2012-01-09(Mon)
地面に荒々しく放り出されて、さやかは意識を取り戻した。
『うぅっ…』
身体中に痛みが走る。
イバラキの攻撃は人体の急所を確実に攻めてくるのだ。
まさかあれほど実力の差があろうとは。
イバラキの力なら、さやかを殺そうと思えば出来たに違いない。
そうしなかったのは山吹の巻き物を奪う為だ。
特殊な袋に納められた巻き物を奪うには、封の解き方をさやかから聞き出さなければならない。
それがなければ今頃…
『…くっ!』
さやかは悔しさに歯噛みした。
『おい、小娘』
頭上から声がする。
うつぶせのまま痛みをこらえて首を動かすと、幻龍組の下忍達がさやかを見下ろしていた。
『さっきはよくもやってくれたな』
『さぁ、大人しく巻き物を渡しな』
さやかは身体を起こそうとしたが動けなかった。
自分の身体とは信じられぬほど重い。
さてはイバラキに経絡を突かれたか。
だが、どれほど不利な状況であろうと恫喝されれば刃向かうのが山吹さやかである。
『渡しな?はん、あんた達みたいな三流が私に偉そうな口叩くなんて百年早いわよ』
下忍がうつぶせになっているさやかの腹を蹴り上げた。
『ぐぅっ!』
反転し仰向けになったさやかを更に踏み付ける。
『でかい口を叩くなよ小娘。さっきとは状況が違うぜ?』
『それはこっちの台詞よ三流忍者。4人がかりでくのいち1人倒せもしないくせに』
『黙れっ!』
下忍がさやかの腹を踏み付ける。
『ぐふっ!』
さやかの口から血が飛んだ。
だがさやかは黙らない。
『いいわねぇ、強い親分がいると。自分達が弱くてもこうして偉そうに出来るものね』
『なにぃ!?』
『何の実力もないくせに、他人に頼って偉そうに生きるなんて、私だったら恥ずかしくて生きてられないわ』
『貴様…』
『あんた達、よく平気な顔で生きてられるわね、すごーい』
口の端から血を流しながら侮蔑の笑みを見せる少女に下忍達は激昂した。
踏み付けていた足をおろし、腕を掴んで無理矢理さやかを立ち上がらせる。
『なんとでも言え。結局はおまえの負けなんだよ』
さやかを掴んでいる下忍が仲間に命じた。
『おい、この生意気な小娘の腕を斬り落とせ。巻き物の事を喋るまで、少しずつ斬り刻んでやるんだ』
そう言われて下忍の1人が刀を抜く。
背中の鞘から抜き放った刃がぎらりと光った。
『まずは右腕、次は左腕、それから鼻でも削ぐかぁ?』
楽しげに眺めている別の下忍も加わってくる。
『顔は後だ。腕の次は脚にしとこうぜ』
『なんでだよ』
『この小娘も見た目はなかなかのもんだからよ。手足がなくてもけっこう遊べるぜ。でも鼻がなけりゃ興ざめだ』
『おいおい、まだガキだぜ?』
『いくら若いのが好きったって限度があるだろうよ』
青装束達は一斉に下卑な笑い声を上げた。
『ま、とりあえず』
刀を持った下忍がさやかに近付く。
『右腕は確定だな』
2011-12-26(Mon)
イバラキが断と封に向かって進むのと同時に、青装束の下忍達が姿を消した。
もちろん気を失っているさやかも一緒に、である。
この場は頭領に任せ、山吹の巻き物を奪い取る算段なのだろう。
下忍が消えたのを見て、断が舌打ちする。
『断、いいじゃないの。山吹はオマケでしょ。私達の目的は荊木の奥義よ』
『はいはい。分かってるよ』
『あんたはあっちもこっちも狙い過ぎなのよ』
『うっせぇな』
まるで痴話喧嘩のようなやり取りにイバラキも笑みを浮かべた。
『集中力が欠けては忍びは務まらんぞ』
そう言われて断は不満気な表情を封に向ける。
『ほら見ろ。おふうが余計な事を言うせいで敵にまで笑われちまった』
その言葉は終わった瞬間、断の姿が消えていた。
いや、いつの間にかイバラキの背後に回り込んでいた。
よく見ると断の手には大きな針のような物が握られており、それはイバラキの左の肩甲骨の下辺りに深々と突き刺さっている。
どさり。
積もった枯れ葉の中に何かが落ちた。
それは、
刎ね飛ばされたイバラキの首であった。
前方では封が刀を払った姿勢で止まっていた。
瞬間の連携技である。
長年組んできた二人だからこその阿吽の呼吸と言えよう。
しかし本人達には連携の意識はないようである。
『はっ、俺の一撃で終わっちまった』
そう言いながら断が針を抜く。
首を失った身体が断の足元に崩れ落ちた。
『たわいもないぜ』
『ちょっと』
封が刀に付いた血を拭った。
『あんたが刺す前に首は飛んでたでしょ』
封は刀を背に回し、革製の鞘に納めた。
『殺ったのは私よ』
『馬鹿言え。俺の針で動きが止まってから斬っただろ。手柄を横取りすんじゃねぇよ』
相変わらず痴話喧嘩のような二人のやり取りに、明るい声が割り込んだ。
『面白いなぁ』
断と封が振り向くと、白い小山に邪衆院が腰掛けていた。
笑顔である。
『お、おまえ』
断の声がうわずった。
邪衆院の台座となっているのは一角衆配下の屍の山だったからだ。
『面白い』
再び邪衆院が声を上げた。
『面白いなぁ、一角衆は』
屍の山からひらりと降りる。
あれほどの数の白装束が、わずかな間に命を奪われ積み上げられている。
イバラキを仕留めている最中だったとはいえ、自分達はその気配も感じなかったのだ。
そして死体の山を築き上げた張本人は、疲れも見せず、返り血も浴びず、ただにこにこと笑っている。
断と封が二、三歩下がった。
『手柄争いなんかしてるけど』
邪衆院が歩いてくる。
二人が下がる。
『仲間の首が手柄になるんだねぇ、一角衆って』
『えっ?』
邪衆院の言葉に二人は足を止めてぎょっとした。
視界の隅にあるイバラキの亡骸が、
先ほどまで確かに黒い装束をまとっていたハズの首のない死体が、
いつの間にか、“血に染まった白い装束”をまとっていたからだ。
あれは紛れも無く一角衆の装束である。
という事は…
断はイバラキの首を探そうとして硬直した。
身体が動かない。
視界の端で封も固まっている。
まさか
背後から声がする。
『背面の経絡三点を刺してある。動く事は出来ぬぞ』
それは笑いを噛み殺した幻龍イバラキの声であった。
2011-12-18(Sun)
邪衆院とイバラキは同時に一歩踏み出した。
断と封が構える。
邪衆院は穏やかな顔つきでイバラキに訊いた。
『どちらを?』
イバラキも余裕たっぷりに答える。
『どちらが良い』
一瞬『うーん』と考えてから、
『じゃあ掃除係』
と言って、邪衆院は飛び出した。
断と封は身構えたが、邪衆院は二人を飛び越え、自らのクナイに傷ついてもがいている白装束の集団に向かって行った。
深手を負っているとはいえ、そこは一角衆の配下である。
各々が最期の力を振り絞って邪衆院に襲いかかる。
だが、誰一人として邪衆院に傷をつける事は出来なかった。
まるで見えない壁にぶつかるかのように、邪衆院に近付いた者は次々と崩れ落ちていったのだ。
見ると、倒れた者達は総じて脚がおかしな方向に曲がっていた。
膝の関節を完全に破壊されている。
邪衆院は、敵が自分の射程範囲に入って来た瞬間に骨を砕いていた。
しかも、一動で、である。
敵の攻撃を避け、己の体勢を整え、攻撃を放つ。
これは三動だ。
つまり邪衆院は、敵の攻撃を避けながら同時に攻撃を放っているのである。
この程度なら相手が何人何十人であろうと造作もないのだ。
邪衆院天空にとっては。
どうすれば複数の敵と戦えるのか、
幻龍組の下忍中忍から訊かれる度に邪衆院はこう答える。
『まずは敵の攻撃が当たらない位置に動く事だね。最小限の動きで。
そこから一番早く出せる技を出せばいいよ』
あまりに簡単な答えなので質問者は拍子抜けしたが、当然難易度は高い。
ましてや複数の敵が相手の場合、の話なのだから。
『大勢が一斉にかかってくるとしてもさ、瞬間的に見れば自分の近くにいるのはせいぜい四人。
だから、四つの攻撃を同時に躱して四つの攻撃を瞬時に出せるようにすれば相手が何人いたって大丈夫。
向こうがかかってきてくれるなら尚いいね。
こっちは最小限の動きで済むから楽だよ』
事も無げに答えた若き教練の言葉に下忍達は動揺を見せた。
自分達にそのような事が可能なのかと疑問を持ったようだった。
その狼狽を見てとった邪衆院は軽く『ははっ』と笑って、
『出来るかどうかは地道な鍛練の積み重ね次第だね』
と言っていたが…
邪衆院の戦いぶりを横目で見ていたイバラキは、
『手下どもに見せてやれば良かったわ。
積み重ねるとはこういう事だとな』
と言って、断と封に向かった。
2011-12-17(Sat)
『とにかく』
自分の中のわだかまりを振り切るように断が声を荒げた。
『せっかく揃ったんだ。貰ってくぜ、荊木と山吹の奥義をな』
『ほう、山吹はともかく、荊木の奥義がここにあるとでも?』
イバラキはおどけたような仕草でとぼけてみせた。
それを見て、断はへへっと笑う。
『分かんねぇけどさ…』
勿体つけた口振りで一瞬だけ視線を逸らし、それを戻すと声を張った。
『ここにあるなら、ありがたいよねぇ!』
この言葉が合図だったかのように、断の背後からイバラキ目掛けて無数のクナイが飛んだ。
いつの間に現われたのか、一角衆の白装束が視界を埋め尽くしている。
数十人、いや、もしかすると百人は下らないかもしれない。
今では強敵となったイバラキを確実に討つ為に、断と封は数を頼った。
この人数を集め、率いるが為に刻を要し、結果血飛沫鬼血塗呂からひと月も出遅れてしまったのだ。
だがそれとて、ここでイバラキを倒せば問題ない。
断と封はクナイの後を走った。
いかなイバラキといえども、これだけのクナイを捌くのは容易ではあるまい。
クナイが当たれば儲け物、当たらずばその隙を断と封が突く。
それで駄目なら白装束が襲いかかる。
最悪殺せずとも、奴の腰にぶら下がっている袋を奪えれば良い。
断と封の前方に立つイバラキは口元をにやりと歪めたまま身じろぎもしなかった。
クナイの集中砲火が迫る―
(届いた!)
封がそう思った瞬間、
これまで前方に向かっていたクナイが一斉に反転して、後を追っていたはずの自分達に向かってきた。
百近い本数の全てが、である。
『ぉあっ』
断が奇妙な声を上げながらそれを躱した。
封もどうにか避けたが、完全に進行は止まってしまった。
不自然な体勢で立ち止まった断と封の後ろでは、低い唸りのような音が響いている。
振り返ると、反転したクナイが打った者へと舞い戻り、その身体に突き刺さっている所だった。
肉を裂く音、悲鳴、それらが集まり、唸りのように聞こえていたのである。
断にも封にも、何が起きているか分からなかった。
イバラキは動かなかった。
二人は、驚き、と言うよりも恐怖に近い表情でイバラキに向き直った。
だが、
二人とイバラキの間には、
いつの間にか1人の男が立っていた。
クナイを跳ねるに足る鋼の手甲、脚半を着けた男が。
その男を見た断と封は先ほどまでの余裕を失って、動く事を忘れたかのようだ。
イバラキが男に近付き、むき出しの肩の筋肉に手を乗せた。
『今度は我らの番だな。いくぞ、邪衆院』
そう言われて邪衆院 天空は
『はい』
と楽しげに答えた。
2011-12-14(Wed)
封の長い髪が揺れた。
断は無精髭をさすった。
2人の姿を見てもイバラキが動じる事はなかった。
『いつもの天狗はおらぬのか』
イバラキの問い掛けに不意を突かれたのは断と封である。
『天狗?』
思わず封が問い返す。
『知らぬのか』
イバラキがにやりと笑う。
『この辺りでは噂になっておるぞ。山から天狗が下りてくるとな』
『その噂ならここに来る途中で何度も聞いたよ』
そう言って断はもう一度髭をさすった。
『そうか。ならば天狗が二匹おった事も?』
『はぁ?』
断が間抜けな声を出した。
『二匹?』
封も尋ねる。
『さよう。赤き天狗と白き天狗。どちらもまるで猿のごとく身軽であったぞ』
『赤と白で身軽って…』
『おいおふう、そりゃまさか…』
狼狽する2人を見てイバラキは声を上げて笑った。
『はっはっはっは!どうやら知らなかったようだな!身内の動きも把握しておらぬとは、おぬしらの力量がうかがえるわ!』
『う、うるせぇ!』
赤き天狗と白き天狗、それが血飛沫鬼と血塗呂である事は断も封もすぐに分かった。
だがイバラキの言う通り、同じ一角衆である血飛沫鬼と血塗呂が動いている事を断と封は知らなかったのだ。
そう。
この近隣で噂される天狗の正体、
それは一角衆の兄弟忍者であったのだ。
さやかは『幻龍組こそ天狗』だと思ったようだが、とんだ勘違いである。
イバラキ達がこの林に来たのは今朝の事、
対して天狗の噂はひと月も前から囁かれていたのだ。
『と言う事は…』
封がつぶやいた。
『あの2人、あれからすぐここに来たって事ね』
あれ、とは、断と封が血讐の屋敷で話した日を指している。
荊木流の奥義を奪うと誓ったあの日の事だ。
確かにあの時、血飛沫鬼と血塗呂も話を聞いていた。
あれからすぐにここへ向かったのか。
しかしどうして…?
そう考えた封の目に、眼前のイバラキと、その後ろで下忍に捕らえられているさやかが映った。
『なるほど…全員をここに集める為にね』
その言葉を聞いて断も全てを察した。
『あいつら、ちょろちょろしやがって』
苛ついたように髭をさする。
おそらくこれは血讐の策であろう。
だが、なぜ断と封に内密だったのか、
なぜ自分達と幻龍組、山吹流をここに集めたのか、
断は考えてみたが、理解に至る事は出来なかった。