2012-02-04(Sat)
小説・さやか見参!(135)
夜が明けた。
傷の手当てを済ませてから、さやかと音駒は小屋を出た。
一晩で傷が癒えるわけもなく、歩く度に肩や足が痛む。
そんなさやかを一人にするのは望む所ではなかったが、音駒には音駒のやるべき事があった。
そしてさやかには行かねばならぬ道があった。
本来なら2人の道は一瞬でも交わるものではなかったのだ。
『大丈夫ですか?』
尋ねられたさやかは血に染まりボロボロになった桜色の装束を身に付けている。
鉢金、頭巾、手甲、脚半を外してはいるが、奇異な姿である事に違いはない。
百姓に変装する為の一式は林の向こう側に置いてきてしまったのだ。
(もう見られてもいいや)
さやかは開き直っていた。
昨日のような死闘の後では、自分の正体がバレるぐらい些事に思えた。
なにより、音駒にはすでに正体を見られているのだ。
無言で歩くさやかに、音駒はもう一度
『さやかさん、本当に大丈夫ですか?』
と尋ねた。
さやかはしばし無言を貫いた。
そして突然、
『音駒さん、私ね、忍者なんです』
と告白した。
告白してからさやかは自分に呆れた。
『わたし忍者です』
どこにこんな間の抜けた自己紹介があるだろうか。
忍ぶが華の忍びの世界で
『わたし忍者なんです』
などと挨拶した戯けは他にあるまい。
なんだか自分にがっかりしてしまった。
しかし音駒は普段通りに
『そんなの、いくら私が鈍くたって分かりますよ』
と微笑んだ。
『私は昨日の戦いを見てるんですから。もしさやかさんが商人や百姓を名乗ったらそちらの方が驚きますよ』
確かに、さやかの告白は今更である。
『忍者の事は噂や伝聞でしか知りませんから確信があったわけじゃないですけどね』
さやかは気恥ずかしくなってうつむいた。
すると音駒は
『お兄さんも忍者だったんですか?』
と訊いてきた。
突然の質問だったのでさやかは言葉に詰まった。
『余計な事を訊いてすみません。さやかさんを見ても、忍者って過酷な世界を生きてるんだって分かるから、もしかしたらお兄さんもその中で、と思って…』
そう。兄は死んだ。
いや、殺された。
幻龍イバラキの手によって。
さやかの表情が暗く険しくなる。
それを見た音駒は慌てて、
『すみません、本当に余計な事を訊いてしまいました。ごめんなさい、忘れて下さい』
と頭を下げた。
気まずい空気が漂う。
何か別の話題を振った方がいいのか、それとも何も言わぬのが賢明か、音駒が迷っていると、先にさやかが口を開いた。
『おにいちゃんは…、兄は本当に素晴らしかったんです。人としても、忍者としても。みんなから尊敬されて愛されてました。私も兄を目指してたし、ずっと一緒にいるんだと思ってました。…それなのに…』
音駒は黙って聞いた。
『兄は殺されたんです。仲間に裏切られて。兄を妬んで。おにいちゃんの気持ちも知らないで』
口調が激しくなる。
『だから私、絶対にかたきを討つんです』
足を引きずるボロボロのさやかの瞳に憎悪の炎が燃えた。
その横顔を眺めた音駒は
『そっかぁ』
と、出来るだけ軽く相槌を打ち、
『ねぇさやかさん、お兄さんのかたきを討ったら、それからさやかさんはどうするのかなぁ』
と訊いた。
音駒の言葉はいつもさやかの虚を突いて来る。
『えっ?』
『お兄さんの命を奪ったそのかたきを倒したとして、それからさやかさんはどうするのかなぁと思って』
『どう、って』
『自分も死ぬ気ですか?』
さやかははっとして音駒を見る。
立ち止まった音駒は、怒ったような哀しいような、そんな表情だった。
『音駒さん…』
『死ぬ為のかたき討ちなら、そんなものは意味がない』
『ちょ…ちょっと待ってよ!意味があるかないかは私にしか分からない事だわ!それに私、別に死ぬ気だなんて言ってないわよ!』
『お兄さんの所に行きたい、連れて行ってほしいって、何度もうわごとで言ってましたから』
『そんなの…ただのうわごとでしょ…』
『そうですね。さやかさんにその気がないならいいんです。安心しました。…あ、林が見えてきましたよ』
さやかは音駒の顔を見ている。
『世の中には、死にたくなくても、みんなに生きる事を望まれていても、それでも命を落としてしまう人達がたくさんいます。だから、生きる事を許された者は精一杯生きなくちゃいけないと、ツラくても生きていくべきだと、僕はそう思います』
音駒は遠くを見ている。
どれほど遠くを見ているのかは分からないが、それは物理的な距離ではないようにさやかは思った。
傷の手当てを済ませてから、さやかと音駒は小屋を出た。
一晩で傷が癒えるわけもなく、歩く度に肩や足が痛む。
そんなさやかを一人にするのは望む所ではなかったが、音駒には音駒のやるべき事があった。
そしてさやかには行かねばならぬ道があった。
本来なら2人の道は一瞬でも交わるものではなかったのだ。
『大丈夫ですか?』
尋ねられたさやかは血に染まりボロボロになった桜色の装束を身に付けている。
鉢金、頭巾、手甲、脚半を外してはいるが、奇異な姿である事に違いはない。
百姓に変装する為の一式は林の向こう側に置いてきてしまったのだ。
(もう見られてもいいや)
さやかは開き直っていた。
昨日のような死闘の後では、自分の正体がバレるぐらい些事に思えた。
なにより、音駒にはすでに正体を見られているのだ。
無言で歩くさやかに、音駒はもう一度
『さやかさん、本当に大丈夫ですか?』
と尋ねた。
さやかはしばし無言を貫いた。
そして突然、
『音駒さん、私ね、忍者なんです』
と告白した。
告白してからさやかは自分に呆れた。
『わたし忍者です』
どこにこんな間の抜けた自己紹介があるだろうか。
忍ぶが華の忍びの世界で
『わたし忍者なんです』
などと挨拶した戯けは他にあるまい。
なんだか自分にがっかりしてしまった。
しかし音駒は普段通りに
『そんなの、いくら私が鈍くたって分かりますよ』
と微笑んだ。
『私は昨日の戦いを見てるんですから。もしさやかさんが商人や百姓を名乗ったらそちらの方が驚きますよ』
確かに、さやかの告白は今更である。
『忍者の事は噂や伝聞でしか知りませんから確信があったわけじゃないですけどね』
さやかは気恥ずかしくなってうつむいた。
すると音駒は
『お兄さんも忍者だったんですか?』
と訊いてきた。
突然の質問だったのでさやかは言葉に詰まった。
『余計な事を訊いてすみません。さやかさんを見ても、忍者って過酷な世界を生きてるんだって分かるから、もしかしたらお兄さんもその中で、と思って…』
そう。兄は死んだ。
いや、殺された。
幻龍イバラキの手によって。
さやかの表情が暗く険しくなる。
それを見た音駒は慌てて、
『すみません、本当に余計な事を訊いてしまいました。ごめんなさい、忘れて下さい』
と頭を下げた。
気まずい空気が漂う。
何か別の話題を振った方がいいのか、それとも何も言わぬのが賢明か、音駒が迷っていると、先にさやかが口を開いた。
『おにいちゃんは…、兄は本当に素晴らしかったんです。人としても、忍者としても。みんなから尊敬されて愛されてました。私も兄を目指してたし、ずっと一緒にいるんだと思ってました。…それなのに…』
音駒は黙って聞いた。
『兄は殺されたんです。仲間に裏切られて。兄を妬んで。おにいちゃんの気持ちも知らないで』
口調が激しくなる。
『だから私、絶対にかたきを討つんです』
足を引きずるボロボロのさやかの瞳に憎悪の炎が燃えた。
その横顔を眺めた音駒は
『そっかぁ』
と、出来るだけ軽く相槌を打ち、
『ねぇさやかさん、お兄さんのかたきを討ったら、それからさやかさんはどうするのかなぁ』
と訊いた。
音駒の言葉はいつもさやかの虚を突いて来る。
『えっ?』
『お兄さんの命を奪ったそのかたきを倒したとして、それからさやかさんはどうするのかなぁと思って』
『どう、って』
『自分も死ぬ気ですか?』
さやかははっとして音駒を見る。
立ち止まった音駒は、怒ったような哀しいような、そんな表情だった。
『音駒さん…』
『死ぬ為のかたき討ちなら、そんなものは意味がない』
『ちょ…ちょっと待ってよ!意味があるかないかは私にしか分からない事だわ!それに私、別に死ぬ気だなんて言ってないわよ!』
『お兄さんの所に行きたい、連れて行ってほしいって、何度もうわごとで言ってましたから』
『そんなの…ただのうわごとでしょ…』
『そうですね。さやかさんにその気がないならいいんです。安心しました。…あ、林が見えてきましたよ』
さやかは音駒の顔を見ている。
『世の中には、死にたくなくても、みんなに生きる事を望まれていても、それでも命を落としてしまう人達がたくさんいます。だから、生きる事を許された者は精一杯生きなくちゃいけないと、ツラくても生きていくべきだと、僕はそう思います』
音駒は遠くを見ている。
どれほど遠くを見ているのかは分からないが、それは物理的な距離ではないようにさやかは思った。