2012-11-05(Mon)
『驚きました。さやかさんにまた会えるなんて』
『えっ?私ちゃんと約束しましたよね?またここで会いましょうって。もしかして約束忘れてました!?』
さやかが音駒に詰め寄る。
音駒が慌てて
『忘れてないですよ!』
と否定すると、さやかは更に
『じゃあ私の事信じてなかったんだ』
とむくれてみせる。
『そうじゃなくて、まさか今日会えるなんて思ってなかったから驚いただけですよ!』
『どうだか』
口調は他人行儀だが不思議と親密な空気を感じる。
心太郎は少し離れた場所から二人を眺め、拗ねた顔をして呟いた。
『仲がよろしくて結構な事っシュね』
心太郎はさやかから音駒の話を聞く度に若干の胡散臭さを感じていた。
ぶっちゃけて言うと、敵の間者ではないかと疑っていたのだ。
くのいちが色仕掛けで男を落とす術ならば、逆に男が女を嵌める術もある。
まぁそれは外見による所も大きいわけだが、ならば音駒とは色男であろうと想像はしていた。
『絶対に正体を暴いてやるっシュ』
心太郎はそう心に誓っていたのだが…
先程、遠くから音駒を見付けた時、
まだ顔も見た事がなかったというのに一瞬でそれが音駒だと分かった。
何故ならば、さやかから聞いていた通り、善良で、穏やかで、臆病で、そして強い、その雰囲気を纏っていたからである。
他人を騙すような邪気を全く感じさせない男だと心太郎は思った。
その善良な優男は遠目にも分かるぐらい、さやかの追求に狼狽えている。
『本当ですよ!私は毎日、いつかさやかさんに会えると信じてこの道を歩いてたんですから』
そう言うと音駒は少し申し訳なさそうな表情になって、
『最初の頃は、明日会えるかも、明日こそは会えるかもって毎日考えてましたけど、日が経つにつれ、さやかさんのお仕事はお忙しいんだなって分かってきて…それでわざと期待せずに歩くようにしてたんです。いつ会えるか分からないのに期待ばかり膨らませてると心が折れちゃいそうだったので。…ごめんなさい』
音駒は頭を下げた。
だが、
それを聞いてさやかは、詫びるべきは自分だと思った。
いつ会えるとも分からぬままに再会の約束をし、そして予定外に長丁場な任務で音駒を待たせていたのだ。
むしろ、約束をまだ信じてくれていた事の方が奇跡だろう。
『音駒さん、私こそごめんなさい。すみませんでした』
さやかは心から詫びた。
そのしおらしい姿はくのいちではなく普通の女の子にしか見えない、と、心太郎は思った。
2012-10-21(Sun)
『どうなるっシュかね』
心太郎がぼそりと呟いた。
『ゆりさん?』
歩きながらさやかが尋ねる。
心太郎は返事とも溜め息ともつかない声を出して頷いた。
『ゆりさんの為にも、早く謎を解かなくちゃね』
そう答えてはみたものの、正直もどかしい思いがある。
現在鳥飼については叔父・不問とその配下達が調査している。
公には出来ないが、金丸藩の後ろ楯もある。
自分達二人が動くよりよっぽど早く核心に辿り着くだろう。
だが、やはり直接関わっていたかった。
わずかな進展でも、いち早くゆりに伝えてやりたかったのだ。
『ゆりさん、つらそうだった…』
実は金丸を出てから、さやかはゆりに会いに行ったのだ。
むろん、父親を探しに来た少年という体は崩さず、
『父親が見つかって一緒に帰る事になったから礼を言いに』
という建前を告げた。
ゆりは己の心痛を表に出さず、
『本当に良かったですね!お父様が見つかって!』
と、優しい笑顔で自分の事のように喜んでくれた。
この女性を騙す事に良心が咎めたのか、さやかは別れ際にこう言った。
『鳥飼の…例のお触れの事なんだけんど…』
ゆりが小さく、だが、はっきりと反応する。
『町で聞いた噂だと、どうやら鳥飼の殿様、ここしばらくお身体を悪くされてるらしくて、おかしな触れを出したのもどうやらそのせいだって…』
『まぁ…お殿様のお具合いが?』
『でもどうやら回復に向かってるって話だったから安心していいんじゃねぇかな。きっと具合いが良くなれば触れについても考え直すに違いねぇよ。いくら嘘つきが良くねぇっつっても、死罪はやりすぎだもんな』
まくしたてるさやか…もとい少年に、ゆりは目を丸くしている。
『だからさ、そうなったらきっと富男さんだってゆりさんとの事考え直してくれるよ。それまでの辛抱だから元気出してくんな』
さやかは半分本心で、そして半分は嘘をつきながら、それでもゆりの事を思って一生懸命に話した。
こんなに優しい人が傷付いて泣くのは嫌だ。
ましてやそこに忍びの者の陰謀が絡んでいるなら尚更だ。
鳥飼の謎は、金丸侯が、不問が、そして自分達が必ず解決してみせる。
だからそれまで頑張ってほしい。
さやかはその気持ちを伝えようとしていたのだ。
その熱意が通じたのだろうか、
ゆりはさやかの前で初めて、
『はい、頑張ります』
と屈託なく笑ったのだ。
『ゆりさんの笑顔、素敵だったな…』
心太郎は隣で呟くさやかに
『さやか殿の笑顔だって素敵っシュよ』
と声をかけたが、
『あの笑顔を守る為に私達は戦わなくちゃね』
と完全に無視されてしまった。
『ちぇっ。いいっシュよいいっシュよ、さやか殿の素敵な笑顔はおいらじゃなく、あの人にだけ向けられてればいいっシュよ』
心太郎が遠くを指差した。
『えっ?』
さやかが目を向けると、心太郎の指の先には、
林の脇で大きな行李を担いで歩く、音駒の姿があった。
2012-09-20(Thu)
鳥飼の城に潜入してから二日が経っていた。
あれからさやかと心太郎は金丸に戻り、不問の到着を待って事の顛末を話した。
『兄は何者かに操られておるのか』
藩主は苦痛に堪えるような表情で声を絞り出す。
『一体何者が、何の目的で…』
そう呟くと不問を見て身を乗り出した。
『不問、その怪しき典医を捕らえて…』
感情的に言いかけたが、冷静さを取り戻し再び腰を落ち着かせた。
『いや、それでは事が大きくなるか』
怪しき典医を捕らえ、事の顛末を白状させれば鳥飼藩主の奇行は止むかもしれない。
しかし、いかな怪しくとも御典医が姿を消したとなれば鳥飼は城内のみならず騒動になる。
いたずらに安寧を乱す事は避けなければならない。
己の感情よりも合理性を優先出来る冷静さと頭脳があるからこそ金丸侯は名君なのだとさやかは思った。
山吹には『起、即、決』という言葉がある。
動く時は決める時、つまり、必ず決められるという確証を得るまで迂闊に動いてはならぬという事だ。
ならば今はまだ動くべきではない。
敵の情報が少なすぎる。
あの謎の典医とその背後にあるものを調べなければ。
さやかが思いを巡らしていると、不意に不問が振り返った。
『さやか、心太郎、おまえ達は里にお戻り。こちらは私の方で調べておくから』
『えぇっ?でも』
さやかは不満気な表情を露にした。
ここで帰っては中途半端な気がしたからだ。
心太郎もやはり同じような顔でさやかを見ている。
『おまえ達を引き留めたのは私だが、いつまでも山吹に帰さぬわけにはいかないからな。兄上には伝えているが、仔細はおまえが直接話した方がいいだろうからね』
笑顔でそう言う不問にさやかは渋々『分かりました』と答えた。
『進展があれば逐一おまえ達に報告するし、いざと言う時には必ず助勢をお願いするから。それでいいか?』
その言葉を聞いて、さやかと心太郎は一旦山吹の里に帰る事にした。
別れ際に不問は
『少しぐらい寄り道して帰っても大丈夫だからね』
と、意味深な事を言って二人を見送った。
2012-08-21(Tue)
さやかと心太郎は完全に日が暮れるのを待って合流し、城から抜け出した。
目立たぬ場所にある小窓を開け、そこからするりと外に出る。
そこは城の裏手に面していて、窓の下には石垣があるばかりだ。
さやかと心太郎は石垣を垂直に駆け降り、幅のない堀を飛び越え、町の暗がりを走り抜けた。
潜入時に下調べをしているおかげで、二人はすでに安全な脱出経路の見当を付けていたのだ。
もちろん謎の監視役に気付かれる危険性はあったが、気付かれてもこのまま走り去ればいい。
逃げ切る自信はある。
逃げ切らなければならない。
鳥飼の城を取り巻く謎の一端にようやく触れたのだ。
これから時間をかけて謎を解かねばならない。
いや、
出来るだけ早急に。
時が経てば経つほど、濡れ衣を着させられ処刑される者も増えるのだ。
さやかは先程城内で聞いた話を思い出していた。
本日は二名、そんな話をしていた。
それは人を欺きし咎によって処刑される者の数だ。
実際に人を騙したのかもしれない。
罠に嵌められた善良な者かもしれない。
その真偽はさやかには分からなかったが、
(何とか助けてあげたかった…)
そう悔いていた。
いかな一流の忍びとはいえ、事の真相に至るには手間と暇を要する。
今日、藩主を探ってみて、藩主が何者かに操られている可能性を知った。
そして怪しき典医らしき男の存在を知った。
次はその典医を調べなければならない。
目的は何か、黒幕がいるのか。
捜査が中途半端で終われば根本的な解決は難しくなる。
さやかは心中でそう呟いて、焦りを振り切って城から走り去ったのだ。
とりあえず、金丸侯に報告しよう。
そして、叔父・不問を交えて今後の作戦を立てよう。
二つの小さな影は、疾風のように金丸の城に向かった。
2012-07-25(Wed)
『上様』
戸の向こうから声がすると、藩主は身体を起こした。
返事を待たずに家臣達はすっと襖を開ける。
『失礼つかまつりまする』
二人の若侍、そして頭を丸めた十徳姿の中年の男が寝所へ入った。
さやかは屋根裏で、心太郎は床下で気配を完全に消し去っている。
『上様、御加減はいかがにござりまするか』
十徳の男が湯飲みを乗せた盆を手に藩主の傍らに座した。
おそらくは典医なのであろう。
『さ、薬湯を』
典医が藩主の手に湯飲みを握らせる。
すると鳥飼侯は、まるでからくりのような動きで薬湯を飲み干した。
その目は焦点が合っていない。
やはり藩主は病に侵されているのだと心太郎は思った。
空の湯飲みを受け取った典医はそれを逆さにして盆に乗せ、若侍達の後ろに座した。
それから、
しばらくの間、沈黙が続いた。
誰も喋らず、誰も動かず、ただ時間だけが流れる。
しかし天井裏のさやかは僅な変化に気付いていた。
虚ろだった藩主の目に、次第に光が戻り始めていたのである。
それはどんよりとした鈍色の光ではあったのだが。
やがて、藩主は口を開いた。
先程までの様子からは信じられぬ、しっかりした低い声で。
『どうじゃ』
いきなりの問いである。
心太郎は一瞬呆気に取られた。
だが若侍達には主君の真意が伝わっているらしく、
『本日は二名にございます』
と答えた。
『けしからん』
藩主は吐き捨てた。
若侍と典医は頭を下げる。
『人を欺かぬ、人を裏切らぬ、そんな当たり前の事が何故下々の者達には出来ぬのだ。裏切りは万死に値する行為。命をもって償わせるが良い』
『はっ』
更に若侍が頭を下げる。
そうか。
『本日は二名』
とは、人を欺いた罪で裁かれる者の数なのだ。
これよりその者達が刑を処されるのだろう。
さやかと心太郎が聞いた話では、今やこの鳥飼は疑心と謀略の国に成り下がっている。
『他人を欺くべからず』という律は、憎き者を排除する為に利用されている。
何処の某に騙されたと虚偽の密告をするだけで、その某は確かな詮議もないまま処罰されてしまうのだ。
つまりはこれから処刑される者達も、他人を欺いた者なのか他人に陥れられた者かははっきりせぬという事である。
これでは逆に、嘘をつく者が得をする、正直者が損をする社会が出来上がるだけではないか。
心太郎は処刑される二人を助けなければ、と思い、さやかの気配を探った。
もしかしたらさやかが助けに動くかもと思ったからだ。
だが、さやかが動く気配はなかった。
今は藩主から目を離すわけにはいかないのだ。
心太郎が奥歯を噛み締める。
さやかは心太郎の気持ちを察しながらも室内の様子を窺い続けていた。
先程、一瞬だけ鈍い光が灯った鳥飼侯の目が、再びどろりと濁ったからだ。
光を失うと、そのまま藩主は口を開かなくなった。
典医が寄り添う。
『上様はお疲れになったようじゃ』
そう言って目配せすると若侍達が頭を下げて襖を開けた。
湯飲みの乗った盆を手にした典医が退出し、若侍がそれに続く。
一人になった藩主は、またごろりと横になった。
(なによ、あれ)
さやかが内心毒づく。
さやかからははっきりと見えたのだ。
典医が寄り添うようにして、鳥飼侯の首筋にこっそり針を刺した所が。
そういえば、あの男が渡した薬湯を飲んでから鳥飼侯は人が変わったように喋り始めたのである。
薬と針で操られているのか。
ならばあの十徳の男は、ただの典医などではあるまい。