2012-11-23(Fri)
数時間前に再会した林の入り口に、さやか、心太郎、音駒の三人は立っていた。
ここからまた別々の道に進まねばならないのだ。
さやかと心太郎は忍びとして、
音駒は医者として。
『全然自分勝手じゃないっシュよ』
『そうでしょうか。私は許嫁の事ではなく、私自身を救いたくて医学を志したんです』
『でもでも、音駒さんは人を救う事で自分も救おうとしてるっシュ。それは自分勝手なんかじゃないとおいらは思うっシュよ?』
心太郎のまっすぐな視線を受けて、音駒は困ったような、照れたような微笑を浮かべた。
さやかがいたたまれず口を挟む。
『私もそう思います。それに…こんな風に言っていいのか分からないけど…その女性はもう戻ってこないんだから…その方が望んでいたのなら、音駒さんは一生懸命生きなくちゃいけないと思います!』
さやかの言葉が、熱く、強い。
それを聞いて、音駒は、ふっ、と笑った。
『そうですよね。だったらさやかさん、さやかさんも一生懸命生きて下さいね。お兄さんも帰ってはこない。だったら、お兄さんが望んでいたのなら、さやかさんも生きるべきでしょう?』
『えっ?』
そうだった。
音駒は最初からさやかにそれを伝えたかったのだ。
『お兄さんは、さやかさんの死を望むような人ではなかったですよね?』
さやかは音駒から目をそらして、小さく頷いた。
自分の事を棚に上げて音駒に熱く語ってしまった事が恥ずかしくなったのだろう。
だが音駒は無邪気に笑って、
『良かった!』
と声をあげた。
暗い林に音駒の明るい声が場違いに響く。
『私は悲しみを抱えた人達の心から死の影を追い払いたいんですよ。そして特に、さやかさんには生きていてほしいんです。だから、お互い一生懸命生きて、またお会いしましょう。必ず』
さやかは顔をあげて音駒の笑顔を見て、ふふふと笑った。
まったく、この青年は強いのか弱いのか分からない。
いや、自分の事にはてんで弱いのに、他人の為となるととことん強いのだ。
『はい。また会いましょう。約束ですよ』
さやかも明るく答える。
見つめ合い、微笑み合う二人を見て心太郎はちぇっ、と舌打ちし、
『まったく…仕方ないっシュねぇ』
といたずらっぽく笑うと、どこからともなく一羽の鳩を出して音駒の肩に乗せた。
『わわわっ!?心太郎殿!これは!?』
『おいらが任務の時に使ってる鳩っシュよ。音駒さんに何かあったら、この鳩がおいらに教えてくれるっシュ』
『えっ!?本当に!?』
『心太郎!あんたいつの間に!?』
音駒だけじゃなくさやかまで驚いている。
『こんな事もあろうかと、鳥組に育ててもらってたんシュよ』
『ちょっとあんたぁ、珍しく気が利くじゃないの~』
さやかこそ珍しく本気で喜んでいる。
『これでおいら達はいつも一緒、って事っシュね』
若き医者と幼き忍者達は不思議な絆のようなものを確信して、それぞれ戻るべき場所へ歩きだした。
2012-11-19(Mon)
『自分勝手な、理由?』
さやかが尋ねる。
『はい。彼女を失った私は生きる希望を失いました。もうね、恥ずかしい話ですが…彼女無しの人生なんて考えられなくなってたんです。仕事をして稼ぐ事さえ彼女の幸せの為にって思い込んでましたから』
『…分かります』
さやかには音駒の気持ちが本当に理解出来た。
さやかも、兄・たけるのいない人生なんて想像もつかなかったし耐えられなかったのだ。
『だからね、私はその時…死にたいと思ったんです。さやかさんと同じように』
蝋燭の炎に照らされた音駒は自嘲気味に目を伏せた。
『おかしいですよね。一度は死を願った私が今は医者として人を救おうとしてるなんて』
『おかしくないっシュよ!音駒さんは自分がたくさん苦しんだから親身になって人を助けられるんじゃないっシュか』
『ありがとう、心太郎殿。でもね、その時は本気で死ぬ事しか考えられなかった。私は彼女という大地の上に生きていたんです。その大地を失って私は…どこでどう生きれば良いのか分からなくなってしまった』
そこで言葉を切って、音駒はさやかを見た。
『さやかさんもそんな感じではありませんでしたか?違ったらすみません。でも、同じものを感じたので…』
さやかは 返事をしなかったが、それは明らかな無言の同意だった。
『それから私は何度も死のうとしては失敗して…ふふっ、やはり意気地がなかったんでしょうねぇ。でもある日、意を決して、とうとう本気で死のうとした。その時に助けて下さったのが、今の私の師匠なんです』
『お医者さんに助けられて、それで弟子入りを?』
『すぐにではないですよ。最初はまだ、死にたい死にたいと駄々をこね、楽に死ねる薬があるなら調合してくれと頼んだりもしました。でも師匠は私の事情を聞いてこうおっしゃったんです』
音駒が息をすっと吸い込んだ。
『世の中には病や怪我で、死にたくなくとも死ぬる者がおるのだぞ。おのれが手前勝手に命を捨てるなど、そうした者達に申し訳ないとは思わぬか?…と』
音駒は、泣きじゃくる自分を一喝した師匠の形相を思い出す。
『死にたくないと泣きながら死んだ許嫁に申し開きが出来るのか、と。それともおまえの許嫁は、おまえまで道連れに死にたいと願うような浅ましい女だったのか、と』
違う!と音駒は怒鳴ったのだそうだ。
あれはそんな女ではなかった!
私の死を願うような女ではなかった!
そう言ったそうだ。
そこで、
自分の使命に思い至ったのだという。
彼女の為に生きる事。
生きたいと願った彼女の代わりに生きる事。
『そこで初めて私は弟子入りを志願したんです。ただし、身体の病ではなく気の病を治す為に。私と同じように、悲しみや苦しみで心を壊してしまう人、心が病んでしまう人はたくさんいる。だから私は、私が師匠に救われたように、そんな人達を救ってあげたいんです』
音駒は一気に吐き出すように喋ると、ふぅと一息ついてさやかと心太郎に微笑んだ。
『ね?自分勝手な理由でしょう?』
2012-11-17(Sat)
音駒の表情が若干変わったような気がして、さやかは躊躇った。
『聞いても、いいですか?』
『もちろん構いませんよ。話す約束ですしね。ただ、面白くない話なので許して下さいね』
音駒が照れたように笑った。
『私は以前、許嫁を病でなくしたんですよ。許嫁といっても幼馴染みのようなものでしたけどね』
その言葉を聞いて、さやかの心臓が鼓動を早めた。
イバラキ、ゆりえ、そして音駒、
自分の周りには愛する人を失う者が多すぎやしないかと不安になったからだ。
いや、それだけではない。
音駒に許嫁がいたという事に微かな嫉妬を抱いてしまったから、でもある。
だが幼いさやかは己の感情の正体を掴めずに苛立ち、音駒の顔を見た。
いつもと変わらぬ音駒の笑顔が、いつの間にか薄闇に包まれてる。
さきほどまで西陽が眩しいくらいに感じていたのに。
『もう5年も前の話です。ちょうど親同士の間で私達を一緒にしようという話が出ていた頃で…もちろん私達もいずれそうするつもりではいたのですが…これから祝言の段取りを話し合おうという時に彼女が病に倒れました』
『何の…病気だったっシュか…?』
『癌でしたね。気付いた時にはもうかなり進行していてどうしようもなかった。もっと注意深く見守っていれば早い段階で気付けたのかもしれませんが、彼女は元々身体が弱くて、多少具合いが悪くても無理をする癖があったんです』
陽が完全に落ちた。
『暗くなりましたね。燭台を出しましょうか』
足を止め、ほどいた荷から出した蝋燭に火を灯し、音駒は再び歩き出す。
さやかと心太郎は音駒の横に並んだ。
『医者も家族も手を尽くしましたし、本人も気丈に振る舞っていたんですが…最後の数ヶ月はただ、死にたくない死にたくない、と、それはもう狂ったように』
さやかは言葉も出ない。
『死にたくない、生きて貴方と一緒になりたいと言われる度、私は自分の非力を悔やみました。結局何も出来ないまま、彼女は息を引き取りました』
しばし沈黙が訪れた。
何を話すべきなのか、
いや、声を発するべきなのかすらさやかには分からなかった。
『それで…医者になろうと…?』
心太郎が躊躇しながら訪ねる。
『そうではありません』
音駒が即座に否定した。
『許嫁を助けられなかった後悔から医学の道を志したわけではありません。私の場合は、もっと自分勝手な理由なんです』
2012-11-12(Mon)
音駒が患者の屋敷で治療をしている間、さやかと心太郎は近くをぶらぶらと歩いてみた。
刺すように冷たい風が背を押すように吹いている。
顔を上げると空には一面 冬の雲が広がっていた。
景色が灰色に見えるのはそのせいかもしれない。
冬の景色には色が無い。
さやかは常々そう思っていたが、今は少し違う。
雪の白も、雲の灰色も色なのだ。
花の赤や空の青と同じ『色』なのだ。
それに気付いてから、何だか分からないけど何故か心が晴れた。
さやかは心太郎にそんな事を話した。
『ふぅん』
心太郎は驚いたような、納得したような、嬉しいような、それでいてそっけないような曖昧な返事をした。
『なによその生返事。せっかく話したのに』
さやかが拗ねる。
『いや、それはいい事だなぁって思うっシュよ。おいらも何だか嬉しいっシュ』
心太郎が微妙な受け答えをするので二人の会話はそこで終わってしまった。
やがて陽が傾いて木々の影が遠くに伸びた頃、屋敷の木戸から行李を背負った音駒が姿を現した。
屋敷に向かって手を合わせ、患者の治癒を祈っている。
『音駒さん、お疲れ様』
『さやかさん、心太郎殿、すみません、待たせてしまって』
『いいえ、またしばらくお別れなんだからこのぐらいは』
さやかが微かに曇った笑顔で答える。
音駒とはここで別れ、山吹の里に戻らなければならない。
次にまた会える保障はどこにもない。
だがさやかは無理に明るく振る舞った。
『患者さんはどんな様子でしたか?』
『そうですね。気塞ぎは波がありますから。今日は落ち着いてましたが、まだ先は長そうですね』
音駒の表情も曇る。
だがそれはさやかとの別れを惜しんでではなく患者を心配してのものだ。
さやかは寂しい気がしたが、それでこそ音駒だと嬉しくも思った。
『ねぇ音駒さん』
『はい?』
『前に約束しましたよね?音駒さんがお医者さんになろうと思った理由、次に会った時に教えて下さい、って』
『そうでしたね』
音駒は微笑んだ。
だが心太郎はその笑顔を見て、音駒の瞳の奥に寂しげなものが秘められている事を悟った。
2012-11-06(Tue)
林の脇を通り、音駒は病人が待つ家に向かって歩いた。
さやかと心太郎はその隣についている。
『あれからこの林には?』
さやかが尋ねる。
かつてこの林には天狗が出るという噂があった。
天狗の正体はイバラキ達『幻龍組』の忍者達で、さやかは酷い手傷を負わされ、それが音駒との出会いのきっかけになったのだ。
『あれからは何も。周囲の噂だと天狗はお山へ帰られたそうです。…私はまだ怖くて、こうして林の外を歩いておりますが』
音駒は自虐的に照れた笑顔を見せた。
あの時は音駒もかなり危険な目に遭ったのだ。
恐怖が残っていたとて不思議ではない。
『でもまさか、さやか殿がこんな普通の人に助けられたなんて…なんか信じられないっシュね』
『こら心太郎!』
心太郎が図々しい口をきく。
『はは、いいんですよさやかさん。心太郎殿の言うように私は普通の、いえ、普通にも満たない者ですから』
音駒が爽やかに答える。
そこには卑下も皮肉もなく、本心からそう思っている事がうかがえた。
『一人前の医者になって、本当に人の命を救えるようになるまで私は半人前なんです』
さやかは頭を振った。
『そんな事…もう!心太郎!あんた、音駒さんからちょっと良く言われたからって調子に乗りすぎじゃないの!?あんたなんか半人前にもなれない三流以下なんだからね!?』
心太郎が音駒から良く言われたというのは先ほど初対面の挨拶をした時である。
音駒は自分よりずいぶん年下の心太郎にしっかりとあたまを下げて自分から名乗った。
『はじめまして。音駒といいます。医者を目指して精進中の身です。さやかさんがこちらの林を通られた折、縁あって知り合いました』
固い。固すぎる。
このまま『さやかさんを嫁に下さい!』と言わんばかりの固さである。
心太郎は吹き出しそうになりながら、手短に言った。
『おいらは心太郎っシュ』
本来なら忍者に自己紹介などない。
身分を明かさぬが常なのだ。
『心太郎殿もさやかさんと同じ山吹流の忍者なのですか?』
禁忌を知らぬ者はずばりと核心に触れてくる事がある。
心太郎は戸惑ってさやかをちらりと見た。
答えて良いものか迷ったのである。
さやかが笑顔でうなずくのを見て心太郎はようやく
『そうっシュ』
と答えた。
『なるほど』
音駒が感嘆の表情を浮かべる。
『おそらく心太郎殿は、優れた腕前をお持ちなのでしょうね』
『えっ?』
『聞けばさやかさんは流派本家の跡継ぎとの事。そのような優れた方に同行を許されているのですから、心太郎殿の腕前も並々ならぬものがあるのではと思いまして』
そう言われて心太郎は驚いた。
心太郎はいつも、さやかの『弟』や『弟子』に見られているのだ。
任務の同行者として見られた事などほとんどない。
だが音駒は心太郎を『優秀な同行者』だと判断した。
危険な任務に赴くさやかが足手まといを連れて行くはずがないと考えたのだろう。
悔しいが心太郎は音駒に好感を持ってしまった。
『並々ならぬ腕前?ははん、音駒さんはよく分かってるっシュ。おいらは…』
得意気な心太郎の言葉をさやかが遮る。
『音駒さん!それは買い被りすぎよ!そいつは三流も三流、全然使えない役立たずよ!頭領の命令で仕方なく連れてるだけなんだから!』
『さやか殿、そんなぁ』
心太郎が落ち込む。
『いやいや、心太郎殿が三流ならば、頭領殿も同行を命じる事はないでしょう。今ここにいるという事が、心太郎殿の実力の証明だと思いますよ』
心太郎は一瞬浮かれかけたが、さやかが修羅の如き形相で睨んでいたので恐縮したふりをした。
それ以来心太郎は音駒に馴れ馴れしい態度を取るようになったのである。