2011-02-03(Thu)
小説・さやか見参!2(74)
祠に辿り着いたさやかの目に、沼を前にして立つ心太郎の後ろ姿が映った。
鬼が現われる場所を見ているだけなのか、さやかに愛想を尽かして背を向けているのか、それは分からない。
さやかは複雑な想いでここまで来た。
今まで隠してきた心情を吐露してしまった事に動揺していたのだ。
正直な所、溜め込んだ気持ちを吐き出してほっとした部分もある。
しかし一方で、この気持ちは自分の中にとどめておくべきであった、という思いもある。
弱みをさらけ出すなど忍者にあるまじき行為だ。
ましてや相手は幼い弟子なのである。
言って良かった、という気持ちと、言わなきゃ良かった、という気持ちがさやかの中で入り交じっていた。
『心太郎…』
呼んでみる。
その後の言葉は思い浮かばない。
それでも申し訳ない気持ちやバツの悪さで呼びかけずにいられなかったのである。
しかし心太郎はすぐには振り向かなかった。
(あぁ…やっぱり怒ってるんだ…当たり前か。呆れられて当然だよね…)
さやかは少しだけ悲しげな顔をした。
しかし実は、心太郎も複雑な心境だったのである。
心太郎にとってさやかは師匠だ。
技だけでなく、その志まで尊敬に値する師なのだ。
そのさやかが内面にあんな闇を抱えていたなんて。
己の宿命や使命を誤るほど、精神も肉体も蝕まれていたなんて。
弟子にとってそれは落胆するに相応しい真実であった。
実際そんなさやかに激しい憤りを覚えた。
しかし一方で、
さやかが自分だけに弱味を見せてくれた
という感動があった事も否めないのである。
山吹の忍びで先ほどの話を聞いた者はいないだろう。
さやかの性格では、兄代わりの雷牙にも話してはいまい。
さやかは並々ならぬ強い自尊心を持っている。
心の深部は絶対に見せないはずだ。
それが、
自分には見せてくれた。
師匠としてではなく一人の人間として。
そうか…
心太郎は気付く。
たけるが死んでからの十年、さやかは強がる事でどうにか生き長らえてきたのだ。
山吹の次期後継者という重責を負い、復讐という炎を秘めて、兄との約束を杖にして必死に歩いていたのだ。
心太郎は改めて誓っていた。
自分がさやかを守る、と。
今のさやかは道を外しかけている。
ならば現在の過ちに気付き正しい道を歩き出すまで、命にかけてもさやかを守ろう。
自分に何が出来るか分からない。
しかし、さやかの心だけは自分が守り抜こう。
心太郎はそう思った。
さて、
そうと決まったならどう振り向くべきか、
何を話すべきかが難しい。
怒って飛び出した自分もバツが悪い。
弱音を吐いたさやかも気まずいだろう。
ここはもう、何もなかったように振る舞おう。
心太郎はくるりと振り返って、情けない表情で言った。
『…さやか殿~、暗くて怖いしお腹減ったし、早く帰りたいっシュ~』
予想外の反応にさやかは一瞬ぽかんとした。
しかし、その言葉に含まれた想いを、さやかはすぐに理解した。
さやかが少しだけ微笑んだように見えた。
『もう~!あんたってば本当に役立たずの駄目駄目三流忍者ね!』
怒った口調でそう言いながら心太郎に近付き、げんこつで軽く額を叩いた。
『痛いっシュ!』
本当は痛くない額を押さえて心太郎もかすかに笑った。
一瞬お互いの瞳を見合ってから、二人は同時に暗闇に視線を転じる。
さやかの表情に迷いはない。
心太郎の表情に恐れはない。
それはまさしく、任務に向かう忍びの顔であった。
『心太郎、さっさと鬼の正体を暴いて帰るわよ!』
『はいっシュ』
しばしの静寂。
やがて
二人の視線の先、沼の上にちろちろと炎が点った。
さやかと心太郎が身構える。
炎に照らされ、鈍色の異形がじわじわと姿を現す。
真っ赤に光る四つの眼、四本の角、宙に浮かぶ蛇の絡み付いた左腕。
だが、さやかと心太郎は動じなかった。
二人は互いに、昨夜にはなかった心強さを感じていた。
『心太郎!いくわよ!』
『はいっシュ!』
山吹の師弟は跳んだ。
今の我らにとって、鬼ごとき恐るるに足らず。
鬼が現われる場所を見ているだけなのか、さやかに愛想を尽かして背を向けているのか、それは分からない。
さやかは複雑な想いでここまで来た。
今まで隠してきた心情を吐露してしまった事に動揺していたのだ。
正直な所、溜め込んだ気持ちを吐き出してほっとした部分もある。
しかし一方で、この気持ちは自分の中にとどめておくべきであった、という思いもある。
弱みをさらけ出すなど忍者にあるまじき行為だ。
ましてや相手は幼い弟子なのである。
言って良かった、という気持ちと、言わなきゃ良かった、という気持ちがさやかの中で入り交じっていた。
『心太郎…』
呼んでみる。
その後の言葉は思い浮かばない。
それでも申し訳ない気持ちやバツの悪さで呼びかけずにいられなかったのである。
しかし心太郎はすぐには振り向かなかった。
(あぁ…やっぱり怒ってるんだ…当たり前か。呆れられて当然だよね…)
さやかは少しだけ悲しげな顔をした。
しかし実は、心太郎も複雑な心境だったのである。
心太郎にとってさやかは師匠だ。
技だけでなく、その志まで尊敬に値する師なのだ。
そのさやかが内面にあんな闇を抱えていたなんて。
己の宿命や使命を誤るほど、精神も肉体も蝕まれていたなんて。
弟子にとってそれは落胆するに相応しい真実であった。
実際そんなさやかに激しい憤りを覚えた。
しかし一方で、
さやかが自分だけに弱味を見せてくれた
という感動があった事も否めないのである。
山吹の忍びで先ほどの話を聞いた者はいないだろう。
さやかの性格では、兄代わりの雷牙にも話してはいまい。
さやかは並々ならぬ強い自尊心を持っている。
心の深部は絶対に見せないはずだ。
それが、
自分には見せてくれた。
師匠としてではなく一人の人間として。
そうか…
心太郎は気付く。
たけるが死んでからの十年、さやかは強がる事でどうにか生き長らえてきたのだ。
山吹の次期後継者という重責を負い、復讐という炎を秘めて、兄との約束を杖にして必死に歩いていたのだ。
心太郎は改めて誓っていた。
自分がさやかを守る、と。
今のさやかは道を外しかけている。
ならば現在の過ちに気付き正しい道を歩き出すまで、命にかけてもさやかを守ろう。
自分に何が出来るか分からない。
しかし、さやかの心だけは自分が守り抜こう。
心太郎はそう思った。
さて、
そうと決まったならどう振り向くべきか、
何を話すべきかが難しい。
怒って飛び出した自分もバツが悪い。
弱音を吐いたさやかも気まずいだろう。
ここはもう、何もなかったように振る舞おう。
心太郎はくるりと振り返って、情けない表情で言った。
『…さやか殿~、暗くて怖いしお腹減ったし、早く帰りたいっシュ~』
予想外の反応にさやかは一瞬ぽかんとした。
しかし、その言葉に含まれた想いを、さやかはすぐに理解した。
さやかが少しだけ微笑んだように見えた。
『もう~!あんたってば本当に役立たずの駄目駄目三流忍者ね!』
怒った口調でそう言いながら心太郎に近付き、げんこつで軽く額を叩いた。
『痛いっシュ!』
本当は痛くない額を押さえて心太郎もかすかに笑った。
一瞬お互いの瞳を見合ってから、二人は同時に暗闇に視線を転じる。
さやかの表情に迷いはない。
心太郎の表情に恐れはない。
それはまさしく、任務に向かう忍びの顔であった。
『心太郎、さっさと鬼の正体を暴いて帰るわよ!』
『はいっシュ』
しばしの静寂。
やがて
二人の視線の先、沼の上にちろちろと炎が点った。
さやかと心太郎が身構える。
炎に照らされ、鈍色の異形がじわじわと姿を現す。
真っ赤に光る四つの眼、四本の角、宙に浮かぶ蛇の絡み付いた左腕。
だが、さやかと心太郎は動じなかった。
二人は互いに、昨夜にはなかった心強さを感じていた。
『心太郎!いくわよ!』
『はいっシュ!』
山吹の師弟は跳んだ。
今の我らにとって、鬼ごとき恐るるに足らず。
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