2010-12-08(Wed)
小説・さやか見参!(29)
くちなわが勢い良く戸を開けると、かがちがビクッとして手に持っていた巻き物を何本か落とした。
『く…ちなわ…』
『驚かせて申し訳ありませんな母上。しかしもうお身体の具合いも良い様子。安心いたしましたぞ。
何やら調べ物でございますか?』
二人がいるのは屋敷の奥にある書庫である。
ここにあるのはほとんどが荊木の薬学医術に関する巻き物だ。
『どれ、私も手伝いましょう』
『い、いや』
『その辺りの巻き物は毒物に関する物ですな』
『…』
『母上も水臭い。調べずとも私に訊いて下されば、全て頭に入っておりますのに…毒薬も…解毒薬も』
かがちは手にしていた巻き物をいそいそと棚に戻すと、落とした巻き物も拾った。
『別に何を調べてたワケでもないさ。ちょっと整理してただけだよ』
『うか殿は死にましたぞ』
唐突なくちなわの言葉に、かがちは一瞬不思議そうな顔をした。
『いや、正確には、うか殿に成り済ました一角衆の間者は成敗いたしました、と言うべきか』
不思議そうな顔のまま、かがちの唇がわなわなと震える。
『くちなわっ!おまえっ!』
言うが早いか瞬時に抜いた懐刀をくちなわの胸に突き出している。
老女とは思えぬ敏捷さ。
やはりかつては名うてのくのいちだったのだろう。
しかし―
かがちの右手が勢い良く撥ね上げられ、かがちは後ろの壁に背中から叩きつけられた。
吹っ飛んだ懐刀が天井に刺さる。
かがちは右手を上げたまま壁に張り付いていた。
くちなわの放ったくないが、かがちの掌を貫き、壁に串刺しにしていたのだ。
張り付けになったままかがちが絶叫する。
『くちなわぁっ!おまえはぁっ!』
くちなわはその雄叫びが聞こえぬかのように平然と語る。
『いけませぬなぁ母上。いかにかつて手練れだったとはいえ寄る年波には勝てますまい。ご自愛を』
『おまえは息子をっ!うかをっ!!』
『あのうか殿は偽者。一角衆の間者であったと申し上げたはず』
『そんなはずあるもんか!あれはうかに違いないよ!自分の息子を分からない母親なんていないよ!!』
『弱りましたな…』
この狂乱ぶりは毒のせいか、それとも母心とはこういうものなのか…
『おまえは!頭領の座を奪われたくないばかりにうかを殺したんだね!』
『それは違いますぞ。あれが本物なら…ミズチ様の血を継いだうか殿ならば、頭領を任せる事もやぶさかではなかった…』
それはくちなわの本心であった。
だがその心は今のかがちには通じない。
『嘘をつくんじゃないよ!…荊木の頭領に相応しいのはうかの方だったのに!それをっ!!』
かがちは右手を貫いているくないを左で抜こうとした。
途端、左手も撥ね上がり、右と同じく壁に串刺しとなった。
くちなわは怒っているのか悲しんでいるのか、はたまた呆れているのか分からぬような低い声でつぶやく。
『先ほどから、頭領の座にこだわりますなぁ…』
そのまま刀をすらりと抜く。
『以前、母上に言われた言葉が身に沁みますぞ』
刀をぶらりと下げ、うつむいたまま独り言のように語り続ける。
『肩書きや地位にしがみついてはいけない。そう言われましたな』
ついとかがちに近付く。
かがちの顔が恐怖に歪んだ。
『…執着は心を汚して身を滅ぼす、そうも申されましたな』
上目遣いにかがちを睨んだくちなわの目はまるで、亡者を責め立てる地獄の鬼のような凶暴さをはらんでいた。
それを見て、
『この男を敵に回すべきではなかった』
と考える暇もなく、かがちの胴体は両手同様に串刺しにされていた。
かがちはもう動かない。
くちなわは、
顔を上げず、振り向かず、
黙って書庫を出た。
振り向けるはずがない。
己が壁に貼り付けたのは、自分を数十年育ててくれた母親なのだから。
『く…ちなわ…』
『驚かせて申し訳ありませんな母上。しかしもうお身体の具合いも良い様子。安心いたしましたぞ。
何やら調べ物でございますか?』
二人がいるのは屋敷の奥にある書庫である。
ここにあるのはほとんどが荊木の薬学医術に関する巻き物だ。
『どれ、私も手伝いましょう』
『い、いや』
『その辺りの巻き物は毒物に関する物ですな』
『…』
『母上も水臭い。調べずとも私に訊いて下されば、全て頭に入っておりますのに…毒薬も…解毒薬も』
かがちは手にしていた巻き物をいそいそと棚に戻すと、落とした巻き物も拾った。
『別に何を調べてたワケでもないさ。ちょっと整理してただけだよ』
『うか殿は死にましたぞ』
唐突なくちなわの言葉に、かがちは一瞬不思議そうな顔をした。
『いや、正確には、うか殿に成り済ました一角衆の間者は成敗いたしました、と言うべきか』
不思議そうな顔のまま、かがちの唇がわなわなと震える。
『くちなわっ!おまえっ!』
言うが早いか瞬時に抜いた懐刀をくちなわの胸に突き出している。
老女とは思えぬ敏捷さ。
やはりかつては名うてのくのいちだったのだろう。
しかし―
かがちの右手が勢い良く撥ね上げられ、かがちは後ろの壁に背中から叩きつけられた。
吹っ飛んだ懐刀が天井に刺さる。
かがちは右手を上げたまま壁に張り付いていた。
くちなわの放ったくないが、かがちの掌を貫き、壁に串刺しにしていたのだ。
張り付けになったままかがちが絶叫する。
『くちなわぁっ!おまえはぁっ!』
くちなわはその雄叫びが聞こえぬかのように平然と語る。
『いけませぬなぁ母上。いかにかつて手練れだったとはいえ寄る年波には勝てますまい。ご自愛を』
『おまえは息子をっ!うかをっ!!』
『あのうか殿は偽者。一角衆の間者であったと申し上げたはず』
『そんなはずあるもんか!あれはうかに違いないよ!自分の息子を分からない母親なんていないよ!!』
『弱りましたな…』
この狂乱ぶりは毒のせいか、それとも母心とはこういうものなのか…
『おまえは!頭領の座を奪われたくないばかりにうかを殺したんだね!』
『それは違いますぞ。あれが本物なら…ミズチ様の血を継いだうか殿ならば、頭領を任せる事もやぶさかではなかった…』
それはくちなわの本心であった。
だがその心は今のかがちには通じない。
『嘘をつくんじゃないよ!…荊木の頭領に相応しいのはうかの方だったのに!それをっ!!』
かがちは右手を貫いているくないを左で抜こうとした。
途端、左手も撥ね上がり、右と同じく壁に串刺しとなった。
くちなわは怒っているのか悲しんでいるのか、はたまた呆れているのか分からぬような低い声でつぶやく。
『先ほどから、頭領の座にこだわりますなぁ…』
そのまま刀をすらりと抜く。
『以前、母上に言われた言葉が身に沁みますぞ』
刀をぶらりと下げ、うつむいたまま独り言のように語り続ける。
『肩書きや地位にしがみついてはいけない。そう言われましたな』
ついとかがちに近付く。
かがちの顔が恐怖に歪んだ。
『…執着は心を汚して身を滅ぼす、そうも申されましたな』
上目遣いにかがちを睨んだくちなわの目はまるで、亡者を責め立てる地獄の鬼のような凶暴さをはらんでいた。
それを見て、
『この男を敵に回すべきではなかった』
と考える暇もなく、かがちの胴体は両手同様に串刺しにされていた。
かがちはもう動かない。
くちなわは、
顔を上げず、振り向かず、
黙って書庫を出た。
振り向けるはずがない。
己が壁に貼り付けたのは、自分を数十年育ててくれた母親なのだから。
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