2010-02-08(Mon)
アクションへの道(51)
色々と寄り道をしながら戻って参りました。
1993年の話を書いてる最中なんですが、
どうもこの年の話は書きにくい!!
色んな事がありすぎて、
いい事も悪い事もありすぎて書きにくい!!
ので、脱線して現実逃避していたワケですな。
一緒にショーをやってきた人達と話すと
「1993年が一番燃えたね」
って意見がけっこう多いんですよ。
でも僕的には、チーム全体が道を踏み外した時期だと思ってるんです。
このギャップがあるから書きにくいんですよね・・・
高度な技術を要するカンフー戦隊のショーは、アクションに従事するメンバーを虜にしました。
その結果、技術のレベルはあがったものの、みんなが
「自分が満足する事をしたがる」
傾向にあった事は否めません。
この年、それまで社員がやっていたキャスティングを、メンバーの1人が引き継ぎました。
キャスティングの仕事は、
「誰を、どこのショーの何の役に入れるか」
決める事であり、当然その権限を持っています。
キャスティングを引き継いだメンバーはショーに入っている現役です。
練習熱心でヒーロー役としても頭角をあらわしていました。
彼はカンフー戦隊の主役の1人に入っていました。
しかし、立ち回りはヒーローの技術だけでは上手くいきません。
悪役も上手くなければ決まらないのです。
特にこの年のように難易度の高いアクションは。
彼は自分が入る現場に、技術が高い者を悪役としてキャスティングしていきました。
戦隊なので4人の主役も必要です。
こちらも上から順番に採用しました。
当時のベストメンバーチームの完成です。
これは便宜上(?)1軍と呼ばれていました。
幸いな事にこの時期はメンバーの数、層ともに恵まれていたので、ベターメンバーでもう1チーム組む事が出来ていました。
こちらは2軍と呼ばれ、僕はこちらに入っていました。
戦隊のショーが2班稼動する時はこの1軍2軍で動く事がほとんどでした。
まぁこの時点でもキャスティングの自己中心的な職権乱用感(僕らから見たら)があって一部から不満があがっていたんですが、実はもう1つ、別の問題があったんです。
以前、この『アクションへの道』で、
メタルヒーローショー
について書きましたよね?『アクションへの道(37)(40)』あたりです。
このメタルヒーローショー、1993年にも行なわれているんですよ。
しか~し・・・
アクションメンバーを、上手い奴から1軍2軍に持っていかれたら、メタルヒーローショーのメンバーはどうなっちゃうの??
って事ですよね。
実際、ヒーロー役に上手い奴を1人キャスティングして後は新人だらけ・・・なんて事はざらでした。
おまけに練習場所も、戦隊チームが道場を独占してメタルヒーローチームを外に追いやる事も多々・・・
(それまでは道場を均等に分けてやっていた)
どうにもこうにも、自分達がレベルの高いショーを出来れば周りの事は知ったこっちゃない、みたいな雰囲気で、しかもそれが当たり前みたいな空気になっていたんです。
そりゃそうですよね。実力があるベテラン達は優遇されてたんだから文句を言うハズがありません。
ベテランが満足してるんだから、下の人間は冷遇されても文句も言えません。
こうしてレベルの上昇とはうらはらにメンバー間の温度差は広がっていったのです。
1993年の話を書いてる最中なんですが、
どうもこの年の話は書きにくい!!
色んな事がありすぎて、
いい事も悪い事もありすぎて書きにくい!!
ので、脱線して現実逃避していたワケですな。
一緒にショーをやってきた人達と話すと
「1993年が一番燃えたね」
って意見がけっこう多いんですよ。
でも僕的には、チーム全体が道を踏み外した時期だと思ってるんです。
このギャップがあるから書きにくいんですよね・・・
高度な技術を要するカンフー戦隊のショーは、アクションに従事するメンバーを虜にしました。
その結果、技術のレベルはあがったものの、みんなが
「自分が満足する事をしたがる」
傾向にあった事は否めません。
この年、それまで社員がやっていたキャスティングを、メンバーの1人が引き継ぎました。
キャスティングの仕事は、
「誰を、どこのショーの何の役に入れるか」
決める事であり、当然その権限を持っています。
キャスティングを引き継いだメンバーはショーに入っている現役です。
練習熱心でヒーロー役としても頭角をあらわしていました。
彼はカンフー戦隊の主役の1人に入っていました。
しかし、立ち回りはヒーローの技術だけでは上手くいきません。
悪役も上手くなければ決まらないのです。
特にこの年のように難易度の高いアクションは。
彼は自分が入る現場に、技術が高い者を悪役としてキャスティングしていきました。
戦隊なので4人の主役も必要です。
こちらも上から順番に採用しました。
当時のベストメンバーチームの完成です。
これは便宜上(?)1軍と呼ばれていました。
幸いな事にこの時期はメンバーの数、層ともに恵まれていたので、ベターメンバーでもう1チーム組む事が出来ていました。
こちらは2軍と呼ばれ、僕はこちらに入っていました。
戦隊のショーが2班稼動する時はこの1軍2軍で動く事がほとんどでした。
まぁこの時点でもキャスティングの自己中心的な職権乱用感(僕らから見たら)があって一部から不満があがっていたんですが、実はもう1つ、別の問題があったんです。
以前、この『アクションへの道』で、
メタルヒーローショー
について書きましたよね?『アクションへの道(37)(40)』あたりです。
このメタルヒーローショー、1993年にも行なわれているんですよ。
しか~し・・・
アクションメンバーを、上手い奴から1軍2軍に持っていかれたら、メタルヒーローショーのメンバーはどうなっちゃうの??
って事ですよね。
実際、ヒーロー役に上手い奴を1人キャスティングして後は新人だらけ・・・なんて事はざらでした。
おまけに練習場所も、戦隊チームが道場を独占してメタルヒーローチームを外に追いやる事も多々・・・
(それまでは道場を均等に分けてやっていた)
どうにもこうにも、自分達がレベルの高いショーを出来れば周りの事は知ったこっちゃない、みたいな雰囲気で、しかもそれが当たり前みたいな空気になっていたんです。
そりゃそうですよね。実力があるベテラン達は優遇されてたんだから文句を言うハズがありません。
ベテランが満足してるんだから、下の人間は冷遇されても文句も言えません。
こうしてレベルの上昇とはうらはらにメンバー間の温度差は広がっていったのです。
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