2010-08-21(Sat)
アクションへの道(75)
了見狭かったハナシ~♪
とあるリハーサルでの事。
僕は自分の立ち回りを付けていました。
僕がヒーロー役で、悪役のボスと戦闘員2人が相手です。
立ち回りというのは単なる技の羅列ではありません。
あくまでも物語の一部です。
なので立ち回りの中には(基本的には)ストーリーがあるべきなのです。
その時僕が入っていたキャラクターは
『戦闘のプロ』
というような設定でした。
ストーリー上の力関係で言えば、
ヒーロー>戦闘員2人
ヒーロー<悪役ボス
です。
よって僕は
『戦闘員は眼中になく、ただボスだけに狙いを定めるヒーロー』
という立ち回りを考えました。
ヒーローがボスに向かって行こうとすると戦闘員が邪魔しに来る、
それを瞬殺してボスに向かう、
ボスに近付くともう1人の戦闘員がかかって来る、また目もくれずに瞬殺しボスに向かって行く、
そんな流れです。
ここで僕は、立ちはだかる戦闘員にしっかりとしたファイティングポーズで向かっていきました。
戦闘のプロだからこそ戦闘員相手でも油断しないんじゃないか?と思ったからです。
ベテランの職人さんは簡単な仕事に対しても全力を尽くすのでは?
と思ったからです。
常に構えを崩さず、ボスに戦闘員に周りの殺気に意識を集中しながらジリジリと距離を詰めて行くヒーロー…
その光景を見ていた大先輩が僕に言いました。
『内野!何でそこで構えるんだ?』
『え?どんな敵にも油断しないってスタイルで戦闘のプロを表現したいからですが…』
『それは違う。ヒーローってのはなぁ、余裕を見せるものなんだ。
余裕があるからカッコいいんだ。
手本を見せてやる。』
大先輩は悪役に向かって肩で風を切りながら歩いて行きました。
僕が最初に考えたのはその演出でした。
多勢にも余裕で向かって行くヒーローのカッコ良さというのも分かるからです。
でも僕の中では、今回の役は『もっと繊細』なんです。
仲間を滅ぼされながらも数百年戦い続けてきた孤独なエイリアンには
『常に油断しない』
スタイルが似合うと思って立ち回りを付けたのです。
そういう紆余曲折がある事も察せず自分の演出を押しつけてくる大先輩に、僕は正直イラッとしました。
どんなヒーローがカッコいいと思うかなんて人それぞれだし…
『余裕を見せて肩で風切るヒーローこそがカッコいい』
この先輩のアイデアはなんて底が浅いんだ…と僕は失笑しました。
手本を終えた大先輩は言いました。
『こうやるんだ。分かったか?』
『はい!分かりました!』
『よし、やってみろ!』
僕はさっきまでと同じく、慎重に構えてジリジリと歩きました。
『違う!そこで構えちゃダメなんだ!余裕を見せて云々…やってみろ!』
『分かりました!』
僕はまたしても構えて歩きました。
大先輩に対し恐れ多くも
『僕はあなたの意見は聞きませんよ』
という意思を示したのでした。
当然その後、大先輩が僕にアドバイスする事はありませんでした。
僕はこんな事ばかりしていたので、おそらく当時の先輩方からかなり嫌われてると思います。
僕は自信を持って僕の演出をやっていましたし、あの状況で大先輩の言う事を聞く必要はなかった、と信じています。
ただ…
少しは大先輩の顔を立てるべきではなかったのか?
本番では自分がやりたいように演るとしても、せめてリハーサルでは
『分かりました!やってみます!』
って素直にやってみるべきではなかったのか?
やってみて、
『なるほど!確かにこっちの方が強そうでヒーローっぽいですね!』
ぐらい言えば良かったんじゃないのか??
あれから16年、今ならば社会において、
『雰囲気を良くする為の嘘』
が必要な事が分かります。
当時は『嘘をつく事』は全て汚い事に思えていました。
『自分を正直に表す事』
それだけを最善だと勘違いしていました。
周りの人達を傷つけ悲しませても、正直という言葉を盾に、目を向ける事をしませんでした。
これこそが当時の僕の『了見の狭さ』です。
『自分はこーゆー性格だから』
と改善を怠る事は、単なるエゴであり了見の狭さである。
と僕は思います。
それを直していけたら、もっと楽しく、もっと幸せになれるよ。
…と、当時の僕へのアドバイスです。
とあるリハーサルでの事。
僕は自分の立ち回りを付けていました。
僕がヒーロー役で、悪役のボスと戦闘員2人が相手です。
立ち回りというのは単なる技の羅列ではありません。
あくまでも物語の一部です。
なので立ち回りの中には(基本的には)ストーリーがあるべきなのです。
その時僕が入っていたキャラクターは
『戦闘のプロ』
というような設定でした。
ストーリー上の力関係で言えば、
ヒーロー>戦闘員2人
ヒーロー<悪役ボス
です。
よって僕は
『戦闘員は眼中になく、ただボスだけに狙いを定めるヒーロー』
という立ち回りを考えました。
ヒーローがボスに向かって行こうとすると戦闘員が邪魔しに来る、
それを瞬殺してボスに向かう、
ボスに近付くともう1人の戦闘員がかかって来る、また目もくれずに瞬殺しボスに向かって行く、
そんな流れです。
ここで僕は、立ちはだかる戦闘員にしっかりとしたファイティングポーズで向かっていきました。
戦闘のプロだからこそ戦闘員相手でも油断しないんじゃないか?と思ったからです。
ベテランの職人さんは簡単な仕事に対しても全力を尽くすのでは?
と思ったからです。
常に構えを崩さず、ボスに戦闘員に周りの殺気に意識を集中しながらジリジリと距離を詰めて行くヒーロー…
その光景を見ていた大先輩が僕に言いました。
『内野!何でそこで構えるんだ?』
『え?どんな敵にも油断しないってスタイルで戦闘のプロを表現したいからですが…』
『それは違う。ヒーローってのはなぁ、余裕を見せるものなんだ。
余裕があるからカッコいいんだ。
手本を見せてやる。』
大先輩は悪役に向かって肩で風を切りながら歩いて行きました。
僕が最初に考えたのはその演出でした。
多勢にも余裕で向かって行くヒーローのカッコ良さというのも分かるからです。
でも僕の中では、今回の役は『もっと繊細』なんです。
仲間を滅ぼされながらも数百年戦い続けてきた孤独なエイリアンには
『常に油断しない』
スタイルが似合うと思って立ち回りを付けたのです。
そういう紆余曲折がある事も察せず自分の演出を押しつけてくる大先輩に、僕は正直イラッとしました。
どんなヒーローがカッコいいと思うかなんて人それぞれだし…
『余裕を見せて肩で風切るヒーローこそがカッコいい』
この先輩のアイデアはなんて底が浅いんだ…と僕は失笑しました。
手本を終えた大先輩は言いました。
『こうやるんだ。分かったか?』
『はい!分かりました!』
『よし、やってみろ!』
僕はさっきまでと同じく、慎重に構えてジリジリと歩きました。
『違う!そこで構えちゃダメなんだ!余裕を見せて云々…やってみろ!』
『分かりました!』
僕はまたしても構えて歩きました。
大先輩に対し恐れ多くも
『僕はあなたの意見は聞きませんよ』
という意思を示したのでした。
当然その後、大先輩が僕にアドバイスする事はありませんでした。
僕はこんな事ばかりしていたので、おそらく当時の先輩方からかなり嫌われてると思います。
僕は自信を持って僕の演出をやっていましたし、あの状況で大先輩の言う事を聞く必要はなかった、と信じています。
ただ…
少しは大先輩の顔を立てるべきではなかったのか?
本番では自分がやりたいように演るとしても、せめてリハーサルでは
『分かりました!やってみます!』
って素直にやってみるべきではなかったのか?
やってみて、
『なるほど!確かにこっちの方が強そうでヒーローっぽいですね!』
ぐらい言えば良かったんじゃないのか??
あれから16年、今ならば社会において、
『雰囲気を良くする為の嘘』
が必要な事が分かります。
当時は『嘘をつく事』は全て汚い事に思えていました。
『自分を正直に表す事』
それだけを最善だと勘違いしていました。
周りの人達を傷つけ悲しませても、正直という言葉を盾に、目を向ける事をしませんでした。
これこそが当時の僕の『了見の狭さ』です。
『自分はこーゆー性格だから』
と改善を怠る事は、単なるエゴであり了見の狭さである。
と僕は思います。
それを直していけたら、もっと楽しく、もっと幸せになれるよ。
…と、当時の僕へのアドバイスです。
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