2023-01-26(Thu)
相手と向き合う
本日1月26日(木)は殺陣練習日です。

個人練習という形での開催ですが、参加希望の方がいらっしゃいましたらご連絡ください。
福岡市南区にて19時から22時です。
「この人、下手じゃないんだけど、特に困る事はないんだけど上手くないんだよなぁ?」
って思う時、
その人が「お芝居をしていない」パターンが多いな、という個人的な感想。
「お芝居をしていない」にも色々あります。
表情もそう、声もそう、危機感を表す動きの有無、魅せ方、などなど。
でも、それらはそこそこクリアしているのにお芝居が出来ていない場合もあって。
それは
「戦う相手と向き合っていない」
みたいな場合。
立ち回りしている相手とのお芝居のやり取りをしていない場合なんですね。
自分が良いと思うタイミングで、
自分が良いと思う距離感で、
自分が良いと思う動きで、
極端な言い方をすれば、自分勝手に戦ってる。
まぁそれでも立ち回りの形にはなるし別に困らないんですが、なんだか物足りないクオリティになってしまいます。
立ち回りは、
「相手がこう来たからこう返す、自分がこう返したから相手がそれに応じて動く」
の繰り返しなんです。
アクションとリアクションの応酬ですね。
前述のような人達は、ひたすら自分のアクションだけをやってしまうんです。
攻撃も自分のアクション。受けや回避も自分のアクション。
相手のアクションを見ていないし意識していないからリアクションが無い。
それは一見立ち回りに見えるけど、立ち回りのようなものでしかないような気がします。
一般的なお芝居の台詞に例えてみましょう。
台本に
相手「ねぇ」
自分「なに?」
っていうやり取りが書かれていたとします。
この時に、「なに?」という台詞をどんな風に言うか、どんなテンションで、どんなタイミングで言うかを前もって考えていて、それを本番でやるとします。
でもこの「なに?」って、相手の「ねぇ」次第で変わってくる台詞だと思うんですよ。
優しい「ねぇ」なのか、怒った「ねぇ」なのか、思い詰めた「ねぇ」なのか、かったるそうな「ねぇ」なのか。
そしてそれは物語の文脈で変わってきますよね。
それなのに、どんな「ねぇ」が来ても同じ「なに?」を返してたら会話になりません。
相手の「ねぇ」がなければ自分の「なに?」は発生しないのに、前もって「なに?」を決めてしまうのはどうなのか?と、そんな風に考えてしまうんですね。
日常生活と同じ思考・言動に近いものを意図的に作る出すのがお芝居であり、殺陣・アクションだと思います。
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