幸せになる方法は2つある、と僕は思います。
1つ目は、自分が幸せと思えるように環境を変える事。
これは簡単ではありません。
苦しんで、戦って勝ち取る幸せだと思います。
もう1つは、自分に与えられた環境を受け入れてそれを幸せだと思う事。
これ、一見ラクに思えますが、結局戦いや葛藤がついて回ると思います。
結局ラクして幸せになる事は難しいんじゃないかと。
何もせずに他人が幸せを与えてくれる事なんてないからです。
いや、他人が幸せを与えてくれる事はあるんです。
でもそれは自分が望んでる幸せじゃない。
自分にとっての幸せと他人にとっての幸せは違うからです。
他人が良かれと思って何かを与えても自分が幸せだとは限らないんですよね。
2011年に公演した
『忍者ライブショー さやか見参! ~炎のファイター~』
で、紅蓮丸は一角衆のダチュラから幸せを提示されます。

それまで環境に流されて幸せを諦めていた紅蓮丸ですが、敵である山吹さやかに諭されて、自らの手で幸せを勝ち取る為の戦いを選びます。
山吹さやかも、そのライバル・幻龍イバラキも、自分が幸せになる為に命をかけて戦っているのです。
最終回で山吹さやかはこう言います。

『こうなったら誰かが悲しんでも戦いを終わらせるしかないじゃないの!(中略)だったら私は自分が一番いいと思う道を選ぶ!お母さんが泣こうが後悔しようが、お母さんを元に戻す為に、ふうらん!あんたを倒す!!』
さやかがお母さんを元に戻そうと戦うのは誰の為でもない、自分の為なのです。
自分がそうしたいから戦う、自分で決めた事だから命をかける、自分自身の責任で。
これが『さやか見参!第2部』のテーマです。
自分がやり始めた事は自分の意思に基づく行為であり、全責任は自分にある。
失敗の責任や逃げ出した責任は自分にしかなく、それを背負う覚悟がない者は自発的に何かをすべきではない。
厳しく書くとこんな感じです。
『誰かの為に』という言葉が言い訳に使われる事が多い昨今、『自分の為に』戦うキャラクターとして、さやか・イバラキ・(炎のファイター以降の)紅蓮丸を描いてきました。
そんな中でヤイバだけは与えられた環境に幸せを見出すキャラクターなんです。

ヤイバは「さやかを守る」という目的の為だけに作り出された存在であり、それ以外の目的を持っていません。
命をかけて戦うという行為も、友情や怒りという感情も、すべてさやかの為にあるのです。
でもヤイバは『さやかの為』を言い訳にしません。
さやかを守るのは自分の役目であり、役目というのは与えられたものではあるけど自分の使命であり存在の意味だと信じているからです。
これだってラクな生き方ではないですよね。
最終回でヤイバは葛藤します。
さやかを守るべきか、さやかの意思を守るべきか。
どちらを選んでもツラい選択なのですが、どちらを選んでもそれを幸せと思うしかない。
それがヤイバの生き方なのです。

子供向けのショーですからね、もちろん夢や希望を与えてあげたいんですが、それは他のキャラクターショーがやってくれているので…
僕は
『世の中にはツラい事、上手くいかない事、理不尽な事がいっぱいある。でも実はそれこそが普通で、上手くいく事なんて奇跡のようなもの。その中で幸せになりたいなら理不尽を乗り越えて、奇跡に向かって戦うしかない。ただし、自分が幸せになれる道は必ずある』
という事を伝えていきたい、と思ってるんです。