2009-12-07(Mon)
アクションへの道(17)
新人ながらヒーロー役に入れてもらい、まさに順調な滑り出しかと思われた僕のキャラクターショー・ライフ。
しかし意外な落とし穴が・・・
4月、ゴールデンウィークを控えたキャラクターショー業界はあわただしくなる。
年間通じて最も忙しいのがこの時期で、とにかくショーの班数が多い、人が足りない。
例えば、兄弟や学校の友達、さらには友達の友達などまで駆り出してメンバーを集める。
今日は戦隊のリハ、明日はライダーのリハ、あさっては戦隊のショーが終わってからメルヘンのリハ、その翌日にライダーのショーが終わったところで新人が行方不明になりメンバー入れ替え。前日のメルヘンリハが無かった事になり、急遽また戦隊のリハ・・・
なんて事が日常茶飯事なのがゴールデンウィークだ。
しかし、何日も続けてショーが出来る楽しい期間でもある。
体力的にはめっちゃハードだけど・・・
↓↓2001年。自作のオリジナル怪人に扮する僕

僕の初のゴールデンウィークは連日イエローの予定だった。
そんなある日の練習の帰り。
僕は久留米に帰るべく、1人で駅に向かっていた。
駅の前に屋台が出ていたのでラーメンを1杯食べてから切符を買いホームへ。
電車を待っていると、何だか気分が悪くなってきた。
あれ?ラーメンが良くなかったかな??
そう思ったけど、終電を逃すワケにもいかないのでとりあえず家に帰るしかない。
1時間もかからないんだから大丈夫だろう・・・
そう思いながら僕は電車に乗った。
しかし、落ち着くどころか具合いは段々悪くなり、2~3分後に到着した次の駅で飛び降り、トイレに駆け込んで胃の中の物を全部出した(汚くてスミマセン・・・)。
これで落ち着くかな?とホームに戻るもやはり気分は良くならず、再びトイレへ。
ホームとトイレを往復する僕の心臓はバックンバックンと激しく鳴り響き、呼吸が苦しくなってきた。
ベンチで休もうと座ってみたが、僕は体勢を保つ事が出来ず、床に大の字に倒れこんでしまった。
視界がグルグル回る。
呼吸が出来ない。
僕は衣服のボタンやファスナーを全開にした。
それでも息が苦しい。
気分が悪いのでトイレに行きたいが、もう動く事が出来ない。
次第に周りがザワザワしてきた。
電車も何度か到着・出発してるのできっとその乗客がザワついたのだろう。
しばらくすると駅員さんがやってきた。
「大丈夫ですか!?救急車呼びましょうか!?」
今の僕には病院にかかるようなお金はない。
いや・・・大丈夫です・・・すぐに良くなりますんで、申し訳ないですがベンチに座らせてもらえませんか・・・
駅員さんの手を借りて、大丈夫、大丈夫ですと言いながらベンチに座る僕。
しかし駅員さんがその場を去ると、やはりバッタリ倒れてしまうのであった。
再び駅員さんがやってきて
「やっぱり救急車を呼びましょう」
と言った。
病院だけは避けたいと思った僕は、ショーの事務所に電話してもらった。
どれぐらい経ってからか分からないが、事務所の社員さんが2人で来てくれた。
車に乗せられ事務所の道場に戻る僕。
出る言葉は
スミマセン・・・スミマセン・・・
ただそれのみ。
しばらく休憩したものの一向に回復しない僕を見て社員さんが
「やっぱり病院に行こう」
と僕を起こした。
近くの救急病院に運び込まれた僕。
先ほどまでの記憶も曖昧なんだけど、この辺りは全く覚えていない。
どうやら点滴を受けて、翌日まで入院する事になったらしい。
翌日気がつくと、連絡を受けて母が病院に来ていた。
おそらく今回の症状について母が説明を受けたのだと思うが、僕自身はほとんど何も分からない。
不整脈がどーのとか、今後熱いお風呂は避けた方がいいとか言われた気がする。
それから母と一緒に何か話しながら帰ったと思うが、車で帰ったのか、電車で帰ったのか、帰ってどうしたのかもさっぱり記憶にない。
僕はこれが原因で事務所から、ゴールデンウィーク中の2日間については自宅療養を言い渡された。
もう回復しました!入れてください!
と言ったらしこたま怒られた。
そりゃそうだよね。
かくしてこの時から数年間、僕は原因の分からない体調不良に苦しむ事になる。
~つづく~
しかし意外な落とし穴が・・・
4月、ゴールデンウィークを控えたキャラクターショー業界はあわただしくなる。
年間通じて最も忙しいのがこの時期で、とにかくショーの班数が多い、人が足りない。
例えば、兄弟や学校の友達、さらには友達の友達などまで駆り出してメンバーを集める。
今日は戦隊のリハ、明日はライダーのリハ、あさっては戦隊のショーが終わってからメルヘンのリハ、その翌日にライダーのショーが終わったところで新人が行方不明になりメンバー入れ替え。前日のメルヘンリハが無かった事になり、急遽また戦隊のリハ・・・
なんて事が日常茶飯事なのがゴールデンウィークだ。
しかし、何日も続けてショーが出来る楽しい期間でもある。
体力的にはめっちゃハードだけど・・・
↓↓2001年。自作のオリジナル怪人に扮する僕

僕の初のゴールデンウィークは連日イエローの予定だった。
そんなある日の練習の帰り。
僕は久留米に帰るべく、1人で駅に向かっていた。
駅の前に屋台が出ていたのでラーメンを1杯食べてから切符を買いホームへ。
電車を待っていると、何だか気分が悪くなってきた。
あれ?ラーメンが良くなかったかな??
そう思ったけど、終電を逃すワケにもいかないのでとりあえず家に帰るしかない。
1時間もかからないんだから大丈夫だろう・・・
そう思いながら僕は電車に乗った。
しかし、落ち着くどころか具合いは段々悪くなり、2~3分後に到着した次の駅で飛び降り、トイレに駆け込んで胃の中の物を全部出した(汚くてスミマセン・・・)。
これで落ち着くかな?とホームに戻るもやはり気分は良くならず、再びトイレへ。
ホームとトイレを往復する僕の心臓はバックンバックンと激しく鳴り響き、呼吸が苦しくなってきた。
ベンチで休もうと座ってみたが、僕は体勢を保つ事が出来ず、床に大の字に倒れこんでしまった。
視界がグルグル回る。
呼吸が出来ない。
僕は衣服のボタンやファスナーを全開にした。
それでも息が苦しい。
気分が悪いのでトイレに行きたいが、もう動く事が出来ない。
次第に周りがザワザワしてきた。
電車も何度か到着・出発してるのできっとその乗客がザワついたのだろう。
しばらくすると駅員さんがやってきた。
「大丈夫ですか!?救急車呼びましょうか!?」
今の僕には病院にかかるようなお金はない。
いや・・・大丈夫です・・・すぐに良くなりますんで、申し訳ないですがベンチに座らせてもらえませんか・・・
駅員さんの手を借りて、大丈夫、大丈夫ですと言いながらベンチに座る僕。
しかし駅員さんがその場を去ると、やはりバッタリ倒れてしまうのであった。
再び駅員さんがやってきて
「やっぱり救急車を呼びましょう」
と言った。
病院だけは避けたいと思った僕は、ショーの事務所に電話してもらった。
どれぐらい経ってからか分からないが、事務所の社員さんが2人で来てくれた。
車に乗せられ事務所の道場に戻る僕。
出る言葉は
スミマセン・・・スミマセン・・・
ただそれのみ。
しばらく休憩したものの一向に回復しない僕を見て社員さんが
「やっぱり病院に行こう」
と僕を起こした。
近くの救急病院に運び込まれた僕。
先ほどまでの記憶も曖昧なんだけど、この辺りは全く覚えていない。
どうやら点滴を受けて、翌日まで入院する事になったらしい。
翌日気がつくと、連絡を受けて母が病院に来ていた。
おそらく今回の症状について母が説明を受けたのだと思うが、僕自身はほとんど何も分からない。
不整脈がどーのとか、今後熱いお風呂は避けた方がいいとか言われた気がする。
それから母と一緒に何か話しながら帰ったと思うが、車で帰ったのか、電車で帰ったのか、帰ってどうしたのかもさっぱり記憶にない。
僕はこれが原因で事務所から、ゴールデンウィーク中の2日間については自宅療養を言い渡された。
もう回復しました!入れてください!
と言ったらしこたま怒られた。
そりゃそうだよね。
かくしてこの時から数年間、僕は原因の分からない体調不良に苦しむ事になる。
~つづく~
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