2010-04-14(Wed)
アクションへの道(64)
吉田にぃやん考案のBGMパケ。
難易度の高いその方式に慣れてきた僕には、色々と小ネタを入れる余裕さえ出てきました。
実際BGMの力とは大きいもので、曲によって盛り上げどころ、笑いどころがハッキリと分かり、上手く使えば
ショーの雰囲気全体を支配する事が出来るのです。
特に笑いに関しては、『音ネタ』は非常に効果がありました。
アドリブが苦手な僕にとって、仕込みが出来る『音ネタ』は非常にありがたいものだったのです。
しかし、そういった事に慣れてくると、どんどんエスカレートするのが人間の常でございます。
僕のショーは良くも悪くも『小ネタ満載』になっていきました。
そのネタも1人よがりで、お客さんがポカ~ンとしていた事も多かったように思います。
・・・あ、自分の弁護の為に言っておきますが・・・
当事、ショー仲間からはよく
「内野のショーは身内ネタが多い」
と言われていました。
でも、僕は身内ネタはやってない。
だって身内ネタって嫌いなんですもん。
とんねるず的な感じで、内輪話を暴露して笑いを取るという手法はアリだと思いますけどね。
それならやってましたが。

(↑お客さんをポカ~ンとさせてた代表。1993年頃)
僕が『身内ネタ』を使っているように思われていたのは、単に観客を置いてけぼりにしたネタが多かったせい、だと思ってます。
そしてそれはかなりの確率で確信犯的行為でした。
「確信犯でやったらあかんがな!」
と言われるかもしれません。
でも、僕は試したかったんです。
若い時には、古い世代が作ったものが全て『予定調和』に思えたりします。
当事の僕も、先輩達がやっている事を見て、
「当たり障りなくやってるだけじゃないか!なんでもっと冒険しないんだ!」
と思っていました。
「もっとこうしたらウケるんじゃないか?」
「こうすれば盛り上がるんじゃないか?」
「こんな演出はどうだろう?」
そんな風に考えていました。
僕はそれを試したかったのです。
そうやって、ショーマンとしての自分の引き出しを増やしたかったのです。
僕の持論ですが、
「100のアイデアを出せば、1個ぐらいは使えるものがある」
と信じています。
僕がしゃべり怪人としてやってきた事も、99%はしょーもないネタだったと思いますが、きっと1%ぐらいは有効打だったハズです。
そしてその1%を発展させて、たくさんの有効打が生まれたハズなんです。
・・・脱線したので・・・
・・・もう少し脱線しましょう。
こうやって僕がやってきたアイデアについて、後にメンバーや後輩達から
「それはプロとしてやったらいかんでしょ!?」
「そんな事をやる意味が分かりません」
と批判される事がありました。
でも、
誰かがやってみたからこそ、それがOKかNGか分かるのだと思います。
みんな、何もやらずに結果が見えていたワケではないでしょう。
結果があるからこそ判断出来るし、前例があるからこそ取捨選択が出来るんではないでしょうか。
事実、僕がやって成功したものは後々まで受け継がれているワケですから。
身体を動かす事が苦手な僕は、後輩のお手本になれるようなアクターではありませんでした。
そして、慕われる先輩でもなければ、指導力に長けた先輩でもありませんでした。
生来の天邪鬼で、組織に楯突いてしまう僕に出来るのは、新しい可能性を模索して次世代に残す事だと考えていたのです。

(↑調子に乗って組織に楯突いてた代表。1996年頃)
・・・もうちょい脱線。
しかし、そうやってみて気付いた事があります。
それは、
予定調和で当たり障り無くやってるように見えた先輩達のアイデア、
それらは全て、先輩達の冒険や挑戦の賜物だった。
という事。
僕は先輩達が生み出した『1%のアイデア』の上にあぐらをかいて偉そうな顔をしていただけだったのです。
しかし、先輩達に「申し訳ない」とは思いません。
これは後輩として仕方がない事だと思うからです。
先人の苦労は、自分が体験しないと分かりません。
想像だけで分かった顔をするのは逆に失礼だと思います。
なので、後輩達が僕を批判する事も当然の事として受け止めています。
ただ・・・
先輩達の批判だけで終わらずに、新しいものを作ろうとした自分は誇りに思ってます。
ショーに関わってきた中で僕が誇れるのはそれだけです。
やってきた事の全てが、現在の武装の活動に活かされています。
ほら・・・
また本題に行く前に終わっちゃったよ・・・
俺って・・・
~つづく~
難易度の高いその方式に慣れてきた僕には、色々と小ネタを入れる余裕さえ出てきました。
実際BGMの力とは大きいもので、曲によって盛り上げどころ、笑いどころがハッキリと分かり、上手く使えば
ショーの雰囲気全体を支配する事が出来るのです。
特に笑いに関しては、『音ネタ』は非常に効果がありました。
アドリブが苦手な僕にとって、仕込みが出来る『音ネタ』は非常にありがたいものだったのです。
しかし、そういった事に慣れてくると、どんどんエスカレートするのが人間の常でございます。
僕のショーは良くも悪くも『小ネタ満載』になっていきました。
そのネタも1人よがりで、お客さんがポカ~ンとしていた事も多かったように思います。
・・・あ、自分の弁護の為に言っておきますが・・・
当事、ショー仲間からはよく
「内野のショーは身内ネタが多い」
と言われていました。
でも、僕は身内ネタはやってない。
だって身内ネタって嫌いなんですもん。
とんねるず的な感じで、内輪話を暴露して笑いを取るという手法はアリだと思いますけどね。
それならやってましたが。

(↑お客さんをポカ~ンとさせてた代表。1993年頃)
僕が『身内ネタ』を使っているように思われていたのは、単に観客を置いてけぼりにしたネタが多かったせい、だと思ってます。
そしてそれはかなりの確率で確信犯的行為でした。
「確信犯でやったらあかんがな!」
と言われるかもしれません。
でも、僕は試したかったんです。
若い時には、古い世代が作ったものが全て『予定調和』に思えたりします。
当事の僕も、先輩達がやっている事を見て、
「当たり障りなくやってるだけじゃないか!なんでもっと冒険しないんだ!」
と思っていました。
「もっとこうしたらウケるんじゃないか?」
「こうすれば盛り上がるんじゃないか?」
「こんな演出はどうだろう?」
そんな風に考えていました。
僕はそれを試したかったのです。
そうやって、ショーマンとしての自分の引き出しを増やしたかったのです。
僕の持論ですが、
「100のアイデアを出せば、1個ぐらいは使えるものがある」
と信じています。
僕がしゃべり怪人としてやってきた事も、99%はしょーもないネタだったと思いますが、きっと1%ぐらいは有効打だったハズです。
そしてその1%を発展させて、たくさんの有効打が生まれたハズなんです。
・・・脱線したので・・・
・・・もう少し脱線しましょう。
こうやって僕がやってきたアイデアについて、後にメンバーや後輩達から
「それはプロとしてやったらいかんでしょ!?」
「そんな事をやる意味が分かりません」
と批判される事がありました。
でも、
誰かがやってみたからこそ、それがOKかNGか分かるのだと思います。
みんな、何もやらずに結果が見えていたワケではないでしょう。
結果があるからこそ判断出来るし、前例があるからこそ取捨選択が出来るんではないでしょうか。
事実、僕がやって成功したものは後々まで受け継がれているワケですから。
身体を動かす事が苦手な僕は、後輩のお手本になれるようなアクターではありませんでした。
そして、慕われる先輩でもなければ、指導力に長けた先輩でもありませんでした。
生来の天邪鬼で、組織に楯突いてしまう僕に出来るのは、新しい可能性を模索して次世代に残す事だと考えていたのです。

(↑調子に乗って組織に楯突いてた代表。1996年頃)
・・・もうちょい脱線。
しかし、そうやってみて気付いた事があります。
それは、
予定調和で当たり障り無くやってるように見えた先輩達のアイデア、
それらは全て、先輩達の冒険や挑戦の賜物だった。
という事。
僕は先輩達が生み出した『1%のアイデア』の上にあぐらをかいて偉そうな顔をしていただけだったのです。
しかし、先輩達に「申し訳ない」とは思いません。
これは後輩として仕方がない事だと思うからです。
先人の苦労は、自分が体験しないと分かりません。
想像だけで分かった顔をするのは逆に失礼だと思います。
なので、後輩達が僕を批判する事も当然の事として受け止めています。
ただ・・・
先輩達の批判だけで終わらずに、新しいものを作ろうとした自分は誇りに思ってます。
ショーに関わってきた中で僕が誇れるのはそれだけです。
やってきた事の全てが、現在の武装の活動に活かされています。
ほら・・・
また本題に行く前に終わっちゃったよ・・・
俺って・・・
~つづく~
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