2011-06-28(Tue)
アクションへの道(218)
僕は『さやか見参!』の元になる企画を個人的に進め始めました。
一番最初に行なったのは、主人公のくのいち『山吹さやか』の衣裳を作る事でした。
『さやか見参!』の企画が次に動きを見せるのは2005年になりますので、そちらはまた後ほど…
しばらくは2003年~2005年の間で印象に残っているエピソードを紹介していきたいと思います。
その時期には僕の中で大きな出来事がありました。
それは
『ジャスティン坂本との出会い』
です。
2007年に創設メンバーとしてアトラクションチーム武装に参加してくれたジャスティン坂本ですが、出会い自体はかなり早かったのです。
この出会いについては今まで何度も書いてますが、今回も改めて…
僕が参加していたテレビ番組の忘年会での事、
僕はいつものように、大勢のスタッフ&出演者の中で、特に誰と話す事もなく片隅で座っておりました。
出演者のタレントさん達はプロデューサーさんやディレクターさん達と話してるし、撮影スタッフさん達はスタッフさん同士で飲んでたりします。
さて、僕の立ち位置はどこなんでしょう。
スタッフさん達の輪に入る事は出来ません。
キャラクターのアクターはは、どちらかと言うと出演者に近いのです。
では出演者の皆さんに混じればいいのでしょうか。
残念ながらそれも無理です。
番組の顔であるタレントさんとキャラクターのアクターは全く違うのです。
出演者と名乗っていいのはキャラクターの外見であって中身ではないのです。
そんなワケで僕はスタッフさんの輪にも出演者さんの中にも入れず、1人で座っていたのです。
そんな僕の所に、僕が話せる数少ないスタッフさんが来て言いました。
『内野さん、新しく入ったリポーター候補がいるんですけど、アメリカでアクションの修行をしてきたらしいですよ』
『えっ、アメリカで?それはすごいですね!』
『シ●ー・コ●ギって知ってます?』
『知ってます知ってます!もちろん知ってますよ!
忍者ブームの立て役者じゃないですか!』
『その人の弟子だったらしいですよ』
『それはホントにすごい!』
『話してみます?』
『話します話します!
是非お願いします!!』
しばらくして僕の所にやって来たのは腰の低いマッチョネス。
笑顔の素敵な男、それがジャスティン坂本だったのです。
一番最初に行なったのは、主人公のくのいち『山吹さやか』の衣裳を作る事でした。
『さやか見参!』の企画が次に動きを見せるのは2005年になりますので、そちらはまた後ほど…
しばらくは2003年~2005年の間で印象に残っているエピソードを紹介していきたいと思います。
その時期には僕の中で大きな出来事がありました。
それは
『ジャスティン坂本との出会い』
です。
2007年に創設メンバーとしてアトラクションチーム武装に参加してくれたジャスティン坂本ですが、出会い自体はかなり早かったのです。
この出会いについては今まで何度も書いてますが、今回も改めて…
僕が参加していたテレビ番組の忘年会での事、
僕はいつものように、大勢のスタッフ&出演者の中で、特に誰と話す事もなく片隅で座っておりました。
出演者のタレントさん達はプロデューサーさんやディレクターさん達と話してるし、撮影スタッフさん達はスタッフさん同士で飲んでたりします。
さて、僕の立ち位置はどこなんでしょう。
スタッフさん達の輪に入る事は出来ません。
キャラクターのアクターはは、どちらかと言うと出演者に近いのです。
では出演者の皆さんに混じればいいのでしょうか。
残念ながらそれも無理です。
番組の顔であるタレントさんとキャラクターのアクターは全く違うのです。
出演者と名乗っていいのはキャラクターの外見であって中身ではないのです。
そんなワケで僕はスタッフさんの輪にも出演者さんの中にも入れず、1人で座っていたのです。
そんな僕の所に、僕が話せる数少ないスタッフさんが来て言いました。
『内野さん、新しく入ったリポーター候補がいるんですけど、アメリカでアクションの修行をしてきたらしいですよ』
『えっ、アメリカで?それはすごいですね!』
『シ●ー・コ●ギって知ってます?』
『知ってます知ってます!もちろん知ってますよ!
忍者ブームの立て役者じゃないですか!』
『その人の弟子だったらしいですよ』
『それはホントにすごい!』
『話してみます?』
『話します話します!
是非お願いします!!』
しばらくして僕の所にやって来たのは腰の低いマッチョネス。
笑顔の素敵な男、それがジャスティン坂本だったのです。
スポンサーサイト