2009-12-01(Tue)
アクションへの道(13)
ハンカチを用意して待て!
なんて引っ張ったワリには涙のひとつも誘わない内容です。
嘘ついてゴメンなさい。
クリスマスイブ、めでたくショーデビューを果たした僕。
そんな僕に先輩からある告知が!
『27日に事務所の忘年会があるけど来れる?』
初めてこの事務所に来てから10日と経たない内に忘年会です!
…あ、お金ないんで…来れないかもしれません…
当時、久留米の我が家から事務所まで通うのに電車代が往復で1040円ぐらいかかってました。
練習が火・水・木曜日。
金曜か土曜にリハがあって日曜にショー。
つまり一週間に5200円の交通費が必要でした(ちなみに数ヶ月後からは月曜日に衣裳の片付けに駆り出されたので週に6240円)。
ちなみにショーのギャランティは4000円だったので親からの借金は山のように積もるばかりでした。
いつも
『アルバイトしよるのに借金ばっかり増えるってどーゆー事ね!』
と怒られていました。
現時点で親に5000円の借金を作っていた僕は、忘年会の会費を貸してくれとは言えない、と思ったのです。
『あぁ、忘年会の日に年内のギャラが出るから大丈夫だよ』
年内って言っても僕は1回しか入ってませんが…
でも先輩が大丈夫って言うなら大丈夫なのかな…
27日、結局忘年会に参加する事にした僕は事務所に寄ってギャラをもらう事にしました。
『じゃあここに印鑑ね』
えっ…印鑑が要るんですか…
今考えたら当然必要だろうけど、初バイト初ギャラの高校生はそんな事知らないよ。
何で誰も教えてくれなかったのか??
愕然として立ち尽くす僕を見て先輩の1人が代理として印鑑を押してくれて何とかギャラをいただく事が出来た。
4000円。
そうか。交通費とかは付かないんだな、ふむふむ…
交通費を差し引くと毎週1200円のマイナスが出る計算です。
僕は先行き不安になり再び立ち尽くしました。
そこに忘年会の幹事をしている先輩がやってきて言いました。
『君は高校生やったよね?会費は4000円でいいよ。』
僕の初ギャラは僕の手から数十秒で去っていきました。
この時の物悲しさを僕は生涯忘れないでしょう。
↓↓1993年頃の僕。イベント会場でスタッフしてた時の写真です。

忘年会の会場は事務所から電車で2駅先のライブハウス。
また電車代が飛んでいきます。
ライブハウスに入るとかなりの人数がひしめきあっていました。
このチームにはこんなにメンバーがいるのか…
年齢層も幅広そうです。
メンバーだけでなく社員さんとか色々いらっしゃるんでしょう。
ただ…
僕はこの中のだ~~~~れも知らないんです!
先日のショーでご一緒した先輩方も自己紹介があったワケでもないし名前も分からない。
かと言って自分から知らない人に声をかけて入っていくなんて出来っこない。
出来っこない!!
ましてやペーペーの新人がうかつに入れない独特の雰囲気、独特のテンションなんです。
僕は2時間ほど、全く知らない先輩方に囲まれて、
誰に話しかけるでもなく、
誰かに話しかけられるでもなく、
先輩の前にある料理に手を伸ばす事も出来ず、
『烏龍茶下さい』
すら言えず空になったグラスを持ち、ただ地蔵のように固まっておりました。
烏龍茶1杯の忘年会です。
荒行のような忘年会は偉い人の挨拶で締められ、全員がライブハウスからドヤドヤと出ていきました。
どうしていいか分からない僕はただみなさんの後に従います。
…誰とも話さなかった…
憔悴しきってドヨ~ンとしている僕…
と、前を歩いていた先輩がくるりと振り返り僕に声をかけました!
『俺らは2次会に行くけど、君は高校生やし久留米やからもう帰った方がいいよ』
…初めての…
…会話が…
…これ…
……
…
はぁ…そうですね…帰ります…
『うん。気をつけてね。お疲れ様~』
僕はたった1人、みんなに背を向け、駅へと歩いて行くのでした…
トボトボと…
トボトボと…
うわあぁ~~ん!
思い出すだけで切ないわ!
…てなワケで、ハンカチが必要だったのは僕だったって事で。
自分が先輩になったら新人さんには積極的に話しかけようと誓った師走の夜でした。
間もなく1991年。
なんて引っ張ったワリには涙のひとつも誘わない内容です。
嘘ついてゴメンなさい。
クリスマスイブ、めでたくショーデビューを果たした僕。
そんな僕に先輩からある告知が!
『27日に事務所の忘年会があるけど来れる?』
初めてこの事務所に来てから10日と経たない内に忘年会です!
…あ、お金ないんで…来れないかもしれません…
当時、久留米の我が家から事務所まで通うのに電車代が往復で1040円ぐらいかかってました。
練習が火・水・木曜日。
金曜か土曜にリハがあって日曜にショー。
つまり一週間に5200円の交通費が必要でした(ちなみに数ヶ月後からは月曜日に衣裳の片付けに駆り出されたので週に6240円)。
ちなみにショーのギャランティは4000円だったので親からの借金は山のように積もるばかりでした。
いつも
『アルバイトしよるのに借金ばっかり増えるってどーゆー事ね!』
と怒られていました。
現時点で親に5000円の借金を作っていた僕は、忘年会の会費を貸してくれとは言えない、と思ったのです。
『あぁ、忘年会の日に年内のギャラが出るから大丈夫だよ』
年内って言っても僕は1回しか入ってませんが…
でも先輩が大丈夫って言うなら大丈夫なのかな…
27日、結局忘年会に参加する事にした僕は事務所に寄ってギャラをもらう事にしました。
『じゃあここに印鑑ね』
えっ…印鑑が要るんですか…
今考えたら当然必要だろうけど、初バイト初ギャラの高校生はそんな事知らないよ。
何で誰も教えてくれなかったのか??
愕然として立ち尽くす僕を見て先輩の1人が代理として印鑑を押してくれて何とかギャラをいただく事が出来た。
4000円。
そうか。交通費とかは付かないんだな、ふむふむ…
交通費を差し引くと毎週1200円のマイナスが出る計算です。
僕は先行き不安になり再び立ち尽くしました。
そこに忘年会の幹事をしている先輩がやってきて言いました。
『君は高校生やったよね?会費は4000円でいいよ。』
僕の初ギャラは僕の手から数十秒で去っていきました。
この時の物悲しさを僕は生涯忘れないでしょう。
↓↓1993年頃の僕。イベント会場でスタッフしてた時の写真です。

忘年会の会場は事務所から電車で2駅先のライブハウス。
また電車代が飛んでいきます。
ライブハウスに入るとかなりの人数がひしめきあっていました。
このチームにはこんなにメンバーがいるのか…
年齢層も幅広そうです。
メンバーだけでなく社員さんとか色々いらっしゃるんでしょう。
ただ…
僕はこの中のだ~~~~れも知らないんです!
先日のショーでご一緒した先輩方も自己紹介があったワケでもないし名前も分からない。
かと言って自分から知らない人に声をかけて入っていくなんて出来っこない。
出来っこない!!
ましてやペーペーの新人がうかつに入れない独特の雰囲気、独特のテンションなんです。
僕は2時間ほど、全く知らない先輩方に囲まれて、
誰に話しかけるでもなく、
誰かに話しかけられるでもなく、
先輩の前にある料理に手を伸ばす事も出来ず、
『烏龍茶下さい』
すら言えず空になったグラスを持ち、ただ地蔵のように固まっておりました。
烏龍茶1杯の忘年会です。
荒行のような忘年会は偉い人の挨拶で締められ、全員がライブハウスからドヤドヤと出ていきました。
どうしていいか分からない僕はただみなさんの後に従います。
…誰とも話さなかった…
憔悴しきってドヨ~ンとしている僕…
と、前を歩いていた先輩がくるりと振り返り僕に声をかけました!
『俺らは2次会に行くけど、君は高校生やし久留米やからもう帰った方がいいよ』
…初めての…
…会話が…
…これ…
……
…
はぁ…そうですね…帰ります…
『うん。気をつけてね。お疲れ様~』
僕はたった1人、みんなに背を向け、駅へと歩いて行くのでした…
トボトボと…
トボトボと…
うわあぁ~~ん!
思い出すだけで切ないわ!
…てなワケで、ハンカチが必要だったのは僕だったって事で。
自分が先輩になったら新人さんには積極的に話しかけようと誓った師走の夜でした。
間もなく1991年。
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