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2009-12-13(Sun)

トラウマ

さてさて、いきなりですが、キャラクターショーをやっている皆さんは、ショーを観終わった子供達に何を感じてもらいたいですか?
ショーを観る立場の方は何を求めていますか?

夢・希望・勇気・元気・楽しい思い出・・・

色んな答えがあると思います。

僕はと言えば、これを言うと怒られる事が多いのですが・・・

子供達に『トラウマ』を残したいと思っています。
(※代表の個人的意見であり、チームの総意ではありません)

ヒーローヒロインに会うのを楽しみにして来た子供にトラウマを残そうなんてとんでもない!
武装代表はふてぇ野郎だ!シメてやる!!


と思うお父さんお母さんも多いでしょう。
ってかほとんどがそう思うでしょう。
では何故僕はあえてトラウマを残したいと思うのでしょうか??

皆さんは幼少の頃にキャラクターショーを御覧になりましたか?
観た方は記憶の糸を辿って下さい。
ご両親に聞いてもらってもかまいません。
観てない方は観てた方に話を聞いて下さい。

キャラクターショーのどんなシーンが思い出されますか??


僕はこれを今までたくさんの方に聞いてきました(と言って、統計が取れるほどたくさんではありませんが)

多かった意見は

「悪役が怖くて泣いた」
「ヒーローに抱っこしてもらったけど怖くて泣いた」


この2つです(色んなバリエーションはありますが)

「ヒーローの登場がカッコ良かった」とか、
「ポーズがカッコ良かった」とか、
「アクションがカッコ良かった」とか、
そんな答えはほとんどありません。

つまり子供は「良い記憶」より「悪い記憶」」の方が印象に残るのです。

「悪い記憶」・・・と言うと語弊がありますが・・・

「怖い」だけではありません。
「悲しい」「切ない」「悔しい」等もそうです。
他にもあると思います。

こんな気持ちって後々まで印象に残る、僕はそう思いますけど皆さんはどうですか?

例えば・・・

アニメ、ルパン三世のED。

「ワルサーP38~♪この手の~中に~い~♪」

のあのEDです。
海沿いを峰不二子がバイクで走ってるやつ。

あれって子供の時、妙に印象に残りませんでした??
ってか、ルパンって番組自体が印象強くないですか?

僕の自己判断ですが、あのアダルトな雰囲気は子供の脳では言葉に出来なかったんだと思うんです。
言葉にならないからこそ記憶に引っかかったんじゃないかな、と。

あのED、今思えば、何か「切なかった」んですよね・・・

僕の個人的な事を書きます。

幼稚園ぐらいの時、父親と一緒に近所の喫茶店に行きました。
そこは父の知人だと思われる方が経営していたようでした。
狭くて薄暗い店内には他にお客の姿はなく、父とお店の方はカウンター越しに話していました。
僕は手持ち無沙汰に2台ほど並んだブロック崩しを眺めて父が帰るのを待ってました。
あの居心地の悪さは何だったのか・・・

おそらく僕は、大人の世界を感じたんだと思います。
でも当時はそれが分からず、かと言って「居心地が悪い」なんて言葉も知らず、ただ言いようのない不安のようなものを感じていたんだと思います。
これもやはり、言葉に出来なかった感情が記憶に引っかかっているという例です(あくまで個人的な体験談ですが)

僕は・・・
こんな気持ちを子供達に味わって欲しいんです!

「さやか見参!」を観た子供達に10年後、15年後、

「何かのショーを観て、何だか分からないけど悲しくて泣いたんだよね」
「ストーリーもキャラクターも全然覚えてないけど、何かすっごくイヤだったんだよねぇ」


と言って欲しいんです!

今この瞬間の、刹那的な感動・喜びよりも、10年後まで引っかかる記憶を作りたい。
幼少の頃に感じる言葉にならない想い、僕はそれを大事だと思っているから。
2009-12-12(Sat)

アクションへの道(19)

戦闘員とイエローばかり演っていた僕が、初めて怪人をやる事になりました。

普段より人数も多め、クライマックスで昨年のヒーローが助けに来るというスペシャルショーでの怪人です。

とはいえボス怪人ではありません。

   ボス怪人
 怪人A 怪人B
戦闘員戦闘員戦闘員 

といった組織構成の中での怪人B。
戦闘員より若干強いぐらいの扱いです。

このリハーサルでは僕は今までないぐらい怒られました。
何故か?
動きが怪人ではなく戦闘員だからです。

ボスの前でひざまずく姿勢、ヒーローに対する構え、台詞の時の動き…
それらが全て戦闘員にしか見えないとの事。

この時点で僕はキャリア半年。
怪人を演った事もなければ動きを教えてもらった事もありません。

出来るワケねーよっ!


でも、こうして理不尽に怒られる事で成長する事もあるんでしょうね(個人的にはイヤですが)
誰も教えてくれないのに怒られるのなら、次回怒られないようにする為には自分から教えを乞うて練習するか、上手い先輩の動きを盗むか、とにかく自力で上手くなるしかないからです。

僕も先輩に色々と聞きながら自分のアイデアを加えて、自分なりの怪人を演じ切りました。
その結果は…


まぁ、可もなく不可もなく…でしたかね(笑)


これと同時期、僕はもうひとつ、大きなショーに関わらせてもらっていました。

当時、毎年夏に大手出版社の主催で行われていたイベントでのキャラクターショーです。

このイベントは全国の主要都市で行われていました。
ショーに関しては、開催場所が東京なら関東のチーム、大阪なら関西のチームといった感じで各地から精鋭が選ばれていました。

福岡では当時県内にあった3チームが合同でショーに臨みました。

僕のキャリアは7~8ヶ月。
ヒーロー役としての練習もほとんどやってなければ見せ場をもらってアクションをやってたワケでもない、素人に毛の生えた程度の若手です。

そんな僕ですが、会社は
『見た目は本物だから!』
…と体型押しで選んでくれたのです。

めっちゃ緊張する…
でもめっちゃ嬉しい…
でもやっぱ緊張する…

そんな気持ちを抱えて、初めて3チームの合同練習に向かう僕なのでした…

~つづく~
2009-12-11(Fri)

役作り

中高生の頃の僕は特撮ヒーロー番組大好きっ子でした。

その流れのままキャラクターショーの世界に入ったので、最初の頃は
『いかにテレビを再現するか』
を第一に考えていました。

最近のショー業界ではテレビ(役者の声やスーツアクターの動き)の再現に力を入れるのが普通になっているようですが、僕がいた当時の事務所では
『いかにテレビを意識しないか』
に力を注ぐ先輩方が多かったと記憶しています。

セリフ回しも全然違えばキメポーズもオリジナル。
そんな先輩方を見て新人の僕は

『おいおい、子供達はテレビのイメージを持ってショーを観に来るんだろうよ。勝手に変えてちゃいかんだろうがよ。』

と苦々しく思っていました。
なので最初に入ったイエローの時は常に本物であろうと演技していました。

しかし数ヶ月、そして1年も経つとある事に気が付きます。

いかにテレビのスーツアクターさんの動きを覚えて真似していても、それじゃ足りなくなってくるんです。
つまり、ショーの中で求められる演技、撮影会や握手会で求められる動きのお手本がテレビの中に無い事があるんです(説明下手でスミマセン)。

『あれ?こんなに怒る演技、テレビでは無かったよな??』
『テレビでこんなに葛藤するシーンあったっけ??』
『子供が泣きながら抱きついてきて離れない時はどうするのが正解なの!?』


テレビを求め過ぎると、お手本が無い動きが出来なくなってしまうんです。
そうなると、

『イエローはこんな性格だからこんな風に怒るんじゃないかな?』
『葛藤を表に出す方がらしいのか?内に秘めた方がらしいのか?』
『オロオロした方がテレビっぽいけど、この子が満足するまでしっかり抱きしめてあげるのがヒーローでしょ!!』


という事を考えるようになります。
これが僕なりの『役作り』です。

100%、テレビを再現しているワケじゃない。
キャラクターの内面を考えながらお客さんの抱いているイメージを汲み取って、ある時は素直に従い、ある時は気持ち良く裏切る。
それこそテレビにはないライブの良さ(※)ではないでしょうか?
もしかしたら先輩方がテレビと違う事をしていたのは、ライブでテレビを超えたいという熱意のあらわれだったのかもしれません。

今の僕はオリジナルキャラクターを演じているので、イチから自分で考えないといけなくなりました。
自分で考えて自分で動くってのは楽な部分もあり難しい部分もあります。
でもそれが楽しいんですよねぇ♪

(※)・・・あくまで僕個人の考え方ですよ!
テレビに忠実じゃないとダメ!!って方もいらっしゃいますし。
でも僕はいい意味で裏切られたいんだなぁ~
2009-12-11(Fri)

練習してきました

12月10日は練習日でした!

天気は雨…降ったりやんだり…

雨は僕らの練習の天敵です。
練習場こそ屋内ですが、ほとんど(全員と言ってもいい)のメンバーの移動手段が自転車やバイクだからです。

土砂降りだったらみんな来れなかったかもしれませんが、まだ許容範囲の雨量だったので、僕を入れて5人が集まりました。

ってか、
『みんなが来ないと寂しいよ~!』
と代表がうるさいので多少無理しても来てくれてるのかもしれません。

みんなありがとう♪


僕が家を出る時、久留米は雨があがっていました。
『今だ!』
とばかりに自転車に飛び乗って駅へ。

今月の練習では木刀と棒を使っているのですが、もし雨が降っていたら棒は置いていくつもりでした(棒があると傘を差せないので)
無事に両方持っていけたのは幸いですが、木刀5本棒4本で、僕の荷物はこんな感じ↓↓
代表の荷物
これを持って自転車と電車ですからなかなか大変です。
先週はこれを担いで自転車をこぐ僕を見てパトカーが止まりかけました。

さて、早目に練習場に到着して待っていると雨に濡れたプレが到着。
時間までしばし話して練習室入り。
ストレッチ等やっているとジョーが到着。
ジョーは武装のメンバーではありませんが縁あって度々練習に参加しています。
そして新型インフルエンザの脅威から脱出した亮ちゃんが到着。
久しぶりの練習参加です。

てなワケで4人で練習開始。
まずは歩法から。
前進・後退・移動しながら左右の袈裟斬り。
音楽に合わせて長めにやってみました。

この辺りでバナティが到着。
なんとな~くバナティの学生時代が気になった僕とプレはバナティをいきなり質問責めに。
『学生時代は何と呼ばれていたの!?』
とか、
『どんな子だったの!?』
とか。
それは練習中に聞く事か?俺!(だって聞きたかったんだも~ん)


バナティがストレッチや歩法をやっている間に4人は型AとBの2種類を。

全ての動きを教えるワケにはいかないので、ジョーにはいくつかの動きを教えてそれを繰り返してもらいました。

型の後は2人1組になって、合わせと受けの練習。
本日の剣はここで終了です。

次は徒手での基本。
突き・手刀・裏拳や受け、殴り、蹴りといったものです。
最近はこれにスカシ(斬ってきたものをよける技術)を加えました。
そして先週から取り入れたのが裏拳の寸当て。
これが・・・
プレは苦手なんです(笑)

やはり人の顔めがけて拳を振るなんてこたフツーの女の子は経験ないですからね。
ビビるのも分かります。
分かるけど優しくしないのが武装代表。

ワザと当たりに行くし、ワザと当てに行きます。
早く慣れてほしいからです。
ビビってる内は迫力ある動きなんか出来やしませんからなぁ~♪

ここで休憩をはさんでメンバーの3人は棒の練習、ジョーは素手の立ち回りの練習を始めました。
棒の方はまず先週のおさらい。
亮ちゃんは先週いなかったのでバナティとプレが指導に当たります。

飲み込みのいい亮ちゃんは、あっと言う間にマスター。
3人揃って次の展開へ。

ここからの技術は僕がやり方を知っていながらやってこなかった事、上手く出来ない事に踏み込んでいきます。
メンバーの誰かが上手くなったら教えてもらおうという甘い魂胆です。

とりあえずそっちは3人に任せて僕はジョーと練習。
ジョーには僕らが新人時代に学んだ技を覚えてもらいます。
ジョー、殴り

タイミング、腰の高さ、移動、立ち位置、姿勢、動きの大きさ…
気をつける事はいっぱいあるのですが、少しずつ1つずつ覚えていけばいいんです♪

そうこうしていると終了時間が目の前に!
僕は無謀にも最後のメニューを決行!
バナティとプレ、棒
亮ちゃん、棒
時間オーバーすると怒られるので、急いで掃除・着替えを済ませ練習場を後にしたのでした。


皆さんお疲れ様でした!!
雨降ってたけどみんな無事に帰れたかな??
2009-12-10(Thu)

帰宅しました

今日は練習でした。

これから練習報告書きます。
2009-12-10(Thu)

瓦30枚

『キャラクターを信じている子供』の気持ちが分からない僕。

ではキャラクターショーを作るに当たって、キャラクターを演じるに当たって、一体何を考えているのか?

それは

『例えニセモノでも、良い物は良い』

という事です。

ヒーローが本物だと信じてる子は素直に喜んでほしい。
信じてない子には
『あれ、中身は人間だよな~。でも、中の奴すごいよなぁ~』
『背中にファスナーあったけど、いい話だったよなぁ~』

って思ってほしい。

キャラクターショーってのはキャラクターとしての外側(衣裳)が主役。
大袈裟に言ってしまえば、中身が誰でも(見た目がおかしくなければ)お客さんの反応はそんなに変わらないんです。

でも僕は自分の事を(生意気にも)役者のはしくれだと思っているので、
『誰でもいい中の1人』
になるワケにはいかないんです。
自分の個性や想いを目一杯放出して、衣裳を貫通させて客席まで届かせなければいけません。

観客の心を動かすのは結局衣裳ではなく演者の心だと思うのです。

その件に関して、これは何かある度に周りの人達に話して聞かせてる話なんですが改めて。

『探偵ナイトスクープ』
ってテレビ番組があります。
依頼者の悩みを番組の探偵(芸人さん)が解決する番組です。

ある回のお母さんからの依頼で

『空手をやってる息子(幼稚園~小学生低学年ぐらい)に、
「お母さんは瓦なら30枚ぐらい割る事が出来る」
と見栄を張って言ってしまった所、子供が私を尊敬してしまい、実際にやってみせないと済まない事態になってしまいました。子供を失望させたくないので何とか30枚の瓦を割れるようにして下さい。ちなみに空手の経験もなければ1枚の瓦も割れません』

というものがありました。
探偵が直行し、お母さんの腕前を見ると、確かに1枚の瓦も割れず、むしろ拳を痛める始末。
プロの指導を仰ごうと高名な空手家の道場へ行き稽古をつけてもらうがあまり進歩はない。
空手家いわく、
『そもそも30枚なんて我々でも無理ですよ』
との事。
万策尽きて出たアイデアが
『30枚割るとは言ったけど、30枚重ねて割るとは言ってない。1枚ずつ割りましょう。』


かくして、息子がお母さんの腕前を見るべく訪れた道場には空手着姿のお母さん、そして各々1枚ずつ瓦を持って1列に並んだ30名の空手家の姿が。

ポカ~ンとしてる息子にお母さんは
『今からお母さん、約束通り30枚割るからね』
と言って瓦に向かいます。

気合いを入れて正拳突きを入れるお母さん。
瓦は2枚、3枚と割れていきます。
何枚か割ったところでお母さんの拳は限界を迎えたのでしょう、1発では瓦が割れなくなりました。
苦痛の表情で2発目を入れて何とか割るものの、やがて2発でも割れなくなり、3発、4発…

そしてお母さんの拳は瓦を打てる状態じゃなくなりました。
まだまだ瓦は並んでいます。
お母さんは肘で割り始めました。
肘が駄目になると今度は足で…

満身創痍、表情からもお母さんの限界がうかがえます。
息子は硬直したようにその光景を見つめています。

やがてお母さんはフラフラになりながら最後の1枚を割りました。

「おぉ~っ」というどよめきで、息を飲んでいた現場の緊張が解けたのが伝わります。

汗だくでボロボロのお母さんはそれでも強がってニッコリ笑って

『どう?お母さんホントに30枚割れるやろ?』

と言いました。

その言葉を聞いた途端、硬直していた息子の両目に涙が溢れ、『うわあぁぁん!!』と号泣しながらお母さんに駆け寄りしがみついたのです。

しがみついたまま泣きじゃくる息子にお母さんは
『どうしたの!?どうしたの!?』
と聞きますが、息子は
『何だか分かんない!分かんないけど涙が出てくるの!』
と言って、ただ泣き続けるのでした。


…僕の文章で上手く伝わるか分かりませんが、これが僕が目指してるものです。

僕らがやってるのはあくまでショーであり演技なので、身体を痛めつけて限界を観せなくちゃいけないと言ってるワケじゃありません。

ただ、一生懸命に伝えようとする熱い心は、言葉にならない深い部分に伝わるという事を忘れちゃいけないと思うのです。

特に子供達と向かい合う僕らの仕事は。
握手
2009-12-09(Wed)

アクションへの道(18)

ゴールデンウィーク前に倒れてしまい、2日間現場に入れなかった僕。

それは口惜しかったけれど、自らの失態が招いた結果なので諦めざるを得ませんでした。
むしろ、僕の代わりに急遽イエローに入ってくれた先輩に申し訳ない。

さて、5月に入って現場に復帰した僕。
戦闘員のリーダーからイエローに着替えるといういつもの役です。
従えている戦闘員2人は3月に入った新人さん。

僕もまだまだ新人みたいなもんだったので、せっかくなら新人3人、色々アイデアを出して面白い事をしよう!という事になりました。
この時の経験が後々の僕に大きく影響してるのは間違いないでしょう。

登場してすべってコケるってのはどうだろう?
コケた奴を後から来た奴が踏んで行くってのはどうだろう?
いっそ3人ともコケたらどうなるだろう??

毎回新人3人でコッソリ打ち合わせです。
怒られるかもしれないので先輩やスタッフには内緒♪

上記を読んで
「別に大した事してねぇじゃ~ん」
とお思いの方も大勢いらっしゃるでしょう。
でも、新人がそれを気軽にやれる雰囲気ではなかったのですよ当時は。

この時の班も大ベテランの大御所が入ってらっしゃったし、なによりショーの内容に遊びがなかった。

ちょっと批判っぽくなりますが、この頃のショーは旧態依然とした内容が多かったです。
パッケージ製作に手間をかける余裕がなかったのでしょうが、おそらくは十年も前に確立されたスタイルをそのまま継続していたのではないでしょうか。
作り手によるのかもしれませんが、テンポは悪く、物語の整合性もめちゃめちゃ、時代に取り残されたギャグが虚しく響き、ヒーローが登場するカタルシスもない・・・

僕は新人ながらに
「エンターテイメントが無いなぁ~」
とボヤいてました。
それを何とかエンターテイメントに近づけたくて出た暴挙だったのです。

最後まで真顔で観覧されるよりは馬鹿馬鹿しくてもウケを取りたかったのです。
果たして結果は・・・


正直、お客さんの反応は分かりません。
だってショーの最中はいっぱいいっぱいで、客席を見る余裕なんてないんですもの。
でも、多分、どちらかと言うといい反応だった・・・気がします。

でも意外な事に、スタッフさんや大先輩達が喜んでくれたのです。
ショーの後、
「オマエ達、面白いなぁ」
と言ってもらえて嬉しかった記憶があります。

今は当時の先輩達の気持ちが分かります。

やってる事はしょーもなくて笑えもしないけど、新人達がショーを盛り上げようと自分達で考え、話し合い、努力した事を評価して下さったのでしょう。

リスクを背負いたくなければ人の言う通りに動いてればいいワケですが、自分のスタイルを確立したかったらどんどんアイデアを出して試してみるべきです。
100のアイデアを出せば99は失敗しても、1つは成功すると思います。
むしろ失敗もせずにたった1つの成功を生み出す可能性は著しく低いと思います。

ここで僕ら新人は、自分達のアイデアを以って演技に当たるスタイルを身に着けたのです。


~つづく~
2009-12-08(Tue)

子供の頃

皆さんは子供の頃、テレビのスーパーヒーローを本物だと信じてましたか?
僕は信じた事がありません。

僕は小さい頃ウルトラマンが好きでした。

幼稚園ぐらいの頃です。

怪獣図鑑を読み漁り、怪獣消しゴムを集め、再放送があれば食い入るように観ている子供でした。

でも信じた事はありません。

ウルトラマンや怪獣は人間サイズだと思っていました。

特撮がチャチかったから?

いいえ、そんな事は全くありません。

むしろ素晴らしい出来だったので、逆に

「おぉ~っ!撮り方次第では本当に巨大に見えるもんだなぁ~!」
と関心していました。

戦隊物などはマスクを見て、

「あれはどんな材料でどうやって作ってるんだろう??」

と思っていました。

ショーを観に行くと、

「どんな人達が入ってるんだろう??」
と、そればかりが気になる子供でした。

なので僕は、本気でヒーローを信じてる子供の気持ちが分からないのです。
2009-12-08(Tue)

ヤバい

『アクションへの道』シリーズでは、毎回僕の昔の写真をUPしてきましたが、さっそく載せる写真が無くなってきました。

ショー関係の写真なので、ほとんどが

『首から下が●●●』

とか

『後ろに干してあるのが●●●』

みたいな写真でして、UPすると大問題に発展するやつばかりです。


近々文章だけになるかもですがお許しを…


まぁ誰も見てないだろうから心配無用なんですが(笑)
2009-12-07(Mon)

アクションへの道(17)

新人ながらヒーロー役に入れてもらい、まさに順調な滑り出しかと思われた僕のキャラクターショー・ライフ。

しかし意外な落とし穴が・・・


4月、ゴールデンウィークを控えたキャラクターショー業界はあわただしくなる。
年間通じて最も忙しいのがこの時期で、とにかくショーの班数が多い、人が足りない。

例えば、兄弟や学校の友達、さらには友達の友達などまで駆り出してメンバーを集める。

今日は戦隊のリハ、明日はライダーのリハ、あさっては戦隊のショーが終わってからメルヘンのリハ、その翌日にライダーのショーが終わったところで新人が行方不明になりメンバー入れ替え。前日のメルヘンリハが無かった事になり、急遽また戦隊のリハ・・・

なんて事が日常茶飯事なのがゴールデンウィークだ。

しかし、何日も続けてショーが出来る楽しい期間でもある。
体力的にはめっちゃハードだけど・・・



↓↓2001年。自作のオリジナル怪人に扮する僕
2001

僕の初のゴールデンウィークは連日イエローの予定だった。

そんなある日の練習の帰り。

僕は久留米に帰るべく、1人で駅に向かっていた。
駅の前に屋台が出ていたのでラーメンを1杯食べてから切符を買いホームへ。

電車を待っていると、何だか気分が悪くなってきた。

あれ?ラーメンが良くなかったかな??

そう思ったけど、終電を逃すワケにもいかないのでとりあえず家に帰るしかない。

1時間もかからないんだから大丈夫だろう・・・

そう思いながら僕は電車に乗った。

しかし、落ち着くどころか具合いは段々悪くなり、2~3分後に到着した次の駅で飛び降り、トイレに駆け込んで胃の中の物を全部出した(汚くてスミマセン・・・)
これで落ち着くかな?とホームに戻るもやはり気分は良くならず、再びトイレへ。
ホームとトイレを往復する僕の心臓はバックンバックンと激しく鳴り響き、呼吸が苦しくなってきた。
ベンチで休もうと座ってみたが、僕は体勢を保つ事が出来ず、床に大の字に倒れこんでしまった。

視界がグルグル回る。
呼吸が出来ない。
僕は衣服のボタンやファスナーを全開にした。
それでも息が苦しい。
気分が悪いのでトイレに行きたいが、もう動く事が出来ない。

次第に周りがザワザワしてきた。
電車も何度か到着・出発してるのできっとその乗客がザワついたのだろう。

しばらくすると駅員さんがやってきた。
「大丈夫ですか!?救急車呼びましょうか!?」

今の僕には病院にかかるようなお金はない。

いや・・・大丈夫です・・・すぐに良くなりますんで、申し訳ないですがベンチに座らせてもらえませんか・・・

駅員さんの手を借りて、大丈夫、大丈夫ですと言いながらベンチに座る僕。
しかし駅員さんがその場を去ると、やはりバッタリ倒れてしまうのであった。

再び駅員さんがやってきて
「やっぱり救急車を呼びましょう」
と言った。
病院だけは避けたいと思った僕は、ショーの事務所に電話してもらった。

どれぐらい経ってからか分からないが、事務所の社員さんが2人で来てくれた。
車に乗せられ事務所の道場に戻る僕。
出る言葉は
スミマセン・・・スミマセン・・・
ただそれのみ。

しばらく休憩したものの一向に回復しない僕を見て社員さんが
「やっぱり病院に行こう」
と僕を起こした。

近くの救急病院に運び込まれた僕。
先ほどまでの記憶も曖昧なんだけど、この辺りは全く覚えていない。
どうやら点滴を受けて、翌日まで入院する事になったらしい。


翌日気がつくと、連絡を受けて母が病院に来ていた。
おそらく今回の症状について母が説明を受けたのだと思うが、僕自身はほとんど何も分からない。
不整脈がどーのとか、今後熱いお風呂は避けた方がいいとか言われた気がする。

それから母と一緒に何か話しながら帰ったと思うが、車で帰ったのか、電車で帰ったのか、帰ってどうしたのかもさっぱり記憶にない。

僕はこれが原因で事務所から、ゴールデンウィーク中の2日間については自宅療養を言い渡された。
もう回復しました!入れてください!
と言ったらしこたま怒られた。

そりゃそうだよね。

かくしてこの時から数年間、僕は原因の分からない体調不良に苦しむ事になる。

~つづく~



2009-12-06(Sun)

アクションへの道(16)

キャラクターショー歴3ヶ月目にして後輩が出来た僕。

実際は後輩と言っても年上もいれば同年代もいます。

元来人付き合いの下手な僕はどうやって彼ら彼女らと接したらいいか、よく分かりませんでした。
なによりまだ先輩達との付き合い方も分かっていなかったのです。


先輩達と後輩達の間で、

どうやってこの環境に溶け込もう・・・!?

と悩む毎日を送っていました(ちなみに僕と同日に入った同期9名はすでに全員いなくなっていました)。

後年後輩の1人に聞いたところ、『当時あんた1人だけ、完全に浮いとったよ』と言われました。・・・やはりそうだったか・・・


↓↓1993年。渋滞で車が進まなくなり、衣裳・小道具を担いで徒歩で現場へ向かってる途中1993

まぁそうこうしながらも少しずつみんなと話すようになり、時間があれば後輩達と道場に集まって練習する日々になりました。
練習して上達していくのがみんな楽しくてたまらなかったのです。

あ、まだ久留米から電車で通っていたので赤字でした。
練習以外にも衣裳の片付けに呼ばれたりしていたので更に赤字でした。

まぁその分ショーやイベントスタッフの仕事があれば優先的に入れてもらっていたので、赤字の額は減っていったのですが・・・


キャラクターショーの仕事って、正直お金になりません。
キチンとやればやるほど小遣い稼ぎにもならない、という事が多いと思います。
1日の出演料だって少ないもんだし、練習やリハーサルに対しては当然ギャラは発生しません。

そんな環境なのに、何故ショーを続ける人達がいるのか?
それは「楽しいから」以外の何物でもありません。

ステージは魔物です。
どんなに経済的に逼迫してもどんなに肉体の限界を迎えても、その魅力に取り憑かれた人間はショーから離れる事が出来なくなってしまうのです。

当時(今もそうかもしれませんが)、面接で「ウチはお金にはならないよ」と断言する事はごくごく当たり前だったそうです。
「お金を稼ぎたいなら他のバイト探した方がいいよ」とも。
こんなバイトはなかなか無いと思います(笑)

本当にお金にならないバイトですが、僕らが再三言われていた言葉が『プロ意識』です。

プロとして恥ずかしくないものを観客に見せなければいけない

プロの名に恥じない努力をしなければならない


・・・まぁ、それはそうですが、プロの名に恥じないギャラはいつまでたってもいただけないワケで。

都合よく利用されてた感は否めませんが、しかしそこには一片の真実もあります。

ショーだけではありません、どんな仕事(バイト)でもそうですが、仕事が発生するという事はそこに必要性があり、誰かに何らかの影響を与えるという事です。
何の必要もない仕事をして、その事実を世間の誰も知らない・・・なんて事はほとんどありません。
だとしたら、その必要性を全うし、周囲に悪影響を及ぼさない、望むべくは良い影響を与える、それが仕事をするという事であり、プロであるという事でしょう。

仕事をするという事は人を喜ばせる事だと僕は思います。
どんな業種であれ、他人に嫌な思いをさせる為の仕事はないんじゃないでしょうか。

だとすると、僕らショーマンにはまず、
「観客に喜んでもらう事」
が必要であり、次いで
「クライアントに喜んでもらう事」
が必要なのだと思います。
自分達がやりたい事、自分達が楽しい事なんて2の次3の次です。


ステージイベントに関わる人達の中で時々こういう事を言う人達がいます。
「自分達が楽しまなくちゃ観客が楽しめるワケない!!」

これも真実の一つではあるのですが、この発言をする人達は往々にして勘違いをしている場合が多いです。
観客を置いてけぼりにして自分達だけが楽しんでいる自己中心的なパフォーマンスをよく見かけます。

「自分達が楽しいから観客も楽しい」
ではないのです。
「観客を楽しませる為に自分達も楽しむ」
なんです。

観客を楽しませ、クライアントを喜ばせる事が自分達の楽しみにならなければ嘘だと思います。

なので僕がステージで何かやる時、何か言う時、常に考えるのは

これをやったら(言ったら)お客さんはどんな反応をするだろう?
という事です。

もちろんウケる事もあれば引かれる事もある(引かれる方が多い)。
歓声があがる事もあればしかめっ面される事もある。
でもまずは客席の反応優先です。
結果はどうあれ、それを考えずにやった事はほとんどありません。

こう考えられるようになったのは『プロ意識』と言う事を言われ続けたおかげです。

・・・まぁ、それを僕が実行出来てるかは、神ならぬお客さんだけが知るところでしょうけど。


※ショーマンとしてのプロ意識に関してはまだあるのですが、続きはいずれ書くかも?書かないかも??


2009-12-06(Sun)

アクションへの道(15)

キャラクターショーの業界にいると、新番組の情報が若干早めに入ってきたりします(デマも多いが)。

1991年、社員さん達が僕にこう言いいました。

「次の戦隊のイエロー、どうやらドスコイキャラらしいぞ!オマエ入れるかもな!?」

僕は基本的に太めで、どんなに痩せてる時でもヒーロー体型とは言えない。
おまけに再三告白してきた通りの運動能力なので、ヒーロー役なんて考えた事もありませんでした。

もし僕がヒーロー役に入るとしたら・・・
「サイボーグ009ショー」ないけど)で、006役しかない!と思ってました。

果たして僕は、この年の戦隊のイエローに、実力ではなく体型重視で入れてもらう事になったのです!

しかし僕はヒーロー役の練習などした事がありません。
ってか、させてもらった事がありません。

当時の練習では、戦闘員の練習を重ねて、認められたらヒーロー役の練習を教えてもらえるスタイルでした。

僕はまだまだ戦闘員の練習中だったのです。

練習してないのにショーでヒーロー役が出来たのか?

出来たのです。

なぜなら僕は前半は戦闘員で、最後の最後だけイエローに着替えて登場。
5人全員が戦ってるので特に見せ場もなく、下手でもバレにくかったのです。

そんな状態でしたが3月に入ると新人さんが入ってきて、僕はもう新人ではなくなってしまいました。
形だけは先輩です。

生意気にも

今日の動き良かったよ

なんて言ったりしてみます。

センスいいよね

とか。

恥ずかしいっっ!!

しかしこの時の新人さん達がセンス良かったのは事実で、2009年現在でも
「あの人達はすごいよね!」
と言われてるほどの逸材だったのです。



俺が敵うワケないじゃ~ん!!



僕はそれまで「ヒーロー役はまだ早い!」と言われてたのに(イエローに入ってたのにね)、この新人さん達はセンスも良ければ運動能力も高いので、すぐにヒーロー役の練習を始めました。

新人さんが練習を始めると僕は戦闘員役ばかりをさせられていました。

屈辱・・・

後年社員さんに聞いたら

「とっくにヒーロー役の練習やってると思ってたよ!」

と言われてガックシきました。

結局僕は、我流でヒーローの動きを覚える事になったのです。


↓↓当時の仲間とも18年の付き合いに(2009年撮影)
18年目
2009-12-05(Sat)

幻龍イバラキ ロングインタビュー

武装代表です。

前回の山吹さやか嬢のインタビューに引き続き、今回はその宿敵と言いますかライバルと言いますか、とにかく『忍者ライブショー さやか見参!』には欠かせない、幻龍イバラキさんをお招きして色々な事をお聞きしたいと思います。

初めまして、よろしくお願いします。

『…良いのか?』

…はっ?

『良いのかと聞いておる』

…な、何がでしょう…?

『おぬし…忍者ライブショー さやか見参!のメインキャラクターは拙者とさやかの2人しかおらんのだぞ?拙者にインタビューしてしまえば、後は雑魚しかおらんではないか。次回のインタビューは間違いなく盛り上がらんぞ。』

た…確かに…。
…順番間違えましたかね…

『まぁここまで来たら開き直るより仕方あるまい。で、拙者は何をしゃべれば良いのだ?』

あ、そうですね、まずは自己紹介を…

『良かろう。拙者は幻龍組頭領・幻龍イバラキ。山吹に伝わる忍術の奥義を手に入れ、この天下を我が物とするが目的よ』
イバラキ1

ありがとうございます。え…っと…本名ですか?

『いや、これは幻龍組を興した時につけた新しき名よ。元は荊木(いばらき)に属しておったからな。そのままイバラキを名乗っておる。鬼神の力を得るべく荊鬼と変えてはおるが。』

本名は何とおっしゃるんでしょうか?

『一流の忍びは名前や年齢などの素性は簡単に明かさぬもの。さやかのように全てさらけ出すのは未熟な証しよ。拙者はかつての名は捨てた。この命果てるまで幻龍イバラキ以外の何者でもないのだ。』

分かりました。それでは忍者になったきっかけを教えて下さい。

『生れ落ちたのが忍びの家系であった。それだけだ。ほとんどの忍びがそうだと思うが…物心ついた時にはすでに蛇組、荊木の一員であった。』

荊木流もかつては12組の1つ蛇組として、山吹流と志を同じくされていたとうかがいましたが…』

『それは先代までの話だ。かつて荊木流は龍組の位置に座し、12組を束ねる立場にあったのだ。それがまさか蛇組として長年泥をすする事になろうとは…』

蛇組は医療医学に秀でた流派が務めるものだとうかがいましたが…
もしかしてイバラキさんの左腕も蛇組の医学で?
イバラキ2

『さよう。わが流派に伝わる医術がなければ拙者、生涯隻腕を貫くところであった。…おのれ、にっくきは山吹の頭領なり!』

イバラキさんの顔に火傷を負わせたのはさやか嬢の兄・たけるで、腕を斬り落としたのが頭領という事らしいですね。さやか嬢は、こうなった原因はイバラキ氏の逆恨みにある、とおっしゃってました。イバラキさんサイドの意見としては?

『ふん。あの小娘は何も分かっておらん。良いか、先ほど話したように、我ら荊木はかつて12組の頂点・龍組を務めておった。しかしここ数十年は山吹がその位置についておった。』

はい。10年に一度の会合で役職が決められるとか。

『さよう。あの時も…数年前のあの会合でも…。
…拙者は山吹の上を行く自信がある!山吹に劣らぬ、いや、それ以上の修行とて欠かした事はない!それも全て龍組に返り咲く為…!それなのに…』


例年通り山吹流が龍組に選ばれてしまったんですね。

『いかにも。結局は山吹が龍組に選ばれおった。しかも、たけるのような青二才を時期頭領に据えると宣言しおったのだ。そうなれば拙者はあの小僧に指図される事になる。己よりも優れた忍びならば従う事もやぶさかではない。しかし相手はあのたけるだぞ!?素直に聞けた話ではなかろう。』

さやか嬢の話では、たける氏はかなり優れた忍びであったという事でしたが…

『なに?たけるが優れた忍びだと!?はっはっはっは!!たわけた事を!あやつほどの腰抜けを拙者は知らぬわ!争いのない平和な天下を作りたい、その為なら忍びが滅んでもかまわない等と平気でぬかす気骨の足りない男であったわ!』

とすると、忍びの術も大した腕ではなかったと?

『無論。』

となると…

『なんだ?』

たける氏はたった1人で幻龍の屋敷に乗り込んだと聞いていますが…イバラキさんはそんな腰抜けのたける氏に大火傷を負わされた事になりますよね?

『む…』

忍術の腕もあなたに遠く及ばなかったたける氏にどうしてそこまで傷を負わされてしまったんですか?一体屋敷で何があったんですか?

『ぐ…、そんな事は、すでに拙者の記憶にはないわ…

あれ?何だか苦しい言い訳みたいに聞こえますが。知りたいなー知りたいなー、教えて下さいよ~♪

『…そんなに知りたければ、ちょっとこっちに来てごらん…』

はい?









ぎゃああぁぁぁ~ッ!!!








山吹1

   しばらくお待ち下さい

山吹2







う…うぅっ!…え、えっと…、インタビュー再開したいと思います…ゲホッ!!…何の話してましたっけ?
あ、幻龍の名前の由来でしたよね!??

『うむ。それでいい。あれは山吹が龍に就く事が決まってから数日後…拙者は悔しさを胸に秘め、7日ばかり山に籠もり飲まず食わずの修行をしておった。そして7日目の晩、滝に打たれていた拙者は見たのだ!』

な、何をです!?

『龍だ!金色に輝く龍が滝から姿をあらわしたのだ!そして拙者にこう言った…

今は報われぬくちなわ(蛇)の身なれど、行く手阻む者悉く打ち倒しのちには我が姿を得る事必定
…と…。つまり、蛇が龍となるには目の前の敵を倒し続け、進んでいくしかない、という啓示を得たのだ。』

7日間も飲まず食わずで修行してらっしゃったんですよね?それって幻覚だったんじゃ…

『間違いなく幻覚であろうな。拙者もそれくらいは理解しておる。だからこそ幻龍と名乗ったのだ。
啓示というものはな、自分の中にあるものなのだ。
神に言われたから、魔性に言われたから従う、そういうものではない。
あの時の拙者は慣習や組織というものに縛られ、己の中にある炎を見ないようにしておった。
だが本来の生き様というのはそういう事ではあるまい?
誰の為に耐える?何の為に我慢をする?
今生きておるのは自分自身だ。自分というものは自分が生きる為に生まれてきたのだ。
拙者の願いを、拙者の心の炎を他人の為にくすぶらせる必要など断じてない!
あの龍の啓示は、それを知るきっかけになったに過ぎん。』

イバラキ4

それがきっかけで山吹に反旗を翻した、と。

『うむ。そして、自らの意志を貫くには自らの国を作るしかないと思い天下を…』

なるほどなるほどなるほど!!ではお便りのコーナーを…

『待て待て!まだ話の最中であろうが!ここからが拙者の…』

いやぁ、私も続きをうかがいたいんですが、あまりに強烈な自己主張は読者の反感を買うおそれがあるという事でディレクターの方から進行の指示が出まして…ホントすみません。

『ディレクターって、この部屋には拙者とおぬしの2人きりではないか!おぬし確か1人でタクシーに乗ってここに来たハズ…さては…さっき暴力に訴えた事を恨んで…』

ホント申し訳ないですねぇ!ではさっそく質問!
趣味はありますか?

『えぇい、勝手に進めおって!趣味は…料理…かな?』

料理!意外です!ちなみに得意なメニューは?

『煮込みは好きだな。牛スジを甘辛くトロットロになるまで煮たり。』

もっと豪快なものを作るのかと思ってました。
尊敬する人物はいますか?

『おらん。人は常に1人。他人を信用するなど愚かな事よ。』

ここで突然ですが、読者からの暴露メールが届いてます。

『な、なに!?』

えーと…、え~っ!?そうだったんですか!?

『何が書いてあんだよ!こえ~っ!』

では読みますね。

『読まなくていいって!!』

幻龍イバラキは、実はバツイチである。

『わ~~~っ!!』

これ、ホントですか!?

『うるせぇな!ホントだよ!!』

そうなんですか!!不躾ながら別れた理由をうかがっても…

『つまらん話だ』

そこを是非!

『妻は、荊木を狙う流派が放った刺客、くのいちだったのだ。何年も連れ添ったが拙者には見抜けなかった…愛などという幻想にたぶらかされて目が曇っておったのであろう…拙者があの女を信じたせいで何人もの同胞が命を落とした…』

そんな重い話だったとは…
ちなみにその奥さんは…

『斬った。拙者が。』

えっ!

『当然であろう。敵ならば斬る。』

う~ん、イバラキさんが人を信用しないってのはこれも原因だったりするんですかねぇ?バツイチってのとは違うみたいですが…重いんであまり触れずに進みましょう!
得意な忍術は?

『針を使って他人を操る術は他の流派には真似出来んと自負しておる。生かすも殺すも思いのままよ。』

好きな言葉などはありますか?

『生きる事とは自らの足で立つ事』

それはどなたの言葉ですか?

『拙者が考えた名言シリーズよ。』

あぁ…この人自分大好きなんだぁ…。
それでは最後に、宿敵山吹さやかについて一言。

『小娘の分際で拙者の天下統一を邪魔するとは、全く持って目障りな事極まりない!拙者の手で身の程を思い知らせてくれるわ!』
イバラキ5

本日はありがとうございました。






2009-12-04(Fri)

そろそろ・・・

幻龍イバラキのインタビューも掲載せねばなりませんね。
2009-12-04(Fri)

反省

今でこそ武装の代表なんかやってる僕ですが、ほんの数年前は後輩や先輩と上手く付き合えずにバイト先で孤立し、
「もうすぐクビになるらしい」
なんて噂が流れるほど協調性のない男でした。

・・・あ、協調性は今も足りませんが・・・

当時僕はショーチームの中枢で乗りに乗ってました。
勢いに乗ってました。
調子に乗ってました。

もちろんそれだけの練習もしてたし努力もしてました。

ただ、その努力が過信を生み、僕は自信過剰になっていたのです。


後輩達の言う事・やる事が足りないように思う、間違っていると思う。
自分の意見は正しいと思ってるからそれを押し付けようとする。
後輩が素直に従わなければ「アイツはダメな奴だ!」と決め付ける。

こんな先輩は孤立して当然です。

もちろん後輩が間違ってる所、及ばない所も多かったでしょう。
しかしそれは当たり前です。
先輩と後輩では立ってる位置が違います。
キャリア10年の目線キャリア3~4年の目線は違って当然。

自分が3~4年の頃はどうだったか?
何も間違えていなかったか?努力を怠っていなかったか?
それを考えながら導いてやるべきでした。
しっかり話し合うべきでした。後輩の立場に立って。

僕は話し合いは嫌いではありません。批判されるのも嫌ではありません。
話し合いをしない事が一番嫌いなのです。

だから、影で僕を批判している後輩がいると知ってこう思いました。

「だったら何で堂々と言わないんだよ!言えば納得いくまで話し合うのによ!」


話せるワケないんです。
だって向こうは後輩で僕は先輩です。

「気軽に接していいよ~」
なんてのは先輩からの一方的な意見で、後輩が簡単に気軽になれるワケはないんです。

当時の僕はそれすらも分からず、
「文句があるのに言わなかったアイツらが悪い」
と思っていました。
両者の溝は大きくなる一方でした。

やがて批判は批判を呼び、伝言ゲームのようにデマや中傷が飛び交いました。
僕は
「そんなデマ、信じる奴がいるワケない」
と高をくくっていましたが、多くの人達が信じていたようでした。

僕は、自分の意に反して、そこまで信頼を勝ち得ていなかったのです。

そのぶつかり合いの結果、練習には参加禁止を言い渡され、ショーには入れてもらえなくなり、3週間ほど遠方の現場で「頭を冷やしてこい」と言われました。

「何に対して頭を冷やせばいいんですか?自分では分かってないので良かったら教えて下さい」
そう言うと
「それは自分の胸に聞いて考えろ」
と言われました。
おそらくこの人も具体的な理由はなかったのでしょう。
僕を含めてみんなが感情的になっていました。

僕は遠方の現場に出発し、毎晩ビジネスホテルの1室で考えました。

最初の数日は考える度にイライラし、腹が立ち、情けなくなり、眠れない日が続きました。
しかしある日思いました。

「ここでイライラして自分を正当化していても何も変わらない。だとしたら事態を好転させる為には何をしたらいいか考えよう。その為にまず、こうなった理由を考えよう」


ここが僕のターニングポイントになったと思います。
この瞬間があるから今の僕があると思ってます。

だとしたらあの時のゴタゴタは僕の人生にとって必要だったのでしょう。
そして、もしそれを受け入れきれてなかったら今の僕はなかったのでしょう。
つまり、武装代表としての現在はなかったという事です。


↓↓1993年の僕。道場にて。
当時の戦隊が中国武術モチーフだったので、座盤式といわれる歩形を
身体に馴染ませようとしています。

1993

さて、こうして立派な建前を書いてみたところで僕が聖人君子になったワケではありません。
今でもやっぱり感情的になり、自信過剰になり、他人のアラを探して批判するあの頃の僕が潜んでいます。


僕は何よりも武装メンバーを大切にしたいと思っています。
こんな海の物とも山の物ともしれない先の見えないチームで頑張ってくれているのですから。

でも、僕が暴走した時、一番被害をこうむるのはメンバー達です。

僕は代表としてどうあるべきか、過去の失敗を糧にして考えていかなければいけないと常々思います。

では僕はメンバーに対して何を与えるべきなのか?
現場数、環境、技術、ギャラ・・・
色々なものが思い浮かびますが、最終的にはやはり

やり甲斐
これに尽きるのではないでしょうか。

努力が認めてもらえる事。
努力して良かったと思える事。

ショーだけではありませんが、どんな仕事でも最も不幸なのは
「一生懸命頑張るのが馬鹿らしく思える」
そんな環境を与えられる事ではないでしょうか。

メンバーが汗にまみれて泥にまみれて、それでも笑顔で頑張れるチームを作りたい。

僕はそう思っています。


まだまだ駄目駄目な代表ですけどね(汗)


2009-12-03(Thu)

アクションへの道(14)

初現場、初忘年会を終えて年は明け、1991年。

僕はお正月も連日戦隊のショーに入れていただいていました。

初ショーでは緊張していて何も考える余裕がなかったのですが、今回はそれなりに気持ちの余裕があったみたいで、
「今まで自分が見ていた場所に立ってるんだなぁ・・・」
と感慨深くなったりしました。

この頃は練習・現場の度に帰って日記を書いていました。

自己紹介してくれない先輩達の名前を周囲の会話から拾い出して忘れないように書き記したり、新しく習った技の名前をメモしたり、ショーでの失敗を綴って、繰り返さないように気をつけたり・・・

色んな事が書いてあって、今読み返しても面白かったり参考になったりします。

例えば、あるリハーサルの日、先輩の1人が僕に
「お、今週も入っとるんやねぇ。何(の役)に入っとると?」
と声をかけてくれました。僕はちょっと自嘲気味に
「当然したっぱですよ」
と答えました。

当時読んでいたキャラクターショー関係の書籍で戦闘員の事を「したっぱ」と書いてあったのでそれが普通なのかと思っていたのもありますが、やはりどこか恥ずかしい気持ちがあったのでしょうか。

しかしこれ、新人が発するにはあまりにもデリカシーに欠けた生意気な発言です。
怒鳴られても仕方ないんじゃないか、と今の僕なら思います。
しかも後で知ったのですが、その先輩は戦闘員役に誇りを持ち、極めんと頑張ってらっしゃる方だったのです。
事実後年まで
「戦闘員といえばこの人」
みたいに言われていた方です。

でもその先輩は怒る事も声を荒げる事もなく、
「あのな、戦闘員は確かにしたっぱやけど、そのしたっぱがおらんかったらショーは出来んし、したっぱ次第でショーの出来が変わってくるんやぞ」
と教えてくれました。
ひしひしとプライドを感じさせる言葉です。
これ以降は当然ながら戦闘員役に恥ずかしさを感じる事はなくなりました。

日記には他にもこういった事が書かれていました。

何度目かの練習の時、とある社員の方が
「きみ、なかなかすじがいいって評判だよ」
と褒めてくれた、と。

正直身体を動かす事で人から褒められた事なんかありません。
だから今でもそれが本心から言われた言葉なのか新人を長続きさせようと発せられた言葉だったのか分かりません。
でもやはり、一生懸命やってる事を認めてもらっているという気持ちになれたからこそ今までショーに関わってこれたのではないでしょうか。

その社員さんの言葉でもう一つ印象に残っているものがあります。
それもとある日の練習日でした。
練習終了後に僕を含めた新人数人を集めてその人は
「君達の仕事はね、役者なんだよ。仮面を着けて大きな衣裳を着たりするけど、やるべき事はテレビや映画に出てる不通の俳優と同じなんだ」
と言いました。

これは新人ながら、何となく伝わるものがありました。

ヒーローの衣裳を着て、ヒーローになりきって、テレビと同じポーズを取る、動きを再現する。
これではコスプレと変わりません。

子供達に伝えたいものを持っていて、それを伝える技術を持っていて、それを伝える為に衣裳を着るのがプロだ。

きっとそういう事を言いたかったのだと思います。
これは今でも僕の基本精神です。
僕がやりたいのはキャラクターショーであってコスプレではありません。

これが理解出来たのは(本当に理解出来てるかは分からないけど)、中学時代の文化祭でコスプレ精神丸出しのショーをして後悔していたからだと思います。
やはり失敗は糧になるんですね。

数年前、衣裳を着る事で自己満足気味になっていた後輩にこの話をした事があります。
何か伝えるものがなきゃプロじゃないぞ、と。
すると後輩はこう答えました。

「僕は動きを再現する事で、テレビのヒーローのカッコ良さを伝えたいんです。だから今のままでいいんです」


色んな意見があると思うし、何が正解かは分かりません。
でも僕個人としては、

「テレビのヒーローのカッコ良さはテレビがすでに伝えている。充分過ぎるぐらいに。カッコいい事を知ってるから子供達はショーに足を運んでくれているんだ。だとしたら伝えるべきものはその先にこそあるんじゃないのか?」

と思います。


↓↓2001年か2002年辺りのクリスマス前後。
ショーの後輩達を家に招いてパーティーした時の写真

2002

ちなみに・・・

ここまで書いておきながら、我がアトラクションチーム武装「忍者ライブショー さやか見参!」には子供達へのメッセージはな~~~んも入ってません(コラ!)

ただ、メッセージはありませんが伝えたいものは込められています。

メッセージと伝えたいものって同じじゃないの?って思われるでしょうがそこは僕の中に明確な区別があるんです。
まぁそれは置いといて・・・


今回は精神論になっちゃいましたね。


そういえばその日記には上記のような事ばかりでなく、今ではすごく当たり前な事も書いてあって笑えました。

「この業界では昼でも夜でも、初めて会った人にはおはようございますと挨拶するらしい!」

まだ擦れてない可愛い時代があったのね(笑)
2009-12-03(Thu)

練習でした!

本日は中練習室でした!

広い!広い!
相変わらず広いぜ!
使用料が普段(小練習室)の3倍するだけあるぜ!!


だけど…



参加メンバーはたった3人だったぜ~!
あ~っはっはっは!
あ~っはっはっは!



今回は広い場所でしか出来ないメニューという事で10月22日に引き続き棒を回す事に。
参加メンバーは、代表バナティプレ


棒の前にまずは、剣の基本に徒手の基本。


剣の基本はいつもよりも時間をかけました。
剣に慣れる期間は過ぎたようなので、次は使いこなせるように鍛えていこうと思います。

徒手は少し駆け足で。

練習では無理をしない程度に、少しずつ新しい動きを入れるように務めています。
僕は仕事の合間に(もしくは仕事しながら)練習メニューを考えるのですが、その時に

『今週はこーゆーメニューでいこう』
『それならこんな技を入れてみよう』
『その為にこーゆー練習をしてみよう』


等と思索しているのです。

ただ、あくまで僕が思い付いた練習法なので、世間で通用するかは知らないぜ!
メンバーのみんな、テキトーでごめんな!!

今回はこんな練習↓↓
プレの裏拳


敵の突きを落として顔面に裏拳を叩き込む練習。

今まではシャドーで練習していましたが、絡みをつけてやってみました。


アクションでは攻撃が当たったように見せる技術が必要です。
一般的には受け手が攻撃に覆いかぶさるようにする(『かぶる』『かぶせる』等と呼びます)のですが、僕らのショーでは、ここぞ!という所では『寸止め』、さらに『寸当て』を使います。

これは裏拳を『寸当て』で受ける練習です。
プレの裏拳2
ジャストミートの瞬間を捕らえようとしたのですが早過ぎて無理でした。

僕は子供から
『当たってねぇ~っ』
という野次を飛ばされるのが大嫌いなのです。

人の顔にパンチを出すのが怖いプレ。画像では分かりませんが、すごくおびえた顔で練習してます(笑)
でも蹴りはビシッと決まってますよ!
プレの回し蹴り


さて、本日は殺陣は無し。
メインのメニューは…

棒です!!

さぁ、棒をぐるんぐるん回してみましょう。

最初は難しいのでが、慣れると意外に回せます。

前回は基本的な回転だけだったので今回は応用編。
バナティもプレも苦労してましたが段々上達してきました。

この辺りでキャラクターショーの仲間・時枝がやって来ました。

予想外に仕事が早く終わったので立ち寄ってくれたとの事。

でももう練習終わりがけで参加させられなかったので、棒を持たせて勝手にビュンビュン回しててもらいました。

時枝は素手もやれば武器もやる憎い男です。
僕は棒を回す時枝の姿を盗み見て何か学ぼうと思ったのですが、早くてな~んも盗めませんでした・・・

ひと通り流れをやった所で練習終了~♪


やっぱり練習場が広いといいなぁ。
中練習室
…って、3人がそれぞれ何をしてるか分からないんですけど…
2009-12-02(Wed)

武装メンバー紹介

過去の話が続いて疲れたので、ここでちょっと休んで、
アトラクションチーム武装メンバー紹介
なんかしようかと思います。

練習報告や現場報告には必ず名前が出て来るので皆さんお見知りおきを。


代表・内野 武
代表

僕です。

1972年生まれ。
福岡県久留米市出身。

1990年からキャラクターショーを始めて、2007年に武装を立ち上げました。
裏方からアクターまで何でもやってますが、得意な事は特にありません。

ひねくれ者。


みんみん(片山亜沙美)
みんみん

武装の看板女優。

『忍者ライブショー さやか見参!』の主人公・山吹さやか役として活躍中!

演劇の世界にいたが、2007年、代表の手で武装に引きずり込まれる。

和風のものが好きでチャンバラ好き。


阿部ぷー
阿部さん

代表の先輩。
同じチームでキャラクターショーをやっていた。

様々な役をこなしてきたバイプレーヤーで、武装では画像や印刷物も担当。


たいさ
たいさ

武装生え抜きの大学院生(2009年12月現在)。
たまたま練習を見学に来たが為に武装に引きずり込まれる。
唯一のアクション未経験メンバーながら物怖じせずショーに挑む猛者。

間もなく就職して東京へ去って行く事が決まっている。


バナティ
バナティ

代表の後輩。
同じチームでキャラクターショーをやっていた。

女の子から怪人まで幅広く役をこなすベテラン。
力強い演技には定評がある。


亮ちゃん
亮ちゃん

代表の後輩。
同じチームでキャラクターショーをやっていた。

どんな役でもこなすセンスの良さはピカイチ!
どんな役にも温厚な人柄がにじみ出る武装のムードメーカー。


プレ
プレ

代表の後輩。
同じチームでキャラクターショーをやっていた。

女の子らしい柔らかい動きが特徴。
殺陣のみならずダンスもこなし、形の美しさはかなりのもの。


乖離

武装の広報部長。
HPの作成をはじめ、様々な裏方の仕事に従事している。


~その他、助っ人の皆さん~

サターン・・・スタッフ
モルダー・・・スタッフ
T・Tさん・・・MC兼スタッフ
ティアラ・・・スタッフ
吉田にぃやん・・・スタッフ
カオルン・・・スタッフ

ナナコ姉さん・・・声優・山吹さやか役
ツギシン・・・声優
声が低くて渋い男・・・声優・アクター
コージー・・・アクター
ジョー・・・声優
akane・・・声優


他にもたくさんの方に助けてもらいながら頑張ってます!!


さてさて、今日の夕方は練習です。
深夜になるかもしれませんがまた練習報告をUPしますね♪

2009-12-01(Tue)

アクションへの道(13)

ハンカチを用意して待て!

なんて引っ張ったワリには涙のひとつも誘わない内容です。
嘘ついてゴメンなさい。


クリスマスイブ、めでたくショーデビューを果たした僕。

そんな僕に先輩からある告知が!

『27日に事務所の忘年会があるけど来れる?』

初めてこの事務所に来てから10日と経たない内に忘年会です!

…あ、お金ないんで…来れないかもしれません…


当時、久留米の我が家から事務所まで通うのに電車代が往復で1040円ぐらいかかってました。

練習が火・水・木曜日
金曜土曜にリハがあって日曜にショー。
つまり一週間に5200円の交通費が必要でした(ちなみに数ヶ月後からは月曜日に衣裳の片付けに駆り出されたので週に6240円)。
ちなみにショーのギャランティは4000円だったので親からの借金は山のように積もるばかりでした。
いつも

『アルバイトしよるのに借金ばっかり増えるってどーゆー事ね!』

と怒られていました。

現時点で親に5000円の借金を作っていた僕は、忘年会の会費を貸してくれとは言えない、と思ったのです。

『あぁ、忘年会の日に年内のギャラが出るから大丈夫だよ』

年内って言っても僕は1回しか入ってませんが…
でも先輩が大丈夫って言うなら大丈夫なのかな…


27日、結局忘年会に参加する事にした僕は事務所に寄ってギャラをもらう事にしました。

『じゃあここに印鑑ね』

えっ…印鑑が要るんですか…

今考えたら当然必要だろうけど、初バイト初ギャラの高校生はそんな事知らないよ。
何で誰も教えてくれなかったのか??

愕然として立ち尽くす僕を見て先輩の1人が代理として印鑑を押してくれて何とかギャラをいただく事が出来た。

4000円。

そうか。交通費とかは付かないんだな、ふむふむ…

交通費を差し引くと毎週1200円のマイナスが出る計算です。
僕は先行き不安になり再び立ち尽くしました。

そこに忘年会の幹事をしている先輩がやってきて言いました。

『君は高校生やったよね?会費は4000円でいいよ。』


僕の初ギャラは僕の手から数十秒で去っていきました。
この時の物悲しさを僕は生涯忘れないでしょう。


↓↓1993年頃の僕。イベント会場でスタッフしてた時の写真です。
1993


忘年会の会場は事務所から電車で2駅先のライブハウス。
また電車代が飛んでいきます。


ライブハウスに入るとかなりの人数がひしめきあっていました。
このチームにはこんなにメンバーがいるのか…

年齢層も幅広そうです。
メンバーだけでなく社員さんとか色々いらっしゃるんでしょう。

ただ…


僕はこの中のだ~~~~れも知らないんです!

先日のショーでご一緒した先輩方も自己紹介があったワケでもないし名前も分からない。
かと言って自分から知らない人に声をかけて入っていくなんて出来っこない。

出来っこない!!

ましてやペーペーの新人がうかつに入れない独特の雰囲気、独特のテンションなんです。


僕は2時間ほど、全く知らない先輩方に囲まれて、

誰に話しかけるでもなく、

誰かに話しかけられるでもなく、

先輩の前にある料理に手を伸ばす事も出来ず、

『烏龍茶下さい』

すら言えず空になったグラスを持ち、ただ地蔵のように固まっておりました。

烏龍茶1杯の忘年会です。


荒行のような忘年会は偉い人の挨拶で締められ、全員がライブハウスからドヤドヤと出ていきました。

どうしていいか分からない僕はただみなさんの後に従います。


…誰とも話さなかった…

憔悴しきってドヨ~ンとしている僕…

と、前を歩いていた先輩がくるりと振り返り僕に声をかけました!

『俺らは2次会に行くけど、君は高校生やし久留米やからもう帰った方がいいよ』


…初めての…

…会話が…

…これ…

……



はぁ…そうですね…帰ります…

『うん。気をつけてね。お疲れ様~』


僕はたった1人、みんなに背を向け、駅へと歩いて行くのでした…

トボトボと…

トボトボと…


うわあぁ~~ん!
思い出すだけで切ないわ!


…てなワケで、ハンカチが必要だったのは僕だったって事で。


自分が先輩になったら新人さんには積極的に話しかけようと誓った師走の夜でした。


間もなく1991年。
2009-12-01(Tue)

アクションへの道(12)

そんなこんなでワケの分からないまま始まってしまった僕のキャラクターショー生活。

初めての役は戦隊物の戦闘員だった。

本番は12月24日。
初練習から6日後だった。

当時ウチのチームでは火曜・水曜・木曜が練習日だった。
僕の初練習は火曜日だったので、その翌日、翌々日も練習に行ったように思う。
何かしら技術を覚えていないと初ショーが不安だったのだ。

週末には当然リハーサルもやったんだけど、緊張し過ぎてまったく記憶がない。

さて、いよいよ当日!

場所は1回目が大村浜屋(百貨店)。2回目が長崎浜屋との事だった。
僕はそれがどこなのか分からないまま早朝に集合し車に乗り込む。

誰とも話せない僕は地蔵のように硬直し、ただただ到着するのを待っていた。

遠いな・・・どこまで行くんだろう・・・??


まぁ、今ならですね、大村・長崎と聞けば間違いなく
長崎県!って分かりますよ。
ってか、他の場所が思い浮かばないですよ。
でも、地元久留米から出た事がない僕には大村なんて分からんのですよ!
ましてや、福岡のチームだから福岡県内で活動するもんだって勝手に思っとったんですよ!

なので、ようやく到着して
・・・あの・・・ここは一体どこですか・・・
って聞いて、
「えっ?長崎よ?」
って言われた時の衝撃は計り知れなかったです!

わざわざ長崎まで来るの!?

って。

・・・今なら長崎なんてほんの近所ってなもんで、鹿児島・宮崎でようやく
遠いな・・・
って感じるぐらいですが、当時はすごく遠方に思えたもんです。


↓↓1993年の僕。現場先でメンバーとカラオケに行った時の写真のようです。
1993

さて、この日のショーですが、僕がどんな事をしたのか、間違えたのか上手くいったのか、それも全然思い出せません。
ただ2回目でステージから片足だけ落ちて足の付け根を痛打したのは覚えています。

当時はスパッツなんて持ってなくて、中学で使ってた海パンをアンダーに穿いてたんですが、家に帰って脱ごうとしたらぶつけた所から出血していて、それが固まってなかなか脱げなくて困ったもんです。

・・・は?そうですよ?一日海パンで過ごしましたよ?
ショーが終わって着替えなかったのかって??
ははは!ただでさえ人見知りな僕が初ショーで緊張してる中、全然知らない先輩方の前でパンツを穿きかえるなんて
出来るワケがない!!

これからしばらくの間は、海パンを穿いて集合し、海パンのまま家に帰るというスタイルが続いたとさ。


・・・このブログ、ショーに足を踏み入れるまでは内容が濃かったのに、いざ初現場でこの薄っぺらさは何なんだ・・・
だって・・・緊張のせいで記憶がないんだもん・・・(泣)



薄っぺらついでに、次回はこの3日後に行なわれたチームの忘年会について書こうと思います。

ハンカチを用意して待て!!
プロフィール

武装代表・内野

Author:武装代表・内野
福岡・久留米を中心に、九州全域で活動している『アトラクションチーム武装』の代表です。

1972年生まれ。
1990年にキャラクターショーの世界に入り現在に至る。

2007年に武装を設立。

武装の活動内容は殺陣教室、殺陣指導、オリジナルキャラクターショー等。

現在は関西コレクションエンターテイメント福岡校さんでのアクションレッスン講師もやらせてもらってます。

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