2011-04-18(Mon)
アクションへの道(177)
結婚から離婚に至るエピソードも終わった所で、本来の『アクションへの道』、2000年に戻りたいと思います。
今回ですね、
何度も書き直しながら全く筆が進んでないんですよ。
2000年は自分のモチベーションが中途半端過ぎて何を書いたらいいか分からないんです。
僕は1996年に現役を引退しました。
それからは自分のペースでショーに関わっていましたが、再び情熱に火がついたのが2000年なんです。
情熱には火がついてるんですがショーに積極的には関わろうとしなかった、
それが僕の2000年前半です。
なぜ積極的に関わろうとしなかったのか、
そこに僕の大きな欠点があります。
今回はそれを掘り下げてみましょう。
当時の僕の最大の欠点、それは
『他人を認めようとしないくせに自分を認めてもらいたがる』
という性格です。
僕は現役を引退してから2002年まで、後輩を認める事が出来ませんでした。
後輩のアクションにケチをつけ、
後輩が書いたシナリオにイチャモンをつけ、
『はぁ、オマエらまだまだ駄目だな』
みたいな顔をしていたのです。
もちろん後輩ですから至らない点だってあったでしょう。
しかし、それを貶めるのは先輩としてどうなんでしょう?
後輩を良くしてあげたいと思うならば導いてあげるのが先輩の役目ではないでしょうか。
少なくとも、自分にも同じような時代があったと自覚すれば、簡単に非難は出来ないハズなんです。
それを、
当時の僕は、導く事もせず、非難ばかりしていたのです。
どうしてそうだったのか、
後々理由が分かりました。
後輩を落とす事で、相対的に自分が上に立ちたかっただけなんです。
何の事はない、
『内野さんスゴいっスね!』
と褒められたかっただけなんです。
僕は、
自分が褒められたいばかりに後輩に文句ばかり言ってる最低な先輩だったんです。
無論その時はそれを正しいと思ってやっていました。
『ダメ出しされた部分を直せば良くなるんだから。
つまり俺は後輩の為を思って言ってるんだ』
そう思っていました。
『ダメ出しされて言う事を聞かない奴は向上心がない奴だ』
そうも思っていました。
だけど、後々考えると、それは自分をごまかす為の言い訳に過ぎませんでした。
この2000年から僕は再びショーに関わるようになるのですが、この根源的な欠点のせいで大変な失敗をする事になります。
それは2002年のエピソードまでお待ち下さい。
今回ですね、
何度も書き直しながら全く筆が進んでないんですよ。
2000年は自分のモチベーションが中途半端過ぎて何を書いたらいいか分からないんです。
僕は1996年に現役を引退しました。
それからは自分のペースでショーに関わっていましたが、再び情熱に火がついたのが2000年なんです。
情熱には火がついてるんですがショーに積極的には関わろうとしなかった、
それが僕の2000年前半です。
なぜ積極的に関わろうとしなかったのか、
そこに僕の大きな欠点があります。
今回はそれを掘り下げてみましょう。
当時の僕の最大の欠点、それは
『他人を認めようとしないくせに自分を認めてもらいたがる』
という性格です。
僕は現役を引退してから2002年まで、後輩を認める事が出来ませんでした。
後輩のアクションにケチをつけ、
後輩が書いたシナリオにイチャモンをつけ、
『はぁ、オマエらまだまだ駄目だな』
みたいな顔をしていたのです。
もちろん後輩ですから至らない点だってあったでしょう。
しかし、それを貶めるのは先輩としてどうなんでしょう?
後輩を良くしてあげたいと思うならば導いてあげるのが先輩の役目ではないでしょうか。
少なくとも、自分にも同じような時代があったと自覚すれば、簡単に非難は出来ないハズなんです。
それを、
当時の僕は、導く事もせず、非難ばかりしていたのです。
どうしてそうだったのか、
後々理由が分かりました。
後輩を落とす事で、相対的に自分が上に立ちたかっただけなんです。
何の事はない、
『内野さんスゴいっスね!』
と褒められたかっただけなんです。
僕は、
自分が褒められたいばかりに後輩に文句ばかり言ってる最低な先輩だったんです。
無論その時はそれを正しいと思ってやっていました。
『ダメ出しされた部分を直せば良くなるんだから。
つまり俺は後輩の為を思って言ってるんだ』
そう思っていました。
『ダメ出しされて言う事を聞かない奴は向上心がない奴だ』
そうも思っていました。
だけど、後々考えると、それは自分をごまかす為の言い訳に過ぎませんでした。
この2000年から僕は再びショーに関わるようになるのですが、この根源的な欠点のせいで大変な失敗をする事になります。
それは2002年のエピソードまでお待ち下さい。
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