2012-09-06(Thu)
善も偽善も行為に差はない、と僕は思うんですよ。
モダンチョキチョキズは
『人の為に善いと書いて偽善♪』
って歌ってましたよね。
僕は善い事をする時に、
『これは人の為にやってるんだ…』
なんて言う人を信用しません。
『人の為に善いと言う奴は偽善』
だと思ってるんです。
逆に、内心どんな下心があったって、黙って善い事をやればその行為は『善』だと思うんです。
なのでキャラクターショーでヒーローが
『地球の為に!』
『子供達の為に!』
『みんなを守る為に!』
なんて言ってると、
『偽善じゃねぇのか!?』
と問い詰めたくなるんです。
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カッコイイポーズをキメて『この町の平和はオレが守る!』って言ってるのに
その町の交通死亡事故をなんで防がないの?って聞きた〜い!
偽善やってま〜す(笑)
「情けは人の為ならず」もとい!「偽善は人の為ならず」。
『為に』という言葉に過剰に反応してしまう僕は、無責任に『地球を守る為に戦う!』なんて言ってるヒーローを信用出来ません。
『じゃあ何の為に地球を守るの?』なんて意地悪な質問をしたくなります。
僕が、まだキチンと観た事のないドラゴンマンを大好のは、その『何の為に』がハッキリしてるからのように思えます。
環境を守る事は自然や生物を含む地球を守る事であり、それは即ち、自分達人類の未来を守る事
dragonmacさんのブログやお話から僕が感じるのは上記のような思想で(的外れだったらスミマセン)、そこから『共存』という言葉を思い浮かべています。
上から目線で『地球を守る為に』と言ってるヒーローと違い、当事者として環境を守る為に戦っているヒーローがドラゴンマンだと思っています。
全く外れておりません。3つくらいの的がすべて、ど真ん中貫通です。僕が説明しきれないところまで説明してくださっている感じで、感謝です。
ただ唯一違っているというわけではないですが、
「そうありたい」と思ってやっているので、本当にできているかどうかは、代表のおっしゃる通り観てくださった方々の判断だと思ってます。
確かにテーマは「共存」ですね。人間は、地球に生かされている生物に過ぎない存在。ドラゴンマンは、その弱い人間たちの姿を変えたもので、色々な力を合わせないと勝てない相手と戦っている。そこから観てくれた人たちが「共存の道」を見つけてくれたらこんなに嬉しいことはありません。
テレビのヒーローたちが守っている地球や町の平和は、テレビの中の世界であって、そのヒーローたちが町にショーをしにやって来ても、やっぱりテレビの中の世界観が適用されるわけで、子どもたちは混乱しなくて済みます。むしろ身近には感じても、どこかやっぱり夢の世界、テレビの世界というアリバイがあります。
しかし、身近なリアルな町の名前を冠したキャラクターはそうはいきません。
都合でバーチャルな世界に逃げるわけにはいかない覚悟が必要だと思うんですね。
子どもたちの前で「平和を守る」と見栄を切った以上、自分たちの作った怪人との戦いだけでなく、現実の世界の諍いごと、子どもたちを取り巻く社会悪から守らないと、安直なテレビのまねごとでは、子どもたちに嘘をつくヒーローまがいの似非キャラになってしまう。
無免許運転者の居眠り運転によって起きた、理不尽な交通事故で親を亡くした子どもの前で
「この町の平和はオレが守る!」って言えるのか?って。
その子に
「なんであの運転手をやっつけてくれないの?あいつをやっつけたら、お父さん帰ってくるよね。」って言われたらどう答えるんだ?って、いつも観るたびに思うんですよね。
むしろ、まだまだ僕らには町の平和を守ることができないけれど、共に悲しみ、心の痛みを少しでも僅かな時間でも紛らせられて、負けそうになってもあきらめずに、友だちや周りの人たちと一緒に前を向こう、と思ってもらえるショーキャラクターにしていきたいと思っています。
同意同感です!
僕にとってヒーローショーは、人間の代表として戦うヒーローを『カッコいいね~』と子供が眺めるだけのものでなく、戦う、立ち上がる、立ち向かうヒーローの姿を見た子供達に
『自分達もああならなきゃ』
と思ってもらう為のものだと思ってます。
さやか見参!は架空の世界のお話ですが、だからこそ余計にそこを意識してます。