2012-05-06(Sun)
真剣、と書いて、マジ
真剣味が足りない人っていますよねー。
『オマエ、もっと真剣に頑張れよ!』
と喝を入れても、何となく“ふわ~ん”としてるってゆーか。
そーゆー人を見てると、
『てめ、やる気ねーのか!』
って、キレそうになっちゃいますね。
分かります。
でも少々お待ちを。
意外に本人は、真剣にやってたりするんです。
全然そうは見えないですけど。
『真剣に頑張る』
って個人差がありますよね。
しかもその差はかなり大きい。
この差を無視すると、いつまでもすれ違いが続く事になります。
じゃあ、その差はどうして生まれるのか?
『これまでの人生でどれだけの壁を乗り越えてきたか』
これが差を生む、のだと思います。
まだ低い壁しか乗り越えた事がない人にとっては、その『低い壁』が自分の(現時点での)限界なんです。
高い壁にぶつかり、泣いて、吐いて、倒れて、それでも乗り越えた人は、それだけ限界点も高いんです。
限界点に差があれば、『頑張る』にも差が生まれますよね。
『俺はこんなに汗だくになって頑張ってる!』
って人もいれば、
『3日間徹夜して、途中で倒れて点滴受けて、あちこち怪我もしたけど頑張った』
って人もいるでしょう。
これが『頑張るの個人差』ですね。
どちらも自分の限界基準の中で頑張ってるんです。
しかし後者からすれば、低い壁しか乗り越えてないくせに、額の汗を拭いながら
『ふぅ~、俺頑張った~』
なんて言ってる前者は頑張ってるようには見えないと思います。
『もっと頑張ればもっと高い壁も越えられるだろ!』
と言いたくなると思います。
『そんな低い壁しか登れないのは頑張ってない証拠だ!』
と。
すると前者は
『俺だって頑張ってるよ!』
『頑張ってるけど、この高さが限界なんだよ!』
と反論したくなるでしょう。
基準自体に差があるので、どうしてもズレが生まれてしまうんですよね。
さて、この話、
『一見頑張ってないように見える人でも“その人なりに”頑張ってるんだから一概に責めちゃいけないよ』
ってメッセージ…
ではありません。
逆です、逆。
『俺は頑張ってるのに、周りがみんな“オマエは頑張ってない”って言うんだよな~』
ってボヤいてる人達に、
『君達の限界は、まだまだ先にある!まだまだ頑張れるんだ!もう1歩!とりあえず足を踏み出せ!』
と喝を入れようという内容でした♪
自分の中の限界点を底上げするべし!!
『オマエ、もっと真剣に頑張れよ!』
と喝を入れても、何となく“ふわ~ん”としてるってゆーか。
そーゆー人を見てると、
『てめ、やる気ねーのか!』
って、キレそうになっちゃいますね。
分かります。
でも少々お待ちを。
意外に本人は、真剣にやってたりするんです。
全然そうは見えないですけど。
『真剣に頑張る』
って個人差がありますよね。
しかもその差はかなり大きい。
この差を無視すると、いつまでもすれ違いが続く事になります。
じゃあ、その差はどうして生まれるのか?
『これまでの人生でどれだけの壁を乗り越えてきたか』
これが差を生む、のだと思います。
まだ低い壁しか乗り越えた事がない人にとっては、その『低い壁』が自分の(現時点での)限界なんです。
高い壁にぶつかり、泣いて、吐いて、倒れて、それでも乗り越えた人は、それだけ限界点も高いんです。
限界点に差があれば、『頑張る』にも差が生まれますよね。
『俺はこんなに汗だくになって頑張ってる!』
って人もいれば、
『3日間徹夜して、途中で倒れて点滴受けて、あちこち怪我もしたけど頑張った』
って人もいるでしょう。
これが『頑張るの個人差』ですね。
どちらも自分の限界基準の中で頑張ってるんです。
しかし後者からすれば、低い壁しか乗り越えてないくせに、額の汗を拭いながら
『ふぅ~、俺頑張った~』
なんて言ってる前者は頑張ってるようには見えないと思います。
『もっと頑張ればもっと高い壁も越えられるだろ!』
と言いたくなると思います。
『そんな低い壁しか登れないのは頑張ってない証拠だ!』
と。
すると前者は
『俺だって頑張ってるよ!』
『頑張ってるけど、この高さが限界なんだよ!』
と反論したくなるでしょう。
基準自体に差があるので、どうしてもズレが生まれてしまうんですよね。
さて、この話、
『一見頑張ってないように見える人でも“その人なりに”頑張ってるんだから一概に責めちゃいけないよ』
ってメッセージ…
ではありません。
逆です、逆。
『俺は頑張ってるのに、周りがみんな“オマエは頑張ってない”って言うんだよな~』
ってボヤいてる人達に、
『君達の限界は、まだまだ先にある!まだまだ頑張れるんだ!もう1歩!とりあえず足を踏み出せ!』
と喝を入れようという内容でした♪
自分の中の限界点を底上げするべし!!
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