2010-09-19(Sun)
アクションへの道(87)
就職しショーに一線引いていた僕。
この年はショーの台本も書きませんでした。
昨年の先輩とのゴタゴタで、関わるのが馬鹿らしくなっていたのです。
やがて僕が全く関わらなかったショーパッケージが完成し、それぞれのショーが始まりました。
この時の僕の気持ちは完全にひねくれまくっていて、
『俺抜きで作ったショー(パッケージ)なんてどうよ!?』
なんて思ってて、
『どうせしょーもない出来に決まってる!』
なんて思ってて…
間違いなく僕は、
『やっぱり内野がいなきゃいかんな!これからも頼む!』
って言われたがっていて、批判的な見方しか出来なかったようです。
正直なところ、この時のショーは仲間内でもあまり評判が良くなかった。
でも、だからと言って、
『な!?俺が作った方が面白いだろ!?』
みたいな態度を取っちゃうのは人間としてどうなのか、と。
1995年は自分がちょっと(かなり?)天狗になってた年のような気がします。
この年はショーの台本も書きませんでした。
昨年の先輩とのゴタゴタで、関わるのが馬鹿らしくなっていたのです。
やがて僕が全く関わらなかったショーパッケージが完成し、それぞれのショーが始まりました。
この時の僕の気持ちは完全にひねくれまくっていて、
『俺抜きで作ったショー(パッケージ)なんてどうよ!?』
なんて思ってて、
『どうせしょーもない出来に決まってる!』
なんて思ってて…
間違いなく僕は、
『やっぱり内野がいなきゃいかんな!これからも頼む!』
って言われたがっていて、批判的な見方しか出来なかったようです。
正直なところ、この時のショーは仲間内でもあまり評判が良くなかった。
でも、だからと言って、
『な!?俺が作った方が面白いだろ!?』
みたいな態度を取っちゃうのは人間としてどうなのか、と。
1995年は自分がちょっと(かなり?)天狗になってた年のような気がします。
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