2010-12-03(Fri)
小説・さやか見参!(25)
乾いた風がミズチの屋敷を通り抜けた。
湿地を選んで築かれた荊木の砦にしては珍しい風である。
屋敷では、かがちとうかが母子水入らずの朝食の最中だ。
かがちは穏やかな顔をしている。
先日までの『頭領の妻』の顔ではない。
家庭的な幸せを味わっている『母親』の表情である。
かがちは箸を置くと、母の顔のままでつぶやいた。
『うか、そろそろ一角衆に対して動かなければいけないね』
『しかし母上、ここ数日、頭領の姿を見ておりませぬ。くちなわ殿の命なくして我らが動くわけには参りませんぞ』
『まったくあの子ったら…この大事な時期に何をしてるんだか…』
かがちはさして気にも止めていないようにつぶやく。
『くちなわ殿の住まい、もぬけの殻でござったが…夜具も床板も血糊がべったりと染み付いておりましたぞ。もしや…』
『あの子も荊木を束ねようかってほどの忍びだ。きっと心配には及ばないよ』
『しかし…』
『もしかすると、うか、おまえに頭領の座を譲るつもりかもしれないねぇ。だから姿をくらましたのかもしれないよ』
かがちの言葉はどこか芝居めいている。
『まさかそのような』
『いや、確かあの子は言ってたよ。荊木の跡を託すなら、ミズチ様の血筋が相応しい、とか何とかね』
素っ気なく言葉を紡ぐ。
しかしその言葉の余韻が消える前に野太い声が響いた。
『ほう、初耳でございますな』
これにはさすがのかがちも一瞬硬直した。
かがちとうかが同時に声の方に顔を向けると…
勢いよく戸が開いた。
『くちなわ…』
かがちが声を震わせる。
そこに立っていたのは、
数日前とは変わり果てたくちなわの姿であった。
痩せこけてくぼんだ頬、
落ち込んでぎょろりと見える眼、
無精髭、
口の周りには吐血の跡も生々しい。
顔色は青白く、
乱れた髪が風貌を更に悲愴なものにしていた。
『く、くちなわ、おまえ』
『どうしました母上、狐狸妖怪を見るような眼で』
穏やかに話しながらいつもの位置に―
かがちの隣りに腰をおろす。
顔色の悪いくちなわよりも、かがちの方が青ざめて見える。
くちなわはかがちの前の、空になった膳を見て
『私もいただきますかな』
と言うと屋敷の奥に声をかけた。
しばらくして一人前の膳がくちなわの前に運ばれてきた。
『あぁ、久しぶりの飯だ』
茶碗と箸を手に取る。
しかし口に入れる気配はない。
『恥ずかしながら、しばらく食あたりで苦しんでおりましてな。』
くちなわはにこやかにかがちを見た。
かがちは―
決して目を合わせようとしなかった。
湿地を選んで築かれた荊木の砦にしては珍しい風である。
屋敷では、かがちとうかが母子水入らずの朝食の最中だ。
かがちは穏やかな顔をしている。
先日までの『頭領の妻』の顔ではない。
家庭的な幸せを味わっている『母親』の表情である。
かがちは箸を置くと、母の顔のままでつぶやいた。
『うか、そろそろ一角衆に対して動かなければいけないね』
『しかし母上、ここ数日、頭領の姿を見ておりませぬ。くちなわ殿の命なくして我らが動くわけには参りませんぞ』
『まったくあの子ったら…この大事な時期に何をしてるんだか…』
かがちはさして気にも止めていないようにつぶやく。
『くちなわ殿の住まい、もぬけの殻でござったが…夜具も床板も血糊がべったりと染み付いておりましたぞ。もしや…』
『あの子も荊木を束ねようかってほどの忍びだ。きっと心配には及ばないよ』
『しかし…』
『もしかすると、うか、おまえに頭領の座を譲るつもりかもしれないねぇ。だから姿をくらましたのかもしれないよ』
かがちの言葉はどこか芝居めいている。
『まさかそのような』
『いや、確かあの子は言ってたよ。荊木の跡を託すなら、ミズチ様の血筋が相応しい、とか何とかね』
素っ気なく言葉を紡ぐ。
しかしその言葉の余韻が消える前に野太い声が響いた。
『ほう、初耳でございますな』
これにはさすがのかがちも一瞬硬直した。
かがちとうかが同時に声の方に顔を向けると…
勢いよく戸が開いた。
『くちなわ…』
かがちが声を震わせる。
そこに立っていたのは、
数日前とは変わり果てたくちなわの姿であった。
痩せこけてくぼんだ頬、
落ち込んでぎょろりと見える眼、
無精髭、
口の周りには吐血の跡も生々しい。
顔色は青白く、
乱れた髪が風貌を更に悲愴なものにしていた。
『く、くちなわ、おまえ』
『どうしました母上、狐狸妖怪を見るような眼で』
穏やかに話しながらいつもの位置に―
かがちの隣りに腰をおろす。
顔色の悪いくちなわよりも、かがちの方が青ざめて見える。
くちなわはかがちの前の、空になった膳を見て
『私もいただきますかな』
と言うと屋敷の奥に声をかけた。
しばらくして一人前の膳がくちなわの前に運ばれてきた。
『あぁ、久しぶりの飯だ』
茶碗と箸を手に取る。
しかし口に入れる気配はない。
『恥ずかしながら、しばらく食あたりで苦しんでおりましてな。』
くちなわはにこやかにかがちを見た。
かがちは―
決して目を合わせようとしなかった。
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