2012-01-28(Sat)
幻龍イバラキと邪衆院天空は連れ立って林の中を歩いていた。
仮面に隠されたイバラキの表情は分からぬが、邪衆院はといえば激しい戦いの直後とも思えぬ涼やかな顔をしている。
『山吹の巻き物は』
邪衆院が口を開いた。
『うむ』
それだけで全てを察したようにイバラキが頷く。
『おそらく奪い損なってるでしょうね』
『で、あろうな』
『やっぱりあの連中だけじゃ荷が重かったかなぁ…』
独り言のように呟いてため息をつく。
『すでに命はあるまいな』
『やっぱりですか』
邪衆院は拗ねたような顔をした。
そして真顔になり、
『手負いのさやかにも勝てぬとは…武術師範たるこの邪衆院の責任にございます』
と詫びた。
『ある程度の技術は皆に習得させているのですが…』
『気に病むな』
イバラキはゆるりと歩きながら答える。
『知ると得るは別物だ。おぬしに学んだ技術を使いこなせぬは奴等の怠慢ゆえよ』
『…』
『まだ1人では使えぬから組ませて動かす。すると人数に甘えて本気を出さぬようになる。死ぬ気で挑まぬ下忍が敵に勝てぬは必定』
邪衆院は黙ってきいている。
『必ずや己の力で道を切り開こうという気概がなければ、いかな技術を学ぼうと勝つ事は出来ん』
『…』
『独り生きてきたおぬしには分かっておるはず』
『それは、まぁ』
邪衆院は頭を掻いた。
幻龍の下忍達の甘さには邪衆院も気付いていたのである。
『幻龍イバラキという希代の忍びに率いられている彼らには、自分達が死線に立っているという自覚がありません。
幻龍組だから強いはず、イバラキ様がいるから負けないはず、そんな幻想を抱いているように思えます』
『いかにも。戦うのはあくまでも自分という“個”だと気付かねば、下忍連中など戦力にはならん。まだまだ奴等は使い捨ての駒よ』
足元に下忍の死体が転がっている。
ふたつは山吹のクナイで、ひとつは自分達の手裏剣で喉を貫かれていた。
だがイバラキも邪衆院も気にする様子はない。
ただゆるゆると歩いている。
『頭領自らその辺りを示唆してあげればいいのに』
『ふん。己の道は自分自身で見つけるしかない。弱ければなおさらだ。それが出来ぬような者は他人の駒となって死ぬほかないのだ』
『やっぱり厳しいなぁ。ま、俺もその意見に賛成ですけど』
そう言うと邪衆院は立ち止まった。
イバラキは先に立ち止まっている。
邪衆院は足元を見ながら、
『あぁ、これは山吹の仕業じゃないですね』
と明るい声で言った。
さやかを追った最後の下忍が、首を撥ねられて2人の足元に転がっていたのだ。
『これは一角衆だな。ふっ。あの紅白のガキどもだ』
イバラキは宣戦布告するようににやりと笑って天を見上げた。
どこかで微かに、不敵な笑い声が聞こえたような気がした。
2012-01-25(Wed)
断と封が身体の自由を取り戻したのは、背中から針を抜かれ、ほどなく経ってからだった。
もちろんイバラキと邪衆院の姿はとっくに消えている。
『くそっ!』
断は先ほど自分達が斬り落とした一角衆下忍の首を蹴り飛ばした。
飛んだ首は積み上げられた屍の山にぶつかって転がった。
『俺が3年で死ぬだって?へっ、冗談じゃねぇ!そんな先の事が分かってたまるかよ!』
語気を荒げる断に封がつぶやく。
『断、声がうわずってるわよ』
『あぁっ!?』
断が振り返ると、封は針を打たれた下腹部に手を当て、ぼんやりと虚空を見つめていた。
『…おふう…』
『人体の気脈について学んだ時、聞いた事あるでしょ。あるツボを打たれた者は3年後に突然命を落とすって』
『そ…そりゃあ知ってるさ。でもよ、これまで目の当たりにした事ぁねぇ。ホントに効くかどうか分かんねぇよ』
『でも場所は合ってた』
断は言葉を飲み込んだ。
『あんたが打たれた場所、私達が教えてもらったのと同じ所だった。体内を流れる血液の浄化機能が徐々に衰え、3年後に限界を迎えて死に至る』
『場所が分かってたって簡単に出来るもんじゃねぇさ。老師が言ってたろ。実際に効かせるのは至難の業だって』
『でも、イバラキなら出来る』
断は再び言葉を飲み込んだ。
『イバラキの腕前は分かってるはずよ。まぁもちろんきっかり3年後じゃないだろうけど』
『うっ…』
『だからあんたは、おおよそ3年以内に死ぬ』
『おふう』
『そして私の…私の一族の血は絶えた』
封は手を当てている下腹部を見た。
『おふう、おまえ、その歳でまだガキぃ作る気だったのかよ』
『そうよ。次こそは息子を産んで、一族の血を継がせようと思ってたもの。娘は…長くは生きれないだろうしね』
『あのエロじじぃに囲われちまったら死んだも同然だからな』
封が冷たい目で断を見る。
『おっといけねぇ、おまえの娘の話だったな。悪い。何にしても、おまえだって試してみなきゃ分からないさ。これからバンバン励んでみろよ、子作りに』
『下衆』
封は冷たく切り捨てた。
だが、断なりに封を励ましているのだと気付いてもいた。
『まぁ子作りの前によ、この死体の山を片付けなきゃなんねぇんだけどさ』
断が大袈裟にため息を突いた。
突然の余命宣告に激しく動揺しているはずだが、それを悟られないよう振る舞っている。
『ねぇ断』
『ん?』
『多分イバラキは、私達が何を大切にしてるか知ってたのよ。あんたは自分の命。私は次の命。その希望を奪う為にこんな事をしたんだわ』
『なるほどな。俺達一角衆も奴から大切なものを奪い続けてきたからな。報いって事か』
封は黙っている。
『俺達は奪い奪われる世界に生きてるんだ。恨んだって恨まれたって上等よ』
断は自分に言い聞かせているのだと封は思った。
未来への絶望を、恐怖を、怒りと恨みに変える事で乗り越えようとしているのだ。
幻龍イバラキのように。
死体の山に向かいながら断は言った。
『イバラキは俺が必ずぶっ殺してやる』
2012-01-22(Sun)
断と封は恐怖に囚われていた。
身体が硬直して動かない。
気付かぬ内に背面の経絡に3本の針を突き立てられ動きを封じられた。
一角衆では手練れと言われる自分達が、だ。
背後には、2人の動きを封じた張本人、幻龍イバラキが立っている。
振り向く事は出来ないが、かなりの至近距離にいる事は分かる。
イバラキは、さも楽しくてたまらないといった感じに笑いを漏らしていた。
今、自分達は身動きも出来ぬまま、この恐るべき敵の掌にいるのだ。
視界の端には白い塊が見えている。
一角衆の忍び達の屍の山だ。
この山をいとも簡単に、しかもたった1人で築いた男、邪衆院天空。
その男は目の前に立っている。
数え切れぬ戦いの中で、断と封が手を組んで負けた事は今までたった2回しかない。
最初の敵はこの邪衆院天空だった。
屈辱的な惨敗だった。
手も足も出ないまま逃げ帰るしかなかった。
そして2回目は、いま。
幻龍イバラキに背後を取られ動きを封じられた今の戦いだ。
自分達2人を簡単に倒した相手が揃っている。
完全に勝ち目はない。
断は口を開いた。
『い…、こ…』
言葉が出ない。
イバラキがゆっくりと視界に入ってきた。
『いっそ殺せと言いたいのか?』
口元は笑っている。
しかし仮面の下の瞳には、めらめらと憎悪の炎が燃えているようだった。
『もちろん殺す』
イバラキの両手に長い針が光る。
『だが今すぐではない』
そう言うとイバラキは、断の左右の脇腹辺りに針を深く刺した。
『ぐっ、うっ』
断が唸った。
悲鳴を上げようにも声が出ない。
身をよじろうにも身体が動かない。
『これでおぬしは3年後に死ぬ。おののきながら生きるがいい』
針を引き抜き放り捨てる。
『相変わらず残酷だなぁ』
と邪衆院が笑顔のまま眉をひそめた。
イバラキは封の前に進む。
そして、しばらく封の顔を見てから
『子を産んで弱くなったのではないか?』
と笑った。
その言葉に封は驚愕した。
確かに封は十年ほど前に出産していた。
しかしそれを知っているのは一角衆でもほんの一部だけなのだ。
『確か娘だったな。血讐の血を継がぬ子は一角衆では珍しかろう』
父親の事まで知れている。
この男はどこまで自分達の事を調べ上げているのか。
『だが血を継がぬとあらば』
イバラキは封の顔をのぞき込む。
『娘は血讐の慰みものか。まだ年端もいかぬのにな』
一角衆幹部・血讐は、女をたらしこむ事でくのいちに育て上げるのだ。
『一角衆も因果なもの。母としても辛かろう』
イバラキが羽織の内側から長い針を取り出した。
『子を持てば感情が生まれる、感情を持った忍びは弱くなる』
封は近付いてくるイバラキの顔を見た。
鉄仮面の下のイバラキの眼は、ぞっとする冷たさを放っていた。
『封、二度と子が持てぬようにしてやろう』
イバラキの針は、封の下腹部に吸い込まれた。
2012-01-18(Wed)
(とにかく音駒を守るしかない)
さやかは重い身体を引きずるように走った。
左右の手にクナイを握る。
刀はイバラキとの戦いで失ってしまった。
『伏せて!!』
さやかは叫んだ。
しかし、突然現れた奇異な頭巾姿の、しかも傷だらけの少女の声に音駒はただ驚くばかりだった。
『…えっ…!?…あっ…!?』
さやかは音駒の前に立ちふさがり、飛んで来る手裏剣をクナイで払った。
鈍い金属音が樹々の中に響く。
しかし、いかに山吹さやかとはいえ、傷ついた身体で、しかも短いクナイでは分が悪い。
『うぐっ』
低い呻きで音駒は我に返った。
いつの間にか目を閉じていた事に気付き、ゆっくと瞼を開いてみる。
目の前には、桜色の小さな背中があった。
先ほど駆けてきた少女か。
誰なのか、何が起きたのか、音駒には全く分からない。
『あの…』
事情を聞こうと音駒は少女の前方に回り込んだ。
『一体…』
そして音駒は息を飲んだ。
少女の右肩と左腿に十字の手裏剣が突き刺さっていたのだ。
『ちょっ…!そ…』
動転している音駒をさやかはぐいと自分の後ろに下げて、
『危ないから下がってて』
と言った。
声に力がない。
よく見ると桜色の頭巾も装束も血で染められている。
さやかは両手のクナイを打った。
いつもなら急所を狙う事をしないさやかだが、今回は手加減する余裕がない。
2本のクナイはさやかに向かって来ていた2人の青装束の喉元に突き刺さった。
制御を失った青い塊は、速度を落とさぬまま地面に激突し、何度か転がって動かなくなった。
さやかの肩越しにその光景を見た音駒は唇を震わせた。
医学に携わる者として何度も人の生き死にに立ち会ってきた音駒だが、これほど凄惨な光景を目の当たりにした事はない。
これまで音駒が看取ってきたのは病で命を落としてきた者がほとんどで、争いの結果死んだ者など皆無だったのだ。
ましてや、
命のやり取りの中にいるのは年端もいかぬ少女であり、その少女の手によって2つの命が奪われたのである。
音駒はさやかの後ろ姿を見た。
だがさやかには音駒を気遣う余裕などない。
肩に深く突き刺さった手裏剣を引き抜くと、絶叫に似た声を上げながら追手にそれを放った。
音駒は思わず目を伏せる。
血の糸を引きながら飛んだ手裏剣はやはり見事に3人目の喉をえぐり、その身体は先の2人と同じ様に地面に叩き付けられた。
残る追っ手は1人。
さやかは太腿から引き抜いた手裏剣を打った。
(しまった!)
さやかは舌打ちした。
弱った身体で、しかも痛みを堪えて放ったせいで、手裏剣の軌道が僅かにずれたのだ。
これでは相手を一撃で仕留める事は出来ない。
この攻撃を躱されては、次の手を打つ力はもう残っていないのだ。
だが奇跡が起きた。
神仏の加護とでも言うべきか。
手元が狂ったおかげで手裏剣は予想外の動きを見せた。
刀で払おうとしていた下忍の手前で急激な弧を描き、その右手の親指を切断したのである。
柄を支えていた親指を失った事で、勢い良く振られる途中だった刀は宙に飛んだ。
それを見た音駒は思わず、
『今のうちに!』
とさやかの身体を掴んで走り出していた。
2012-01-15(Sun)
さやかの右腕がねじり上げられた。
イバラキの攻撃を受けた身体に痛みが走る。
目の前の下忍は手にした刀をさやかの二の腕に押し付けた。
さやかはどうにか右腕に力を込め引こうとした。
しかし腕を掴んだ下忍はぐいと押し返してそれを許さない。
刀が振り上げられた。
その瞬間、下忍の押し返す力を利用して、さやかは身を翻した。
体勢が入れ替わり、さやかが下忍を押さえ付ける格好となった。
先ほど無駄と知りながらも掴まれた腕を引いたのは、下忍が押し返してくる事を想定しての行為だったのである。
今の弱ったさやかでは力負けは見えている。
だが相手の力を利用すれば勝機はある。
下忍が掴まれた腕を振りほどこうとした。
さやかはその力を上手く使い、下忍の腕を使って、前方から来る刀を持った腕を絡め取った。
腕が絡まった2人の青装束の動きが止まる。
この間、瞬きするほどの出来事であった。
動きを封じられた状態から攻撃に転ずる、
これは虎組、雷牙が編み出した『眠る虎の爪』という技の応用だ。
残りの2人がさやかを捕らえようと迫った。
さやかは縺れたままの下忍を踏み台にして跳躍した。
追って跳ぼうとする下忍に手裏剣を打って牽制する。
手裏剣を躱して追っ手が遅れた。
その隙を突いてさやかが走る。
ここは逃げるしかない。
イバラキにやられた身体ではまともに戦う事など出来ない。
さやかは必死に走ったが、信じられぬほどに身体が重かった。
走れない。
このままでは追いつかれる。
さやかは背後から迫ってくる4人の気配を感じていた。
その時、
前方に人の姿が見えた。
忍びではない。
行李を背負ったその姿は―
音駒だ。
昨夜出会った医者見習いの若者だ。
彼が林に入ってきた事にさやかは気付かなかった。
傷ついた身体では己の身を守るだけで精一杯で、周囲の気配を感ずる余裕などなかったのだ。
しまった!
さやかは悔やんだがもうどうする事も出来ない。
追っ手は左右に展開しながら後方から迫っている。
頭上に跳ぶ力は今のさやかにはない。
前方に走るしかないのだ。
音駒がいると分かっていても。
下忍との距離が詰まった。
(射程距離だ)
さやかがそう思った瞬間、下忍達が一斉に手裏剣を放った。
躱すか!?
だが躱せば手裏剣は音駒に向かう。
どうする!?
さやかの判断が一瞬遅れた。