2011-03-29(Tue)
小説・さやか見参!2(85)
最初さやかは、なぜ自分がこの山中に足を運んだのか分からなかった。
兄たけるに想いを馳せていたはずなのに、どうして憎きイバラキの―
荊木流の土地に来てしまったのか。
しかし横一文字に叩き斬られた女神の像を見た時に思い出したのである。
十年前。
叛乱を起こし姿を消していた荊木流が舞い戻った時。
荊木流が幻龍組と名を改めて要塞のような砦を築いた直後の事だった。
使者に立った虎組の雷牙がイバラキによって重傷を負わされた翌日、たけるはこの場所へさやかを連れてきた。
先ほどの心太郎のように、幼いさやかは訊いた。
『お兄ちゃん、この石はなに?きれいに斬られてる』
そして先ほどのさやかのように、兄は答えた。
『これはな、女神様の像だよ』
『女神様?これが?』
『今は足の部分しか残ってないから分からないよな。上半身を斬り落とされる前は美しい女神様の形をしてたんだよ』
『ふぅん…それなのにどうして斬られちゃったの?』
たけるはその問いには答えなかった。
『じゃあ、誰が女神様を斬ったの?』
たけるは視線を落として、しばし考えてから
『くちなわ殿だ』
と言った。
くちなわとはイバラキのかつての呼び名である。
『くちなわ、殿…』
さやかの中でくちなわは恐ろしい存在になりつつあった。
十二組を裏切り、かつての仲間を次々と手にかける非道の忍者。
それならばたかだか石像ごとき、神をも畏れず刃にかけたのだろう。
疑いもなくそう思った。
だが、たけるの言葉はそれをやんわりと否定した。
『この女神様はな、くちなわ殿にとって、本当に大切なものだったんだ』
声の奥に兄の悲痛を感じた気がしてさやかは黙った。
目をやると兄は無残な女神を見つめている。
『この女神様はあの人にとって、唯一の心の拠り所だったんだ』
たけるは鋭い斬り口にそっと手をあてた。
『この像にすがっていたからこそ、くちなわ殿は社会と繋がっていられた…』
必死に考えたが、さやかには何も理解出来なかった。
『この女神様だってただの石でしょ?どうしてこれがないと人と繋がれないの?』
納得いかないようだ。
『こんなのなくたってみんなと仲良くすればいいじゃない』
それを聞いてたけるは寂しげに微笑んだ。
『そうだな。そう出来れば良かったな』
『それにさ、そんなに大切なものならどうして斬っちゃったの?斬らなきゃ良かったじゃない』
正論だ。
『さやかの言う通りだよ。大切なものなら斬らなきゃいい』
『でしょ~?』
得意気なさやかを見て、たけるは笑った。
素直な妹が可愛くて仕方ない。
『なぁさやか』
突然呼ばれて、さやかは少し驚いた顔で見返す。
『なぁに?』
『さやかにも大切なものってあるか?』
『当たり前じゃない!たっくさんあるわよ』
両手を広げている。
たくさんを表現したのだろう。
『じゃあ、そのたくさんの中で一番大切なものってなんだ?』
さやかは考えもせず、当たり前に
『たける兄ちゃん』
と答えた。
『決まってるじゃない』
誇らしげな顔だ。
さやかにとってたけるという兄がいる事は換え難い誇りなのである。
『そうか。ありがとうな』
たけるは妹の頭を撫でた。
そして
『さやかは俺を斬れるか?』
と訊いた。
さやかは戸惑う。
『え…?』
『斬れるか?俺を。この像みたいに真っ二つに』
しばらく呆然としていたさやかの瞳に涙が溢れた。
『なんで!?なんでお兄ちゃんを斬らなきゃいけないの!?』
妹は泣きながら兄にしがみつく。
『斬れるわけないじゃない!大切なのに!大好きなのに斬れるわけないじゃない!!』
そう叫んで大声で泣いた。
たけるはさやかが落ち着くまで、ただ黙って抱き締めた。
光が差している。
湿気の多い土壌が生み出すもやに樹々の陰影が映し出される。
かすかな風が葉を散らした。
『ごめんなさやか』
たけるは詫びた。
こうなる事が分かっていて訊いたのだ。
『でもな、知っていてほしかったんだ』
さやかはしゃくりあげながらたけるの顔を見る。
『大切なものは、大好きなものは斬れない。…でも、くちなわ殿は斬った。…斬らずにいられなかった…』
『…』
『その時のくちなわ殿の心を…大切なものを斬らねばならなかった者の心を、おまえには知っていてほしいんだ』
その言葉は届いたのか届かなかったのか、さやかはもう一度涙を溢れさせた。
『私、お兄ちゃんを斬りたくないよぅ…お兄ちゃんがいなくなったら嫌だよぅ…』
たけるは一言、
『大丈夫だよ』
と言ってさやかに笑いかけた。
兄たけるに想いを馳せていたはずなのに、どうして憎きイバラキの―
荊木流の土地に来てしまったのか。
しかし横一文字に叩き斬られた女神の像を見た時に思い出したのである。
十年前。
叛乱を起こし姿を消していた荊木流が舞い戻った時。
荊木流が幻龍組と名を改めて要塞のような砦を築いた直後の事だった。
使者に立った虎組の雷牙がイバラキによって重傷を負わされた翌日、たけるはこの場所へさやかを連れてきた。
先ほどの心太郎のように、幼いさやかは訊いた。
『お兄ちゃん、この石はなに?きれいに斬られてる』
そして先ほどのさやかのように、兄は答えた。
『これはな、女神様の像だよ』
『女神様?これが?』
『今は足の部分しか残ってないから分からないよな。上半身を斬り落とされる前は美しい女神様の形をしてたんだよ』
『ふぅん…それなのにどうして斬られちゃったの?』
たけるはその問いには答えなかった。
『じゃあ、誰が女神様を斬ったの?』
たけるは視線を落として、しばし考えてから
『くちなわ殿だ』
と言った。
くちなわとはイバラキのかつての呼び名である。
『くちなわ、殿…』
さやかの中でくちなわは恐ろしい存在になりつつあった。
十二組を裏切り、かつての仲間を次々と手にかける非道の忍者。
それならばたかだか石像ごとき、神をも畏れず刃にかけたのだろう。
疑いもなくそう思った。
だが、たけるの言葉はそれをやんわりと否定した。
『この女神様はな、くちなわ殿にとって、本当に大切なものだったんだ』
声の奥に兄の悲痛を感じた気がしてさやかは黙った。
目をやると兄は無残な女神を見つめている。
『この女神様はあの人にとって、唯一の心の拠り所だったんだ』
たけるは鋭い斬り口にそっと手をあてた。
『この像にすがっていたからこそ、くちなわ殿は社会と繋がっていられた…』
必死に考えたが、さやかには何も理解出来なかった。
『この女神様だってただの石でしょ?どうしてこれがないと人と繋がれないの?』
納得いかないようだ。
『こんなのなくたってみんなと仲良くすればいいじゃない』
それを聞いてたけるは寂しげに微笑んだ。
『そうだな。そう出来れば良かったな』
『それにさ、そんなに大切なものならどうして斬っちゃったの?斬らなきゃ良かったじゃない』
正論だ。
『さやかの言う通りだよ。大切なものなら斬らなきゃいい』
『でしょ~?』
得意気なさやかを見て、たけるは笑った。
素直な妹が可愛くて仕方ない。
『なぁさやか』
突然呼ばれて、さやかは少し驚いた顔で見返す。
『なぁに?』
『さやかにも大切なものってあるか?』
『当たり前じゃない!たっくさんあるわよ』
両手を広げている。
たくさんを表現したのだろう。
『じゃあ、そのたくさんの中で一番大切なものってなんだ?』
さやかは考えもせず、当たり前に
『たける兄ちゃん』
と答えた。
『決まってるじゃない』
誇らしげな顔だ。
さやかにとってたけるという兄がいる事は換え難い誇りなのである。
『そうか。ありがとうな』
たけるは妹の頭を撫でた。
そして
『さやかは俺を斬れるか?』
と訊いた。
さやかは戸惑う。
『え…?』
『斬れるか?俺を。この像みたいに真っ二つに』
しばらく呆然としていたさやかの瞳に涙が溢れた。
『なんで!?なんでお兄ちゃんを斬らなきゃいけないの!?』
妹は泣きながら兄にしがみつく。
『斬れるわけないじゃない!大切なのに!大好きなのに斬れるわけないじゃない!!』
そう叫んで大声で泣いた。
たけるはさやかが落ち着くまで、ただ黙って抱き締めた。
光が差している。
湿気の多い土壌が生み出すもやに樹々の陰影が映し出される。
かすかな風が葉を散らした。
『ごめんなさやか』
たけるは詫びた。
こうなる事が分かっていて訊いたのだ。
『でもな、知っていてほしかったんだ』
さやかはしゃくりあげながらたけるの顔を見る。
『大切なものは、大好きなものは斬れない。…でも、くちなわ殿は斬った。…斬らずにいられなかった…』
『…』
『その時のくちなわ殿の心を…大切なものを斬らねばならなかった者の心を、おまえには知っていてほしいんだ』
その言葉は届いたのか届かなかったのか、さやかはもう一度涙を溢れさせた。
『私、お兄ちゃんを斬りたくないよぅ…お兄ちゃんがいなくなったら嫌だよぅ…』
たけるは一言、
『大丈夫だよ』
と言ってさやかに笑いかけた。
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