2010-06-01(Tue)
小説・さやか見参(3)
暗闇で小川のせせらぎが聞こえた。
太陽の下で見たならば何の変哲もない小さな川である。
美しい水には小さな蟹や魚が動き回っているだろう。
この小さな流れはやがて大きな川に飲み込まれる。
そして、その大きな流れは遠からず激しい滝へと変化を遂げる。
それを思うと、闇の中で聞く小川の音も何となく不気味に感じるのだから不思議だ、と、くちなわはそんな事を考えていた。
荊木流忍術の中忍たるくちなわならば、この程度の闇は闇とも言えぬ。
例え不意に木蔭から獣が飛び出してきたとしても、息をするより容易く避ける事が出来るだろう。
しかし、それ程の技量を持ちながらも、
「いずれ滝につながっている」
というだけの理由で美しい小川を恐れている。
くちなわはそんな自分が可笑しくなった。
「昔の事を思い出したのであろう」
前方の闇から急に声をかけられて、くちなわは我に返った。
荊木流の頭領であるみずちの声だ。
老体でありながらそれを感じさせぬよく通る声。
この老忍には全てを見透かされているように思えて、くちなわはいまだに身体が強張ってしまう。
「昔の事、と言いますと?」
「あの滝の事じゃ」
やはり見透かされている。
「確かに滝の事を考えておりました。しかし・・・」
「おぬしが五つの時じゃったか、この先の滝で修行をしたな」
「・・・そう言われれば・・・」
「なんじゃ覚えておらんのか。記憶は忍びの術の初歩であろうが。もう一度最初から修行をやり直すか?」
「い、いえ、うっすらと思い出しました・・・」
「うっすら、か。情けないのう。滝壺に飛び込んで死にかけたというのに」
滝壺で死にかけた・・・
そういえば・・・
「・・・思い出しました!・・・いや、やはり細かい事までは思い出せませぬが・・・」
「たわけが」
みずちは足を止める事なく語り始めた。
三十年以上も前の事をよどみなく話す老忍は『記憶は忍術の初歩』を体現している。
くちなわ、五歳。
正確にはまだ『うろこ』と呼ばれていた時期だ。
住んでいた村がいくさで焼け、両親を失って泣いていたところをみずちに拾われたのが四つの時であったから、忍びの修行を始めて一年足らずであったろう。
水遁の修行で、幼いくちなわは滝に飛び込んだ。
年齢的にまだ早いかと思われたが、みずちは跳べと言ったのだ。
一瞬の躊躇の後、くちなわは滝壺に向かって勢い良く飛び込んだ。
そして、水流に翻弄され、浮く事も出来ず、沈む事もかなわず、水中でぐるぐると回転しながら気を失ったのだ。
気が付くと川辺に寝かされて水を吐かされていた。
どうやら誰かが助け出してくれたらしい。
運良く助けられただけなのか、それとも最初からそういう手筈になっていたのか、それは分からない。
だが、どちらに転んだとしても、それが忍びに拾われた自分の運命なのだ、と、わずか五歳のくちなわは悟っていた。
くちなわのみならず、戦場で拾われ忍びとなる子供は多かったが、そのほとんどは使い捨ての道具にされるのが常であった。
しかし、そんな中にあって何故かみずちはくちなわを我が子同然に育てた。
もしかすると子が出来なかったのかもしれぬ。
みずちの妻もくちなわを大層可愛がってくれた。
実生活では家族同然といえど、忍びの道においては師匠と弟子、そして上忍と下忍である。
一旦修行が始まればみずちは鬼神の如く恐ろしかった。
滝に飛び込めと言った時の鬼のような形相は数十年経った今でも忘れる事が出来ない。
忍びとは集団で行動するものである。
その中にたった一人でも修行の成ってない者がいれば、それは全体の死を意味するのだから育成は当然厳しくなる。
使えぬ者は早々に切り捨てなければならないのだ。
幼少のくちなわにもそれは薄々分かっていた。
なので、どんなに恐ろしかろうと辛かろうと、一度たりとも弱音を吐いた事はない。
ただ、ここ数年、くちなわには思うところがあった。
齢を重ね、下忍を束ねる中忍という立場になり、鬼神然としていたみずちの心中に思い至ったのだ。
忍びと言えどもやはり人間。
どれだけ個人的な感情を殺したとしても、どうしても愛や情は発生する。
自らの下で修行する下忍達を単なる道具として見る事が出来ない時もある。
忍びの任務は死と隣り合わせ。
出来ればここにいる下忍達には死んでほしくない。
なれば術を磨き、腕をあげてもらうより他に方法はない。
その結果、修行は厳しくなり、くちなわ自身も鬼神となるのだ。
弟子を死なせぬ為に。
かつての師のように。
あの苦しい修行は、みずちの親としての愛であった、と、くちなわは確信している。
そしてくちなわも、忍びとして決して表には出さないものの、みずちへの尊敬と愛情を秘めている。
太陽の下で見たならば何の変哲もない小さな川である。
美しい水には小さな蟹や魚が動き回っているだろう。
この小さな流れはやがて大きな川に飲み込まれる。
そして、その大きな流れは遠からず激しい滝へと変化を遂げる。
それを思うと、闇の中で聞く小川の音も何となく不気味に感じるのだから不思議だ、と、くちなわはそんな事を考えていた。
荊木流忍術の中忍たるくちなわならば、この程度の闇は闇とも言えぬ。
例え不意に木蔭から獣が飛び出してきたとしても、息をするより容易く避ける事が出来るだろう。
しかし、それ程の技量を持ちながらも、
「いずれ滝につながっている」
というだけの理由で美しい小川を恐れている。
くちなわはそんな自分が可笑しくなった。
「昔の事を思い出したのであろう」
前方の闇から急に声をかけられて、くちなわは我に返った。
荊木流の頭領であるみずちの声だ。
老体でありながらそれを感じさせぬよく通る声。
この老忍には全てを見透かされているように思えて、くちなわはいまだに身体が強張ってしまう。
「昔の事、と言いますと?」
「あの滝の事じゃ」
やはり見透かされている。
「確かに滝の事を考えておりました。しかし・・・」
「おぬしが五つの時じゃったか、この先の滝で修行をしたな」
「・・・そう言われれば・・・」
「なんじゃ覚えておらんのか。記憶は忍びの術の初歩であろうが。もう一度最初から修行をやり直すか?」
「い、いえ、うっすらと思い出しました・・・」
「うっすら、か。情けないのう。滝壺に飛び込んで死にかけたというのに」
滝壺で死にかけた・・・
そういえば・・・
「・・・思い出しました!・・・いや、やはり細かい事までは思い出せませぬが・・・」
「たわけが」
みずちは足を止める事なく語り始めた。
三十年以上も前の事をよどみなく話す老忍は『記憶は忍術の初歩』を体現している。
くちなわ、五歳。
正確にはまだ『うろこ』と呼ばれていた時期だ。
住んでいた村がいくさで焼け、両親を失って泣いていたところをみずちに拾われたのが四つの時であったから、忍びの修行を始めて一年足らずであったろう。
水遁の修行で、幼いくちなわは滝に飛び込んだ。
年齢的にまだ早いかと思われたが、みずちは跳べと言ったのだ。
一瞬の躊躇の後、くちなわは滝壺に向かって勢い良く飛び込んだ。
そして、水流に翻弄され、浮く事も出来ず、沈む事もかなわず、水中でぐるぐると回転しながら気を失ったのだ。
気が付くと川辺に寝かされて水を吐かされていた。
どうやら誰かが助け出してくれたらしい。
運良く助けられただけなのか、それとも最初からそういう手筈になっていたのか、それは分からない。
だが、どちらに転んだとしても、それが忍びに拾われた自分の運命なのだ、と、わずか五歳のくちなわは悟っていた。
くちなわのみならず、戦場で拾われ忍びとなる子供は多かったが、そのほとんどは使い捨ての道具にされるのが常であった。
しかし、そんな中にあって何故かみずちはくちなわを我が子同然に育てた。
もしかすると子が出来なかったのかもしれぬ。
みずちの妻もくちなわを大層可愛がってくれた。
実生活では家族同然といえど、忍びの道においては師匠と弟子、そして上忍と下忍である。
一旦修行が始まればみずちは鬼神の如く恐ろしかった。
滝に飛び込めと言った時の鬼のような形相は数十年経った今でも忘れる事が出来ない。
忍びとは集団で行動するものである。
その中にたった一人でも修行の成ってない者がいれば、それは全体の死を意味するのだから育成は当然厳しくなる。
使えぬ者は早々に切り捨てなければならないのだ。
幼少のくちなわにもそれは薄々分かっていた。
なので、どんなに恐ろしかろうと辛かろうと、一度たりとも弱音を吐いた事はない。
ただ、ここ数年、くちなわには思うところがあった。
齢を重ね、下忍を束ねる中忍という立場になり、鬼神然としていたみずちの心中に思い至ったのだ。
忍びと言えどもやはり人間。
どれだけ個人的な感情を殺したとしても、どうしても愛や情は発生する。
自らの下で修行する下忍達を単なる道具として見る事が出来ない時もある。
忍びの任務は死と隣り合わせ。
出来ればここにいる下忍達には死んでほしくない。
なれば術を磨き、腕をあげてもらうより他に方法はない。
その結果、修行は厳しくなり、くちなわ自身も鬼神となるのだ。
弟子を死なせぬ為に。
かつての師のように。
あの苦しい修行は、みずちの親としての愛であった、と、くちなわは確信している。
そしてくちなわも、忍びとして決して表には出さないものの、みずちへの尊敬と愛情を秘めている。
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