2012-02-12(Sun)
小説・さやか見参!(138)
さやかは離れにある小さめの座敷にて不問を待っていた。
正座すると、手裏剣で裂かれた太ももの傷が痛んだ。
(痛いぐらいがいい)
さやかは思った。
傷が痛めば緊張が和らぐような気がしたのだ。
不問に会うのは緊張する。
もちろん、もう一人の叔父である練武にも緊張するのだが、しかし不問は明らかに異質であった。
掴み所がない、というのか、考えが読めない、というのか…
そんな事を考えていると襖が開いた。
不問だ。
もう五十に近いというのにその顔は若い。
すらりとした長身が若さを強調しているのかもしれない。
柿渋で染めた上下の作務衣に身を包んだその姿は若隠居といった風情だ。
さやかはすっと頭を下げる。
『あぁ、いい、いい、そんなに畏まらんでも』
口調が軽い。
不問はいつもこんな感じだ。
『頭も、ね、上げなさい。傷が痛むだろうから足も崩しなさい』
そう言いながら不問はささっとさやかの前に座った。
さやかは頭を上げて不問の顔を見る。
当然足を崩すような事はしない。
『怪我人なんだから、そこで寝てもらってても全然かまわないんだよ』
『ご冗談を…そのような使者は聞いた事がございません』
さやかは軽く流した。
だが冗談ではなかったようで、不問は手を打ち
『いいやそれがいい。誰か、布団と薬草と薬湯を持ってきなさい』
と人を呼んだ。
『え?…えっ!?…あ、あのっ…』
かくしてさやかは女中達に囲まれ、敷かれた布団の上で手厚い看護を受ける事になってしまった。
固辞するさやかの事など気にもせず不問は座敷を出て襖を閉じる。
『ここまでご迷惑をかけては父に叱られます。どうぞ中に入られて下さい』
『何を言う。手当て中の姪っ子の裸など見たら、私の方が兄に叱られるわ』
襖の向こうから笑い声が聞こえた。
『私の傷など放っておいていただいてかまいません』
『なぁに、来るのが遅いからね、途中で何かあったんだと思って準備していたんだよ』
さやかは黒い襦袢を女中達に脱がされ、傷口に薬を塗られていた。
『何かあったんなら善い事か悪い事か。さやかの性格から言って、任務より善い事を優先するとは思えない。でも何故か、昔から危ない事には首を突っ込んでしまうところがあるよね』
図星である。
『迫ってくる危険なら回避も容易いけど、自分から入ってしまっては脱する事は難しい。だから多少の怪我はしてるんじゃないかと思っていたよ。想像以上に酷い怪我で驚いたけど』
不問はもう一度笑った。
快活な笑い声を聞いて、さやかは情けない気持ちになる。
『本当に申し訳ありません。身勝手な行動をした結果、このような無様な姿を晒してしまい、不問様にまでご迷惑を』
『別に迷惑ではないぞ。さやかの命も無事で任務も果たしているじゃないか』
さやかの旅の目的は、不問に巻き物を届ける事であった。
確かに巻き物は手元にある。
『私の命はともかく、下手をすれば巻き物を奪われていたかもしれません。軽率な行動ゆえに』
『さやか、おまえは山吹の中でも突出した才を持つくのいちだ。だがな、まだまだ若い。今は色々経験して成長する時期なのだ』
『しかし、山吹の後継としては悠長な時間は』
『人は経験を積まねば成長出来んよ。経験は年齢に付随するものだから、焦っても仕方がない』
慰められているような気がしてさやかはうつむいた。
傷口に包帯が巻かれていく。
『兄のたけるは幼き頃より優れた忍びであったと聞いております。それに不問様も幼少の頃より並外れた才能を発揮されていたと。優秀な者は皆そうなのではないのですか?私には生まれ持った才が足りないのかもしれません』
『はははっ』
語気を荒げるさやかに対し、不問は短く笑った。
『人には誰しも、持って生まれた才能というのがあるんだよ。兄上達もそう、たけるもそう、もちろんさやかだって持っている。種類は違えどその才には多いも少ないもない』
女中達は手当てを終えると、さやかに長襦袢を着せて布団に寝かせた。
さやかの身体が柔らかに沈み込む。
掛けられた布団も羽根のように軽く暖かい。
そして何やらいい香りがした。
その香りは布団からだけではなく、纏っている襦袢からも香ってくる。
なんだかほっとする香りだ。
さやかが落ち着いたのを確認してから女中の一人が襖に近付いた。
『不問様』
膝をついて声をかける。
手当てが済んだら改めて面会する手筈になっていたのだろう。
だが襖の向こうからは
『しばらく静かに寝かせておいてあげなさい』
という優しい声が返ってきた。
女中が驚いて振り返ると、さやかはすやすやと寝息を立てていた。
山吹の里を出立して数日ぶりの安らかな眠りだった。
正座すると、手裏剣で裂かれた太ももの傷が痛んだ。
(痛いぐらいがいい)
さやかは思った。
傷が痛めば緊張が和らぐような気がしたのだ。
不問に会うのは緊張する。
もちろん、もう一人の叔父である練武にも緊張するのだが、しかし不問は明らかに異質であった。
掴み所がない、というのか、考えが読めない、というのか…
そんな事を考えていると襖が開いた。
不問だ。
もう五十に近いというのにその顔は若い。
すらりとした長身が若さを強調しているのかもしれない。
柿渋で染めた上下の作務衣に身を包んだその姿は若隠居といった風情だ。
さやかはすっと頭を下げる。
『あぁ、いい、いい、そんなに畏まらんでも』
口調が軽い。
不問はいつもこんな感じだ。
『頭も、ね、上げなさい。傷が痛むだろうから足も崩しなさい』
そう言いながら不問はささっとさやかの前に座った。
さやかは頭を上げて不問の顔を見る。
当然足を崩すような事はしない。
『怪我人なんだから、そこで寝てもらってても全然かまわないんだよ』
『ご冗談を…そのような使者は聞いた事がございません』
さやかは軽く流した。
だが冗談ではなかったようで、不問は手を打ち
『いいやそれがいい。誰か、布団と薬草と薬湯を持ってきなさい』
と人を呼んだ。
『え?…えっ!?…あ、あのっ…』
かくしてさやかは女中達に囲まれ、敷かれた布団の上で手厚い看護を受ける事になってしまった。
固辞するさやかの事など気にもせず不問は座敷を出て襖を閉じる。
『ここまでご迷惑をかけては父に叱られます。どうぞ中に入られて下さい』
『何を言う。手当て中の姪っ子の裸など見たら、私の方が兄に叱られるわ』
襖の向こうから笑い声が聞こえた。
『私の傷など放っておいていただいてかまいません』
『なぁに、来るのが遅いからね、途中で何かあったんだと思って準備していたんだよ』
さやかは黒い襦袢を女中達に脱がされ、傷口に薬を塗られていた。
『何かあったんなら善い事か悪い事か。さやかの性格から言って、任務より善い事を優先するとは思えない。でも何故か、昔から危ない事には首を突っ込んでしまうところがあるよね』
図星である。
『迫ってくる危険なら回避も容易いけど、自分から入ってしまっては脱する事は難しい。だから多少の怪我はしてるんじゃないかと思っていたよ。想像以上に酷い怪我で驚いたけど』
不問はもう一度笑った。
快活な笑い声を聞いて、さやかは情けない気持ちになる。
『本当に申し訳ありません。身勝手な行動をした結果、このような無様な姿を晒してしまい、不問様にまでご迷惑を』
『別に迷惑ではないぞ。さやかの命も無事で任務も果たしているじゃないか』
さやかの旅の目的は、不問に巻き物を届ける事であった。
確かに巻き物は手元にある。
『私の命はともかく、下手をすれば巻き物を奪われていたかもしれません。軽率な行動ゆえに』
『さやか、おまえは山吹の中でも突出した才を持つくのいちだ。だがな、まだまだ若い。今は色々経験して成長する時期なのだ』
『しかし、山吹の後継としては悠長な時間は』
『人は経験を積まねば成長出来んよ。経験は年齢に付随するものだから、焦っても仕方がない』
慰められているような気がしてさやかはうつむいた。
傷口に包帯が巻かれていく。
『兄のたけるは幼き頃より優れた忍びであったと聞いております。それに不問様も幼少の頃より並外れた才能を発揮されていたと。優秀な者は皆そうなのではないのですか?私には生まれ持った才が足りないのかもしれません』
『はははっ』
語気を荒げるさやかに対し、不問は短く笑った。
『人には誰しも、持って生まれた才能というのがあるんだよ。兄上達もそう、たけるもそう、もちろんさやかだって持っている。種類は違えどその才には多いも少ないもない』
女中達は手当てを終えると、さやかに長襦袢を着せて布団に寝かせた。
さやかの身体が柔らかに沈み込む。
掛けられた布団も羽根のように軽く暖かい。
そして何やらいい香りがした。
その香りは布団からだけではなく、纏っている襦袢からも香ってくる。
なんだかほっとする香りだ。
さやかが落ち着いたのを確認してから女中の一人が襖に近付いた。
『不問様』
膝をついて声をかける。
手当てが済んだら改めて面会する手筈になっていたのだろう。
だが襖の向こうからは
『しばらく静かに寝かせておいてあげなさい』
という優しい声が返ってきた。
女中が驚いて振り返ると、さやかはすやすやと寝息を立てていた。
山吹の里を出立して数日ぶりの安らかな眠りだった。
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