、僕に『考えるきっかけ』をくれた人達として描いています。
エピソードによっては厳しく批判したり、激しく非難したりもありますが、それはあくまで、『僕が』『その時に』そう思ったというだけの事。
これも『アクションへの道』の1つのポイントです。
例えば、僕と社員さんの意見がぶつかって対立するエピソードがけっこうありますが、それも
『当時の僕の主観で書いてるが故』
という事が多々あります。
僕や同期の仲間達が会社を非難する時、常に
『正義は我らにあり』
と信じていました。
正しい事を言っているのは我々で、会社が間違っているのだと、“その時の”僕達は信じていたのです。
なので、当時の僕の主観でエピソードを書くと会社側が悪役になってしまいます。
しかしそこが終わりではありません。
それが『考えるきっかけ』なのです。
終わりどころかスタートなのです。
どういう事か?
『アクションへの道』は僕の成長の物語です。
経験を重ね、見聞を広める内に考え方が変わってきます。
後々になって思い返した時に、当時の社員さんの言動がようやく理解出来る事があるのです。
豊富な経験と知識を持つ先人が、たくさんのデータを元にして出した結論、
それを納得出来なかったのは、ひとえに僕ら若手の経験不足によるものだったと、後年になってようやく気付くのです。
先輩方が結論に至るまでの『式』を、データの蓄積が乏しい我々は読み解く事が出来なかったのだと。
他にも、
『俺達バイトは無責任にあーだこーだ言ってたけど、そりゃ社員の立場ならそうはいかないよなぁ』
なんてのも、後々になってようやく思い至った事です。
つまり、社員さんや先輩方、その他周りの人達との衝突は、
『自分の信じる正義は、必ずしも普遍的な正義ではない』
と僕が気付く為のエピソードとして書かれているのです。
これは自分に対する戒めや反省として書いているし、
当時の僕と同じように正義を主張して周囲とぶつかってしまう若き後輩達に向けたメッセージでもあるのです。
『立場や経験によって、考える式が変わってくるよ。
おのずと答えも違ってくるよ』
という事を若者達には知っていてほしいと思います。
まぁそれでも貫き通さなきゃいけない正義もあるんですけどね。
つづく
アクションへの道、
現在は2006年のエピソードの真っ只中。
2006年というと今から5年前。
5年という歳月を『長い』と思うか『短い』と思うかは人それぞれですが、ぼくの感覚では
『5年前なんて、ついこないだじゃん』
って感じです。
なので、この時期のエピソードに関しては生々しさが残っていて、書く事に躊躇があったりもします。
特に人間関係においては現在の僕に直接つながる人が多く、またそのほとんどが恩人である為、
『迂闊な事を書いて迷惑をかけたくない』
という思いがある事は否めません。
しかし、
それでもやっぱり書き続けなければならないと思ってます(誰も望んでないかもしれないけど)。
なのでここで、
ラストスパートに入る前にこれまでを振り返る意味も込めて、
この
『アクションへの道』
というシリーズについて考えてみたいと思います。
僕がこのシリーズを書こうと思ったのは、僕の
『ショーに対する熱い思い』
を残しておきたいと思ったからです。
熱い思いの中には、こだわりであるとか、哲学であるとか、方法論であるとか、色んなものが含まれているワケですが、単に
『俺はこう思う!』
という結果のみを語るのではなく、
『何故そう思うようになったのか』
『何を根拠にそう思うのか』
という過程を示していくべきだと考えました。
その為には、僕が見聞してきたもの、経験してきた事を紹介していくのがベストである、と、そう判断したワケです。
正直言って、このシリーズは『面白おかしく』書くつもりはありません。
誰かを批判したり、逆に媚びたりするつもりもありません。
全ての登場人物は、僕に『考えるきっかけ』をくれた人達として描いています。
エピソードによっては厳しく批判したり、激しく非難したりもありますが、それはあくまで、『僕が』『その時に』そう思ったというだけの事。
これも『アクションへの道』の1つのポイントです。
例えば、僕と社員さんの意見がぶつかって対立するエピソードがけっこうありますが、それも
『当時の僕の主観で書いてるが故』
という事が多々あります。
僕や同期の仲間達が会社を非難する時、常に
『正義は我らにあり』
と信じていました。
正しい事を言っているのは我々で、会社が間違っているのだと、“その時の”僕達は信じていたのです。
なので、当時の僕の主観でエピソードを書くと会社側が悪役になってしまいます。
しかしそこが終わりではありません。
それが『考えるきっかけ』なのです。
終わりどころかスタートなのです。
どういう事か?
『アクションへの道』は僕の成長の物語です。
経験を重ね、見聞を広める内に考え方が変わってきます。
後々になって思い返した時に、当時の社員さんの言動がようやく理解出来る事があるのです。
豊富な経験と知識を持つ先人が、たくさんのデータを元にして出した結論、
それを納得出来なかったのは、ひとえに僕ら若手の経験不足によるものだったと、後年になってようやく気付くのです。
先輩方が結論に至るまでの『式』を、データの蓄積が乏しい我々は読み解く事が出来なかったのだと。
他にも、
『俺達バイトは無責任にあーだこーだ言ってたけど、そりゃ社員の立場ならそうはいかないよなぁ』
なんてのも、後々になってようやく思い至った事です。
つまり、社員さんや先輩方、その他周りの人達との衝突は、
『自分の信じる正義は、必ずしも普遍的な正義ではない』
と僕が気付く為のエピソードとして書かれているのです。
これは自分に対する戒めや反省として書いているし、
当時の僕と同じように正義を主張して周囲とぶつかってしまう若き後輩達に向けたメッセージでもあるのです。
『立場や経験によって、考える式が変わってくるよ。
おのずと答えも違ってくるよ』
という事を若者達には知っていてほしいと思います。
まぁそれでも貫き通さなきゃいけない正義もあるんですけどね。
つづく
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