2011-03-15(Tue)
三つ巴
僕はキャラクターショーが好きです。
そして僕にとってキャラクターショーは仕事です。
好きな事が仕事になった場合、ある三つ巴に悩む事が出てきます。
それは、
「やれる事」
「やりたい事」
「やるべき事」
という3つのせめぎあいです。
「やれる事」とは、現実的に実現する能力が伴っている事柄。
「やりたい事」とは、やれるかやれないかはさておいて自身の希望的な事柄。
「やるべき事」とは、やりたいかやりたくないかに関わらず、仕事として欠かせない事柄です。
キャラクターショーに限った話ではありませんが、仕事として最も大切なのは「やるべき事」です。
仕事を仕事たらしめているのはまさにこの部分なのです。
やりにくかろうが楽しくなかろうが「必要だから」やる。
この精神をなくしたらショーはただの自己満足になってしまいます。
「やりたい事」「やれる事」ばかりで構成されたショーは目も当てられないです。
しかし、「やるべき事」だけで構成されたショーは演者のテンションが上がりません。
やりたい事もやれず、「仕事だから決められた事だけをやれ」と言われるのではステージに立つ意味などないのです。
だから制作サイドは「やるべき事」の範疇からはみ出さないギリギリのラインまで演者のやりたい事を盛り込もうとします。
このバランスが非常に大切で、そして非常に難しいのです。
時々キャストから
「もっとこうしたいのに」
「こんな事しなきゃいいのに」
なんて言われますが、実はそんな駆け引きの末にショーは作られてるんですよ(ちゃんとしたショーはね)。
しかし、
「やりたい事」も「やるべき事」も、結局は「やれる事」の中でやるしかないんですよ。
アクターが動けなかったら「やりたい事」も「やるべき事」もやれません。
「やるべき事」と「やりたい事」をキチンと構成出来るシナリオライターがいなければ何も形になりません。
スキルがあって初めて「キチンとしたショー」は成り立つのです。
だから結局は
『ショーに関わる人間は、腕を磨いて「やれる事」を増やしましょう』
って所に落ち着いてしまうんですよね。
そして僕にとってキャラクターショーは仕事です。
好きな事が仕事になった場合、ある三つ巴に悩む事が出てきます。
それは、
「やれる事」
「やりたい事」
「やるべき事」
という3つのせめぎあいです。
「やれる事」とは、現実的に実現する能力が伴っている事柄。
「やりたい事」とは、やれるかやれないかはさておいて自身の希望的な事柄。
「やるべき事」とは、やりたいかやりたくないかに関わらず、仕事として欠かせない事柄です。
キャラクターショーに限った話ではありませんが、仕事として最も大切なのは「やるべき事」です。
仕事を仕事たらしめているのはまさにこの部分なのです。
やりにくかろうが楽しくなかろうが「必要だから」やる。
この精神をなくしたらショーはただの自己満足になってしまいます。
「やりたい事」「やれる事」ばかりで構成されたショーは目も当てられないです。
しかし、「やるべき事」だけで構成されたショーは演者のテンションが上がりません。
やりたい事もやれず、「仕事だから決められた事だけをやれ」と言われるのではステージに立つ意味などないのです。
だから制作サイドは「やるべき事」の範疇からはみ出さないギリギリのラインまで演者のやりたい事を盛り込もうとします。
このバランスが非常に大切で、そして非常に難しいのです。
時々キャストから
「もっとこうしたいのに」
「こんな事しなきゃいいのに」
なんて言われますが、実はそんな駆け引きの末にショーは作られてるんですよ(ちゃんとしたショーはね)。
しかし、
「やりたい事」も「やるべき事」も、結局は「やれる事」の中でやるしかないんですよ。
アクターが動けなかったら「やりたい事」も「やるべき事」もやれません。
「やるべき事」と「やりたい事」をキチンと構成出来るシナリオライターがいなければ何も形になりません。
スキルがあって初めて「キチンとしたショー」は成り立つのです。
だから結局は
『ショーに関わる人間は、腕を磨いて「やれる事」を増やしましょう』
って所に落ち着いてしまうんですよね。
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