2012-02-06(Mon)
小説・さやか見参!(136)
さやかと音駒は黙って歩いた。
何を話したらいいのか分からないまま、少しずつ巨大な林に近付く。
まるで樹々が群れをなして迫ってきているようだ、とさやかは思った。
実際に近付いているのは自分達なのに。
―と、
『あれ?』
さやかは林の入り口辺りに何か異質なものを見つけた。
『どうしました?』
『音駒さん、あれ…』
指を差すが、まだ音駒には見えない距離だ。
『なんです?』
『あの樹の下』
説明しても音駒には見えないし、自分が走って行く事も出来ない。
もどかしい思いで足を引きずり歩く。
『あ、あれは…』
今度声をあげたのは音駒だった。
林に入ってすぐの地面に、反りのない抜き身が突き立てられていたのだ。
鍔に山吹紋が入ったそれはまさしく、山吹流の、山吹さやかの刀だった。
おまけに、林の向こうに隠してきたはずの変装道具一式まで置かれている。
行李を下ろした音駒が尋ねる。
『これ、さやかさんの…?』
さやかは頷いた。
『誰がこれを…』
さやかが訝しがる。
『きっと親切な人が通りかかって…』
言いかけた音駒だが、ちらと見られて
『…そんなわけ、ないですよねぇ…』
と自己否定した。
『ま、誰のしわざか分からないけど受け取っておくわ』
さやかは地面から刀を抜き取ると丁寧に泥を拭いてから納刀した。
『私が考え付く可能性は二つ。
味方が助けてくれたか敵に塩を送られたか。
でも味方ならどうして正体を明かさないのか分からないし、敵ならどうして助けてくれるのか分からない。
おまけに、こっちは何にも分からないけど、向こうは私の行動を全て把握してるって事よね。
だったら今更焦っても仕方ないわ』
さやかは拗ねた顔をした。
そしてどこともない空に向かって、
『どこの誰だか知らないけどありがたくいただくわよ!お礼は言わないけどね!!』
と怒鳴った。
少しは元気になったようだ。
『ねぇ、音駒さん』
さやかが明るく声をかけた。
『なんですか?』
『音駒さんはどうしてお医者さんになろうと思ったんですか?きっと何かきっかけがあったんですよね?』
音駒が意表を突かれた顔をした。
先ほど『生きる事の大切さ』を説いた時の音駒の瞳に、さやかは何かを感じ取っていたのだ。
きっと、命というものを痛感する出来事があったに違いない。
だが音駒が答えようとする前にさやかがそれを制した。
『今は答えないで。その答えは、次に会った時に聞かせて下さい』
『次?』
『音駒さんはこれからもしばらくは林の向こうまで通うんでしょ?』
『そうですね。その予定です。治療にはまだ時間がかかりますから』
『私、用事を済ませたら帰りにここを通ります。そして必ず音駒さんに会います。助けてもらったお礼もしたいし』
音駒は驚いた顔のまま固まっていた。
医者と忍者。
本来なら触れ合うはずのなかった2人である。
『ねぇいいでしょ?駄目ですか?』
さやかはまっすぐに音駒を見た。
音駒はしばらくぽかんとしていたが、柔らかい笑みを見せて
『分かりました。再会を楽しみにしてます』
と応えた。
『良かったぁ!それじゃ、一旦お別れですね』
『はい。道中お気をつけて。…あ、でも、その格好は目立ちますよね。女性の一人旅も危ないし…』
さやかは桜色の忍び装束なのだ。
『大丈夫です。これでばっちり変装して行きますから』
得意気に風呂敷包みを見せる。
『変装といっても異性に化ける事は出来ないでしょう。すぐにバレてしまう』
『そう思います?』
さやかはいたずらっぽく笑った。
『音駒さん、少しだけ後ろ向いててもらえますか?』
『えっ?どうして』
『いいから』
音駒は言われるまま後ろを向いた。
『一体なんですか?』
『もういいですよ』
何が何だか分からないまま振り返る。
そして、
音駒は驚いて腰を抜かした。
情けなく『わぁっ!』と悲鳴をあげて。
目を離したのは一瞬だというのに、振り返った先にはいつの間にか、野良仕事で汚れきった百姓の青年が立っていたのだ。
へたりこんで口をぱくぱくさせる音駒に青年は
『へぇ、一昨日は全く気付かれなかったもんで、この先も大丈夫かと』
と意地悪な笑顔を見せた。
『えっ?えっ!?さ、さやかさん!?』
信じられないのも無理はない。
見た目もさる事ながら、その声も声変わりした男性のものだったからだ。
『おら達は見た目も声も、いくらでも変えられるだで。驚くほどのもんでもねぇ』
『えっ、えっ?でもっ』
頭で分かっても受け入れるのは時間がかかるのだろう。
『また見ちまった。おめぇさんの腰抜かした姿』
百姓は左手を差し出した。
音駒はその手を掴み、照れ笑いを浮かべて立ち上がる。
『いや、ほんとに驚きました。忍者ってすごいんですね』
感嘆の言葉に百姓は笑顔で返した。
そして、山吹さやかの声で
『本当にありがとうございました。音駒さんも道中お気をつけて』
と言って頭を下げた。
一瞬だけ、2人を包む時が止まったような気がした。
それはさやかの願望だったのかもしれない。
『それじゃ、また』
行李を背負った音駒はさやかに背を向けて歩きだす。
音駒は音駒の道を歩いていく。
さやかも進むべき道がある。
しかし、その二つの道はいずれまた交わるのだと、
さやかはそう信じ、音駒の後ろ姿が見えなくなるまで立ち尽くした。
何を話したらいいのか分からないまま、少しずつ巨大な林に近付く。
まるで樹々が群れをなして迫ってきているようだ、とさやかは思った。
実際に近付いているのは自分達なのに。
―と、
『あれ?』
さやかは林の入り口辺りに何か異質なものを見つけた。
『どうしました?』
『音駒さん、あれ…』
指を差すが、まだ音駒には見えない距離だ。
『なんです?』
『あの樹の下』
説明しても音駒には見えないし、自分が走って行く事も出来ない。
もどかしい思いで足を引きずり歩く。
『あ、あれは…』
今度声をあげたのは音駒だった。
林に入ってすぐの地面に、反りのない抜き身が突き立てられていたのだ。
鍔に山吹紋が入ったそれはまさしく、山吹流の、山吹さやかの刀だった。
おまけに、林の向こうに隠してきたはずの変装道具一式まで置かれている。
行李を下ろした音駒が尋ねる。
『これ、さやかさんの…?』
さやかは頷いた。
『誰がこれを…』
さやかが訝しがる。
『きっと親切な人が通りかかって…』
言いかけた音駒だが、ちらと見られて
『…そんなわけ、ないですよねぇ…』
と自己否定した。
『ま、誰のしわざか分からないけど受け取っておくわ』
さやかは地面から刀を抜き取ると丁寧に泥を拭いてから納刀した。
『私が考え付く可能性は二つ。
味方が助けてくれたか敵に塩を送られたか。
でも味方ならどうして正体を明かさないのか分からないし、敵ならどうして助けてくれるのか分からない。
おまけに、こっちは何にも分からないけど、向こうは私の行動を全て把握してるって事よね。
だったら今更焦っても仕方ないわ』
さやかは拗ねた顔をした。
そしてどこともない空に向かって、
『どこの誰だか知らないけどありがたくいただくわよ!お礼は言わないけどね!!』
と怒鳴った。
少しは元気になったようだ。
『ねぇ、音駒さん』
さやかが明るく声をかけた。
『なんですか?』
『音駒さんはどうしてお医者さんになろうと思ったんですか?きっと何かきっかけがあったんですよね?』
音駒が意表を突かれた顔をした。
先ほど『生きる事の大切さ』を説いた時の音駒の瞳に、さやかは何かを感じ取っていたのだ。
きっと、命というものを痛感する出来事があったに違いない。
だが音駒が答えようとする前にさやかがそれを制した。
『今は答えないで。その答えは、次に会った時に聞かせて下さい』
『次?』
『音駒さんはこれからもしばらくは林の向こうまで通うんでしょ?』
『そうですね。その予定です。治療にはまだ時間がかかりますから』
『私、用事を済ませたら帰りにここを通ります。そして必ず音駒さんに会います。助けてもらったお礼もしたいし』
音駒は驚いた顔のまま固まっていた。
医者と忍者。
本来なら触れ合うはずのなかった2人である。
『ねぇいいでしょ?駄目ですか?』
さやかはまっすぐに音駒を見た。
音駒はしばらくぽかんとしていたが、柔らかい笑みを見せて
『分かりました。再会を楽しみにしてます』
と応えた。
『良かったぁ!それじゃ、一旦お別れですね』
『はい。道中お気をつけて。…あ、でも、その格好は目立ちますよね。女性の一人旅も危ないし…』
さやかは桜色の忍び装束なのだ。
『大丈夫です。これでばっちり変装して行きますから』
得意気に風呂敷包みを見せる。
『変装といっても異性に化ける事は出来ないでしょう。すぐにバレてしまう』
『そう思います?』
さやかはいたずらっぽく笑った。
『音駒さん、少しだけ後ろ向いててもらえますか?』
『えっ?どうして』
『いいから』
音駒は言われるまま後ろを向いた。
『一体なんですか?』
『もういいですよ』
何が何だか分からないまま振り返る。
そして、
音駒は驚いて腰を抜かした。
情けなく『わぁっ!』と悲鳴をあげて。
目を離したのは一瞬だというのに、振り返った先にはいつの間にか、野良仕事で汚れきった百姓の青年が立っていたのだ。
へたりこんで口をぱくぱくさせる音駒に青年は
『へぇ、一昨日は全く気付かれなかったもんで、この先も大丈夫かと』
と意地悪な笑顔を見せた。
『えっ?えっ!?さ、さやかさん!?』
信じられないのも無理はない。
見た目もさる事ながら、その声も声変わりした男性のものだったからだ。
『おら達は見た目も声も、いくらでも変えられるだで。驚くほどのもんでもねぇ』
『えっ、えっ?でもっ』
頭で分かっても受け入れるのは時間がかかるのだろう。
『また見ちまった。おめぇさんの腰抜かした姿』
百姓は左手を差し出した。
音駒はその手を掴み、照れ笑いを浮かべて立ち上がる。
『いや、ほんとに驚きました。忍者ってすごいんですね』
感嘆の言葉に百姓は笑顔で返した。
そして、山吹さやかの声で
『本当にありがとうございました。音駒さんも道中お気をつけて』
と言って頭を下げた。
一瞬だけ、2人を包む時が止まったような気がした。
それはさやかの願望だったのかもしれない。
『それじゃ、また』
行李を背負った音駒はさやかに背を向けて歩きだす。
音駒は音駒の道を歩いていく。
さやかも進むべき道がある。
しかし、その二つの道はいずれまた交わるのだと、
さやかはそう信じ、音駒の後ろ姿が見えなくなるまで立ち尽くした。
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