
縛り上げられた紅蓮丸と炎丸が本堂に転がされたのは計画が失敗して間もなくの事だった。
興奮冷めやらぬ二人は左右から取り押さえられ身動き出来ない中でも強気な姿勢を崩していない。
『ふん!今回は失敗しましたが次こそは必ずあなた方の寝首を掻いてやりますからね!』
『そうだぜぇ!炎一族の力、思い知らせてやるぜぇ!!』
そう言って暴れる二人に幻龍の配下は呆れた表情を隠せなかった。
『おまえ達、本気でそう言っているのか』
傍らに立つ上忍がそう訊いた。
『はぁ!?』
紅蓮丸が喰ってかかる。
『本気で次の機会があると思っているのか』
『もちろんよ!今度は間違いなく』
『おまえ達はここで死ぬのだぞ』
その言葉に紅蓮丸はきょとんとした顔をした。
『…え…?』
紅蓮丸は炎丸を見る。
弟も同じように鳩が豆鉄砲を喰らったような表情をしていた。
『それってどういう事よ』
紅蓮丸が女言葉になっている。
感情が高ぶった時だけでなく混乱した時もこうなってしまうのだろう。
『どうもこうもない。おまえ、組織に歯向かっておいて生きて許されると思っていたのか?』
他の忍び達も厳しい声を上げた。
『反逆を企て失敗したのだ。殺されて当然であろう』
『よもやその覚悟もなくイバラキ様を裏切ろうとしたのか?』
周囲に濃密な殺気が立ち込めた。
それは空気だけで炎兄弟を震え上がらせるに足るものだった。
『ちょ、ちょっと待ちなさいよ!私達は誰も殺してないじゃないの!それなのに殺されるなんて筋が通らないわよ!』
『上手くいけばイバラキ様を亡き者にする手筈であったのだろうが』
『その計画を実行した事が死罪に値するのだ』
『そういう事だ。おまえ達は、今ここで、殺す』
紅蓮丸と炎丸が押し倒された。
床に押さえつけられ身動きが取れず、二人は無様に
『あ、あわ、あわわわわっ』
と震える事しか出来なかった。
そこへ、
『まぁ待て』
という声と共に、
幻龍イバラキが現れた。
『イ、イバラキ!!』
紅蓮丸が思わず声を上げる。
だが、紅蓮丸と炎丸が驚いたのはイバラキの登場にではなく、その後ろに立っている灯火丸の姿に対してであった。
『灯火丸!?』
『あんた、無事なの!?』
そう問われて、灯火丸はただ申し分けなさそうにうつむいた。
その態度を見て紅蓮丸が眉間に皺を寄せた。
『まさかあんた、私達を裏切ったわけじゃないわよね…?』
炎丸が横にいる紅蓮丸とイバラキの後ろにいる灯火丸を交互に見て
『えっ?…えーっ!?おまえ、兄弟を裏切ってイバラキに寝返ったってのかぁ!?そりゃないぜぇ!!』
と声を荒げた。
『静かにしろ!!』
と中忍が二人の顔を床に押し付ける。
そこへ
『灯火丸の事は、まぁ置いておけ』
とイバラキが近付いてきた。
それだけで、先程まで配下達が放っていた殺気をはるかに凌駕する威圧感があった。
『何かを成すというのは常に命懸けだ。どんな些細な事であってもな。成すれば生き、成せねば死す。その覚悟を持って臨むのが夢であり野望だ』
イバラキは紅蓮丸の目を見る。
『悲願と言ってもいい』
それは兄弟が掲げる炎一族の再建を指しているのだろう。
『その夢や野望や悲願が大きければ大きいほど己が懸けるものも大きくなる。他人を巻き込めばなおさらだ。奪うものも、失うものも大きくなる。おぬし達はそこまで考えた事があるか?』
紅蓮丸がかすかに目を伏せる。
『ないであろうな。この期に及んで生きて帰れるつもりでいたぐらいだ。おぬしらなど真に命を懸けた事などない甘っちょろい青二才にすぎん』
炎丸が悔しそうに唸ったが反論は出来なかった。
イバラキはかまわず続ける。
『もし自分一人が命を懸けるのなら、失敗したところで失うのは己の命だけだ。だが、他の者を巻き込んだならばその者達の命も懸けねばならなくなる。今回の件で言うならば、紅蓮丸、炎丸、そして灯火丸。この三つの命を懸けたという事だ』
紅蓮丸がはっとして灯火丸を見た。
幼い弟はただうつむいている。
『そしておぬし達の企ては失敗した。それは死を意味する』
イバラキの冷たい声が響いた。
汗ばむような季節だというのに紅蓮丸は凍るような寒さを感じた。
震えは大きくなるばかりで一向に止まる気配はなかった。
きーーんという空気の張り詰める音が聞こえた。
だが、
その緊張感を破ったのは意外にもイバラキだった。
『ふふっ、だがな』
すぐにでも殺されるかと恐怖で目を閉じていた紅蓮丸と炎丸が驚いてイバラキを見た。
イバラキの口元は愉快そうに歪んでいた。
『灯火丸と約束したのだ。おぬし達は殺さぬと。だから殺さずにおいてやる』
その言葉に兄二人の表情が明るくなった。
『灯火丸!あんた!!』
その歓喜の声をイバラキが遮る。
『もちろん無条件ではない。そうだな?灯火丸』
イバラキが灯火丸を見る。
灯火丸も視線を返す。
緊張した笑顔でゆっくり頷き、静かに目を閉じる。
その雰囲気に呑まれて紅蓮丸と炎丸が言葉を失う。
その瞬間、
鈍く重い衝撃音と共に灯火丸の小さな身体が吹っ飛ばされ板壁に激突した。
木っ端が吹き飛んで床に散らばる。
どうやらイバラキが強力な蹴りを叩きこんだようだった。
壁にぶつかって倒れた灯火丸の口からは真っ赤な血が流れていた。
イバラキは素早く近付くと灯火丸の襟を掴んで高く持ち上げ背中から床に叩きつけた。
板が割れ、誇りと木片が舞う。
割れた床にめり込んだ灯火丸の腹部をイバラキが躊躇もなく踏みつけた。
『ぐはっ!!』
苦悶の声と共に上がった赤い血飛沫がイバラキの足袋を汚した。
『灯火丸に出した条件とはな、兄二人の命を助ける代わりにおぬしの命をいただく、というものだ。そして』
イバラキは倒れている灯火丸に再び蹴りを入れた。
『こやつはその条件を呑んだ』
吹っ飛んだ灯火丸は下忍達の間を抜けて床に転がった。
『灯火丸!!』
紅蓮丸と炎丸が絶叫した。