2012-02-19(Sun)
小説・さやか見参!(140)
『さやか殿!』
心太郎は駆け寄ってくる。
『さやか殿、もう怪我は治ったっシュか?』
少し痛むがもう足を引きずる事もない。
『ほとんどね』
『良かったっシュ~!』
て心太郎は安堵のあまり座り込んだ。
さやかは少し微笑んで空を見上げる。
雲のない空は果てしなく遠く、果てしなく青い。
さやかが不問の屋敷に到着してから五日が過ぎていた。
傷を負ってここに辿り着いたさやかは、あろう事か不問との面会中に眠りに落ちてしまい、翌日になってようやく巻き物を渡す事が出来たのだ。
『不覚だったなぁ…』
さやかが呟く。
『何がっシュか?』
こんな時の心太郎は耳聡い。
『なんでもないわよ』
『不問様の前で寝てしまった事がっシュか?』
『分かってんなら聞かないでよ。嫌な奴』
心太郎は笑った。
『仕方ないっシュよ。あの布団には気持ちを安らげる香が染み込ませてあったっシュから』
さやかはまぶたを閉じて、あの、とても良い香りの布団と襦袢を思い出した。
あれは香を焚いた部屋に数日干して匂いを染み込ませたものらしい。
心太郎の話によると、さやかが予定通りに到着しなかった時点で、不問は香の準備を命じたのだそうだ。
恐ろしいほど全てを見通している。
予想や予測に収まらぬ、それはもはや予知能力ではないのかとさやかは思った。
目を閉じたさやかを包むように冷たい風が吹く。
不問の屋敷の広い庭で、さやかと心太郎はその風を受けた。
二人の髪がなびく。
ひんやりとした風がなんだか清浄なものに思えた。
さやかは目を開いて心太郎の横顔を見る。
視線を感じて心太郎が振り返る。
屈託のない笑顔だ。
『…心太郎、こないだはごめんね』
『どうしたっシュか?急に』
『どうもしないけど』
しばらく前、二人は山吹の里で気まずい別れをしたままだったのだ。
正論を説く心太郎に対し、さやかが感情的に噛み付いた事が原因である。
さやかの心には罪悪感が澱のように溜まっていた。
それだけでなく、年下の、しかも弟子のような心太郎に諭された劣等感まで抱えていた。
ここで再会してからも、もやもやした気持ちはあったのだ。
だが心太郎はあくまで普通に、何事もなかったかのように自分に接してくれている。
ならば自分も何事もなかったかのように心太郎に接しようか…
だがそれはさやかの心が許さなかった。
あまりに卑怯だ。
弟子の優しさに甘えて便乗しようなんて。
それならいっそ謝ってしまった方がすっきりする。
『あんたの言う事が正しいのは分かってる。でも、どうしてもまだ受け入れられなくて』
さやかはしばらく黙って、
『だから、ごめん』
ともう一度謝った。
心太郎ははにかんだ笑顔になって
『おいらの言う事は理想論っシュから』
と答えた。
『さやか殿の気持ちを考えたら、あんな事言われても納得出来ないの分かるっシュ。…って言うか、さやか殿が怒るの分かってて言ったっシュ』
『そう、なの…?』
『さやか殿には理想論も必要だと思って…いつも重い現実を背負ってるっシュからね』
『そう、なんだ…』
さやかは心太郎の優しさに胸をえぐられる思いがした。
『おいらね、』
心太郎はさやかに向き合うと、元気な声で
『さやか殿の死にたいって気持ちがなくなるまで一生懸命頑張るっシュ!』
と宣言した。
一瞬ぽかんとしたさやかだったが、『ふっ』と笑うと、困ったような照れたような表情になって
『立派な弟子だなぁ』
と呟いた。
そして空を見て
『私も、弟子に負けない立派な師匠にならなくちゃ』
と独り言を言った。
冬の空に、軽やかな鳥達の歌声が響いていた。
心太郎は駆け寄ってくる。
『さやか殿、もう怪我は治ったっシュか?』
少し痛むがもう足を引きずる事もない。
『ほとんどね』
『良かったっシュ~!』
て心太郎は安堵のあまり座り込んだ。
さやかは少し微笑んで空を見上げる。
雲のない空は果てしなく遠く、果てしなく青い。
さやかが不問の屋敷に到着してから五日が過ぎていた。
傷を負ってここに辿り着いたさやかは、あろう事か不問との面会中に眠りに落ちてしまい、翌日になってようやく巻き物を渡す事が出来たのだ。
『不覚だったなぁ…』
さやかが呟く。
『何がっシュか?』
こんな時の心太郎は耳聡い。
『なんでもないわよ』
『不問様の前で寝てしまった事がっシュか?』
『分かってんなら聞かないでよ。嫌な奴』
心太郎は笑った。
『仕方ないっシュよ。あの布団には気持ちを安らげる香が染み込ませてあったっシュから』
さやかはまぶたを閉じて、あの、とても良い香りの布団と襦袢を思い出した。
あれは香を焚いた部屋に数日干して匂いを染み込ませたものらしい。
心太郎の話によると、さやかが予定通りに到着しなかった時点で、不問は香の準備を命じたのだそうだ。
恐ろしいほど全てを見通している。
予想や予測に収まらぬ、それはもはや予知能力ではないのかとさやかは思った。
目を閉じたさやかを包むように冷たい風が吹く。
不問の屋敷の広い庭で、さやかと心太郎はその風を受けた。
二人の髪がなびく。
ひんやりとした風がなんだか清浄なものに思えた。
さやかは目を開いて心太郎の横顔を見る。
視線を感じて心太郎が振り返る。
屈託のない笑顔だ。
『…心太郎、こないだはごめんね』
『どうしたっシュか?急に』
『どうもしないけど』
しばらく前、二人は山吹の里で気まずい別れをしたままだったのだ。
正論を説く心太郎に対し、さやかが感情的に噛み付いた事が原因である。
さやかの心には罪悪感が澱のように溜まっていた。
それだけでなく、年下の、しかも弟子のような心太郎に諭された劣等感まで抱えていた。
ここで再会してからも、もやもやした気持ちはあったのだ。
だが心太郎はあくまで普通に、何事もなかったかのように自分に接してくれている。
ならば自分も何事もなかったかのように心太郎に接しようか…
だがそれはさやかの心が許さなかった。
あまりに卑怯だ。
弟子の優しさに甘えて便乗しようなんて。
それならいっそ謝ってしまった方がすっきりする。
『あんたの言う事が正しいのは分かってる。でも、どうしてもまだ受け入れられなくて』
さやかはしばらく黙って、
『だから、ごめん』
ともう一度謝った。
心太郎ははにかんだ笑顔になって
『おいらの言う事は理想論っシュから』
と答えた。
『さやか殿の気持ちを考えたら、あんな事言われても納得出来ないの分かるっシュ。…って言うか、さやか殿が怒るの分かってて言ったっシュ』
『そう、なの…?』
『さやか殿には理想論も必要だと思って…いつも重い現実を背負ってるっシュからね』
『そう、なんだ…』
さやかは心太郎の優しさに胸をえぐられる思いがした。
『おいらね、』
心太郎はさやかに向き合うと、元気な声で
『さやか殿の死にたいって気持ちがなくなるまで一生懸命頑張るっシュ!』
と宣言した。
一瞬ぽかんとしたさやかだったが、『ふっ』と笑うと、困ったような照れたような表情になって
『立派な弟子だなぁ』
と呟いた。
そして空を見て
『私も、弟子に負けない立派な師匠にならなくちゃ』
と独り言を言った。
冬の空に、軽やかな鳥達の歌声が響いていた。
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