2010-03-16(Tue)
戦う山吹さやか
前回のつづき。
早く多良木編を終わらせーよ!とも思いますが。
これも以前書いたんじゃないかな。
ショーの中で山吹さやかがエグいぐらい悪役に嬲られる理由について、
前回はテーマを軸に書きました。
今回は演出的な面から。
僕らが以前やってたキャラクターショーは頭の先から足の先まですっぽりと衣裳に覆われる仕事でした。
そして現在メインでやっている山吹さやか関連では指先や顔まで出しています。

同じアクションショーでもこの2つは全く違います。
その違いとは、『キャラクター』か『人間』か、という事です。
『ライダーや戦隊だって人間が変身してるんだろ』
と思った方、この分類は設定上の事ではなく、
『観客がどう感じているか』
が基準です。
格闘のアクション…いわゆる立ち回りというのはお芝居です。
キャラクターにはキャラクターに合ったお芝居があり、人間には人間のお芝居があります。

キャラクターは外見上の説得力があるので、人間以上のウソをついても立ち回りが成立する部分があります。
用は、多少リアリティがなくても大丈夫♪って事です。
しかし、人間の立ち回りだとそうはいきません。
外見がリアルなだけに、リアリティのない動きをすると違和感があるのです。

僕も含めた、キャラクター出身の武装メンバーが最初にぶつかった壁はここでした。
立ち回りの手(段取り)を付けながら、
『じゃあここで下忍を斬って…
あれ?
斬ったら下忍死んじゃうじゃん!』
『↑↑当たり前やろ!?』
って思うでしょ?
でもキャラクターショーの戦闘員(ヒーローもだけど)は、
どれだけ斬ろうが刺そうが死なないんですよ!
『ヤバい!人間は斬られたら死んじゃうぞ!』
ある意味これが武装の出発点というか。
何が言いたいかというと、
さやかショーの立ち回りはリアリティ重視でやらなきゃいけない
というのが大前提って事です。

さて、ここで一旦話を変えます。
僕はキャラクターショーであまり使わないようにしているものがあります。
まずは『汚い言葉』。
子供が観るものですからね。
次に、ヒーロー・ヒロインの語る『正義』というフレーズ。
主役だろうが悪役だろうが自分の中の正義に殉じて戦ってるハズ。
戦いの中で語る『正義』なんて自分だけの思い込みに過ぎない可能性がある。
真に正しい事、正しくない事はあるとしても、無自覚に『正義は自分にあり』とは語ってほしくない。
特にヒーロー・ヒロインには。
ヒーロー・ヒロインの語る『~の為!』というフレーズ。
『正義の為に!』
『子供達の為に!』
『地球の平和を守る為に!』
…なんでそんなに恩着せがましいの?
感謝されたくて戦ってんの?
と思っちゃう。
自分の意思で戦ってるんなら、
『誰も喜ばんかもしれん!迷惑かけて嫌われるかもしれん!でも俺(私)は戦う!!』
ぐらいの覚悟を持ってほしいなぁ。
最後に、いわゆる応援コール。
『このままじゃ負けてしまう!みんなの力を貸してくれ!せ~の!』
『がんばれ~っ!!』
って展開。
自分の意思で戦い始めた戦士が勝手に子供達を守りに来ておいて、
『負けそうだから力を貸せ!』
とは何事かと思う。
ドラゴンボールの孫悟空は元気玉を使う時にあらゆるものから少しずつ力を借りるけど、僕らはそこに至るまでの悟空の努力を知っている。
悟空は頑張って頑張って、本当にギリギリの所まで頑張って、それでも足りないからようやくみんなの力を借りたのだ。
僕は悟空に
『元気を少し分けてくれ!』
と頼まれたら、
『少しと言わず8割ぐらいどうぞ!』
と答えると思う。
しかしながら、世のキャラクターショーの中で、そこまで頑張ってるヒーロー・ヒロインってなかなかいないと思うのだ。
『女房子供を幸せにする為に』勝手に会社を辞めて起業したお父さんが、
『今月資金が足りないから少し貸してくれないか?』
と家族に頭を下げているのを見るような、そんな気持ちになってしまうのだ。
『忍者ライブショー さやか見参!』には、そういったものへのアンチテーゼを含ませてあります。
女の子がたった1人、数に勝る男連中に戦いを挑みます。
力の差は歴然で、容赦なく痛めつけられます。

このフェミニンな世の中にそぐわないぐらいの暴力に打ちのめされます。
本当ならここで
『お願い!みんなの力を貸して!』
と言ってもかまわないハズです。
でもさやかは人の力を借りません。
自分の意思、自分の宿命に従って戦っているから。
自分を奮い立たせるのは自分の信念しかないのです。
ようやく本題に戻しましょう。
さやかが何故リアルに痛めつけられるのか、
それは、どんなに苦しくてもツラくても、自分の責任において戦っている山吹さやかのまっすぐな気持ちを客席に伝える為に必要不可欠な演出なのです。

早く多良木編を終わらせーよ!とも思いますが。
これも以前書いたんじゃないかな。
ショーの中で山吹さやかがエグいぐらい悪役に嬲られる理由について、
前回はテーマを軸に書きました。
今回は演出的な面から。
僕らが以前やってたキャラクターショーは頭の先から足の先まですっぽりと衣裳に覆われる仕事でした。
そして現在メインでやっている山吹さやか関連では指先や顔まで出しています。

同じアクションショーでもこの2つは全く違います。
その違いとは、『キャラクター』か『人間』か、という事です。
『ライダーや戦隊だって人間が変身してるんだろ』
と思った方、この分類は設定上の事ではなく、
『観客がどう感じているか』
が基準です。
格闘のアクション…いわゆる立ち回りというのはお芝居です。
キャラクターにはキャラクターに合ったお芝居があり、人間には人間のお芝居があります。

キャラクターは外見上の説得力があるので、人間以上のウソをついても立ち回りが成立する部分があります。
用は、多少リアリティがなくても大丈夫♪って事です。
しかし、人間の立ち回りだとそうはいきません。
外見がリアルなだけに、リアリティのない動きをすると違和感があるのです。

僕も含めた、キャラクター出身の武装メンバーが最初にぶつかった壁はここでした。
立ち回りの手(段取り)を付けながら、
『じゃあここで下忍を斬って…
あれ?
斬ったら下忍死んじゃうじゃん!』
『↑↑当たり前やろ!?』
って思うでしょ?
でもキャラクターショーの戦闘員(ヒーローもだけど)は、
どれだけ斬ろうが刺そうが死なないんですよ!
『ヤバい!人間は斬られたら死んじゃうぞ!』
ある意味これが武装の出発点というか。
何が言いたいかというと、
さやかショーの立ち回りはリアリティ重視でやらなきゃいけない
というのが大前提って事です。

さて、ここで一旦話を変えます。
僕はキャラクターショーであまり使わないようにしているものがあります。
まずは『汚い言葉』。
子供が観るものですからね。
次に、ヒーロー・ヒロインの語る『正義』というフレーズ。
主役だろうが悪役だろうが自分の中の正義に殉じて戦ってるハズ。
戦いの中で語る『正義』なんて自分だけの思い込みに過ぎない可能性がある。
真に正しい事、正しくない事はあるとしても、無自覚に『正義は自分にあり』とは語ってほしくない。
特にヒーロー・ヒロインには。
ヒーロー・ヒロインの語る『~の為!』というフレーズ。
『正義の為に!』
『子供達の為に!』
『地球の平和を守る為に!』
…なんでそんなに恩着せがましいの?
感謝されたくて戦ってんの?
と思っちゃう。
自分の意思で戦ってるんなら、
『誰も喜ばんかもしれん!迷惑かけて嫌われるかもしれん!でも俺(私)は戦う!!』
ぐらいの覚悟を持ってほしいなぁ。
最後に、いわゆる応援コール。
『このままじゃ負けてしまう!みんなの力を貸してくれ!せ~の!』
『がんばれ~っ!!』
って展開。
自分の意思で戦い始めた戦士が勝手に子供達を守りに来ておいて、
『負けそうだから力を貸せ!』
とは何事かと思う。
ドラゴンボールの孫悟空は元気玉を使う時にあらゆるものから少しずつ力を借りるけど、僕らはそこに至るまでの悟空の努力を知っている。
悟空は頑張って頑張って、本当にギリギリの所まで頑張って、それでも足りないからようやくみんなの力を借りたのだ。
僕は悟空に
『元気を少し分けてくれ!』
と頼まれたら、
『少しと言わず8割ぐらいどうぞ!』
と答えると思う。
しかしながら、世のキャラクターショーの中で、そこまで頑張ってるヒーロー・ヒロインってなかなかいないと思うのだ。
『女房子供を幸せにする為に』勝手に会社を辞めて起業したお父さんが、
『今月資金が足りないから少し貸してくれないか?』
と家族に頭を下げているのを見るような、そんな気持ちになってしまうのだ。
『忍者ライブショー さやか見参!』には、そういったものへのアンチテーゼを含ませてあります。
女の子がたった1人、数に勝る男連中に戦いを挑みます。
力の差は歴然で、容赦なく痛めつけられます。

このフェミニンな世の中にそぐわないぐらいの暴力に打ちのめされます。
本当ならここで
『お願い!みんなの力を貸して!』
と言ってもかまわないハズです。
でもさやかは人の力を借りません。
自分の意思、自分の宿命に従って戦っているから。
自分を奮い立たせるのは自分の信念しかないのです。
ようやく本題に戻しましょう。
さやかが何故リアルに痛めつけられるのか、
それは、どんなに苦しくてもツラくても、自分の責任において戦っている山吹さやかのまっすぐな気持ちを客席に伝える為に必要不可欠な演出なのです。

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