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2011-07-13(Wed)

アクションへの道(230)

前回は

『ショー中におけるアドリブと事後処理』

について話しました。

硬めの文章で書いてるのでもっともらしく聞こえるかもしれませんが、信憑性があるのかないのかは謎です。

そもそも『アドリブ苦手』を公言する僕がアドリブの事後処理について語って何の説得力があるというのでしょう(笑)

しかしまぁ、これまでしゃべり怪人を演ってきた中で、

スベってスベってスベり倒し、

スベってスベってスベり倒し、

スベってスベってたまにウケた経験から言うとこんな内容になる、と、

そんな感じで読んでいただけると幸いです♪


アドリブが終わったら盛り上がろうが盛り上がるまいが速やかに本筋に戻った方が良い、と言いましたが、

では、アドリブに入る前はどうでしょうか。

何をするべきでしょうか。

僕的な答えは

『アドリブを活かす前フリをしておく』

です。

…当たり前過ぎますか?

…当たり前過ぎますね。

でも、この『当たり前』こそが一番大切で一番難しいと思うんです。

例えばアドリブでギャグを入れるとしましょう。

ギャグの種類にもよりますが、アドリブのギャグを活かす前フリは2種類。

突発的なギャグを活かす為の『とことんシリアスな』前フリ、

こいつは何か面白い事をやりそうだと期待させる『ギャグの布石を打っておく』前フリ、

他にもあるかもですが、とりあえずこの2種類だけ説明させてもらいました。

ギャグで盛り上げる為にはいきなりネタだけを言っても駄目なのです。

下準備が必要なのです。

これはアドリブに限らず物語を作る時に必ず考えなければならない事なので、ここからは

『物語を作成する為の手法について』

みたいなニュアンスで書かせてもらいますね。

ギャグの前にはシリアス、もしくはネタフリが必要なんて書きましたが、ネタフリが必要なのはギャグ以外の展開でも同じです。

分かりにくいかもですが喩えてみましょう。

『前方に向かってダッシュで走る』

という展開があったとします。

それを活かす前フリとしては(状況によりますが)、

『静止からのダッシュ』

『助走をつけてダッシュ』

『逆走からターンしてダッシュ』

が考えられます。

…やっぱり分かりにくいですね(笑)

それでは

『激しい立ち回りのシーン』

を活かす前フリについて考えてみましょう。

その場合『静止からのダッシュ』は、

『シンの周りにいきなり敵が現われて立ち回り』

もしくは

『シンと悪役がいきなり現われて立ち回り』

のような『突然始まる』演出になると思います。


『助走からのダッシュ』は、シンと悪役が対峙して

『これは戦いが始まるぞ~』

と『期待させてから』の立ち回りですね。

『逆走からのターンダッシュ』は、ほのぼのしたシーンや楽しげなシーン、しっとりしたシーンから突然始まる『意表を突いた』立ち回り、

みたいな感じになるでしょう。

ヒーローとヒロインがいい雰囲気になって、

『あれ!?抱き合っちゃう!?キスしちゃう!?』

なんて思ったら突然敵が襲ってきて、ヒーローが

『危ないッ!』

ってヒロインを突き飛ばして立ち回りが始まるような、

そんな展開が『ターンダッシュ的前フリ』ですね。

ますます分かりにくくなりました??

説明って難しいですね…

まぁストーリーを活かす為には前フリが必要って事です。

逆に言うと『ストーリーを殺す前フリもある』って事です。

『激しい立ち回り』という展開を殺す前フリは

『激しい立ち回り』

です。

登場人物達がずーっと激しく戦ってたら観てて飽きちゃうでしょ?

目が慣れちゃって

『激しい』

かどうかも分からなくなるでしょ?

『激しさ』を見せる為には『激しくないもの』を見せる必要がある、って事ですよね。

それがストーリーの起伏であり『メリハリ』ってやつなんです。


つづく
2011-07-12(Tue)

アクションへの道(229)

2004年のパッケージ製作に関する顛末も無事に書き終えて…


何か書き忘れてる気がするなぁ…と思ったら、何回か前の『アドリブ』の話でした。

全然大事な事じゃないんですけどね。


ショー中の『アドリブ』には2種類あると僕は思います。

『アクシデントのフォロー等で必要に迫られて入れるアドリブ』と、『面白さを求めて故意に入れるアドリブ』の2種類です。

この2つ、同じアドリブでも方向性は全く違います。

アクシデントをフォローするアドリブは、それがアドリブである事を観客に気付かれてはいけません。

アクシデントが起きた事を観客に知られないよう、出来るだけスムーズにフォローする、これが前者のアドリブです。

対して後者、

面白さを求めるアドリブの場合、それがアドリブだと観客に気付かれた方がいい(場合がある)のです。

例えばテンションに任せて無茶をしてみた時の周りの反応だったり、

いきなり無茶振りされた時のいっぱいいっぱい感だったり、

そーゆーのはアドリブならではの面白さだと思うんです。
(無茶振りに演出が見えたら醒めちゃうでしょ?)

しかしアドリブってのは諸刃の剣で、グダグダになってしまう危険性も秘めてるんですね。

観客に分かる形でアドリブを提供し、結果グダグダになる…

これ、最悪のパターンです。

『あ~あ』

って雰囲気になるのが目に見えてます。

もしグダグダになってしまったらどうフォローするか?

速やかに本来の演出に戻るのです。

さっきまでのアドリブは全てなかった事にするのです。

少しでも引きずってしまったらダメになります。

慣れてないアクターは、『起きるハズだった観客の反応』を求めてズルズルとスベり続けてしまうもの。

悪い流れを スパッ! っと断ち切って観客をストーリーに引き戻さなくてはならないのです。

ではアドリブで『いい反応』が返ってきたらどうするべきか?

実は、『良い流れ』を潔く断ち切って本筋に戻らなくてはならないのです。

『えっ?成功しても失敗しても流れを斬らなきゃいけないの!?』

そうです。

流れを斬らなきゃいけないんです。

もしお笑いのライブならウケる限りネタを飛ばしていいのかもしれません(分かりませんが)。

しかし僕らがやってるのはストーリー主体のお芝居なんです。

アドリブはあくまでもアクセント。

アクセントが主張し過ぎてはいけないんです。


続く。
2011-07-11(Mon)

アクションへの道(228)

前回のラストで会社のやり方に見切りを付け、

『もうこの会社とは一線引いて付き合うしかない!』

という決意を表明した僕。

今までこの『アクションへの道』を読んできてくれた方ならきっとこう思ったでしょう。

『そんな事しょっちゅう言うとるやんけ!!』

…と。

そうなんですよねぇ。

僕(僕ら)は何かある度に

『もうショーから離れよう』

『ショーとは一線を引こう』

なんて事を考えちゃうワケですが、どうやらこれは、『ギャップ』に苦しんだ時の常套句のようなのです。

何と何のギャップに苦しむのか?

『理想』と『現実』のギャップです。

『自分が目指しているショー』と『実際のショー環境』とのギャップなんです。

当然ですが我々アクターは常に、より良いショーを目指して頑張っています。

しかし自分が頑張れば良いショーが出来るかと言うと必ずしもそうではありません。

ショーは1人では出来ないのです。

周りのメンバー達のモチベーションが低ければ、それだけでショーのクォリティが下がったりするのです。

そしてメンバーより厄介なのが『会社』です。

これまた当然ですが、我々アクターは会社に雇ってもらってるワケで、基本的に会社の意向には逆らえません。

という事は、アクターがいいショーが出来るかどうかは会社にかかっていると言っても過言ではないのです。

一生懸命練習してレベルアップしたいのに会社が練習日を減らしてしまったら?

メンバー不足でクォリティの低いショーが続いているのに会社がメンバーを募集してくれなかったら?

ショーを良くする為の陳情を会社が聞いてくれなかったら?

そうなれば我々雇われアクターにはどうする事も出来ません。

頑張りたいのに頑張れない、
自分が一生懸命やっても無駄、
そんなジレンマが


『一線引こう』

という諦観に繋がってしまうのです。

僕の場合は

『せっかくいい台本を書いても会社に潰されてしまう』

というジレンマに苦しんでいたんです。

しかし…

それじゃ僕が正しくて会社が悪いのかというとそうではありません。

逆に僕が間違ってるかと言うとそうでもありません。

これは各々が考える『良いショー』にズレがある為に生まれるジレンマなのです。

つまりは会社側もジレンマを抱えていると思うんです(多分)。

何をもって『良いショー』なのかは人それぞれで違います。

メンバーの中でも、

テレビの再現を目指す人、

ライブ感を大事にする人、

正確さを求める人、

勢いを求める人、

観客の反応が第一という人、

まずは演じ手が楽しむ事を心掛ける人、

技術を魅せる人、

観客との触れ合いを重んじる人、

等々、ショーには色んな要素があり、どれがベストかなんて一概には言えません。

ましてや会社とメンバーなら、その違いはもっと顕著でしょう。

何と言っても立場が違います。

立場が違えば判断基準も違うのです。

全ての責任を負う立場の社員さんは、我々バイトにはない視点でジャッジを下しています。

アクターはショーの善し悪しだけを気にすればいいのですが、会社はそれに加えて利益不利益を考えなきゃいけないんですよね。

きっと社員さんの中にも、個人的な理想と会社的な方針のギャップに悩んでる方はいらっしゃるんじゃないでしょうか。

それでも我々アクターは会社にぶつかっていかなくちゃいけません。

お互いが本気でせめぎ合わなくちゃ良いショーなんか作れません。

『一線引こう…』

なんていじけてる場合じゃないんです!

誰だ!?いじけてる奴は!!


俺かっ!!
2011-07-10(Sun)

アクションへの道(227)

2004年に僕が書いた台本、

これはかなりの自信作だったのですが、社員さんの手が入った事により完全な駄作になってしまいました。

社員さんは、僕が書いたストーリーはそのままに、キャラクターの配役だけを入れ替えたのです。

文字にすると何て事ないかもしれませんが、これは物語に置いて天地がひっくり返るぐらい大変な事なんですよ。

綾波とアスカの役割が突然入れ替わったらストーリーの整合性が取れなくなると思いませんか?

青島さんと真島さんの役割が突然入れ替わったら積み上げてきた設定が成り立たなくなると思いませんか?

何度も言うように、キャラクターというのは『人物の性格や性質』であり、それを積み上げて作るのが物語なんです。

その作劇法に則って書かれた物語の配役を変えるというのがどれほどの事なのか、多少は分かってもらえたでしょうか。

なぜ社員さんは配役を変えたのでしょう?

僕が物語の軸に据えたのは、『テレビでも重要な役割を担うキャラクター』でした。

しかし社員さんはそれとは別の『最も新しいキャラクター』をメインに打ち出したかったようなのです。

すでに出発地点からズレがあったのです。

僕は何度も

『元に戻して下さい』

『キャラクターを入れ替えたら成り立たない設定なんです』

『元に戻せないならこの台本は使わないで下さい』

『別の新しい台本を書いた方がいいものが出来るハズです』

と直談判しました。

しかし答えは全て『NO』。

『もう書き直す時間はない』

『自分は変だと思わない』

というのが社員さんの言い分でした。

そもそもこの社員さん、

『バイトが台本を書くのは勝手だが、それをどう使うかは自分(会社)次第』

という考え方の人だったのです。

なので当然クレームも書き直しも認めてくれません。

監修も、声入れ(録音)への立会いも許してくれません。

これは…

まさしく10年前、僕らを苦しめていたシステムです。

僕らはより良いショーを作りたくて、会社と戦って戦って、ようやくパッケージ製作に関わる権限を手に入れたのですが、新しい社員さんに変わって、また10年前に逆戻りしてしまいました。

逆戻りが悪いワケじゃないんです。

結果が良くなるならやり方は古かろうが新しかろうがどちらでもいいんです。

しかし、今回手直しされた台本を見ると、明らかに結果が悪くなっている!!

これは本当にショックでした。

他社から来た新しい社員さんが、僕ら過去のメンバーがやってきた事を否定したい気持ちは分かる。

でも一番優先するべきなのは

『いいショーを作る事』

なんじゃないの!?


完成したパッケージを聴いた僕はその出来にますますショックを受けてしまい、

『もうこの会社でショーにどっぷりハマるのはやめよう…』

と考えたのでした。
2011-07-09(Sat)

アクションへの道(226)

2004年の後半にはショーパッケージ用の台本を書いたっけ…

あれはちょっとツラかったなぁ…



物語を作る時、

特にそれがTVのヒーローを描いた『キャラクターショー』であった場合、

『何が起きるか』

よりも

『誰がどうするか』

が大事になると思うんです。

それぞれの登場人物の性格設定を踏まえて、

『この人ならこうするだろう』

とか

『この人はそんな事言わないだろう』

って事を積み上げてストーリーを構築しなくちゃいけないんですね。

例えば主人公が

R…熱血(♂)
B…クール(♂)
G…軟弱(♂)
Y…イケイケ(♀)
P…お嬢様(♀)

なんて設定で、Gが敵にやられて倒れてるシーンがあるとしたら、

Y『G!大丈夫!?』

G『みんな…迷惑かけてごめんよ…』

P『誰がこんな酷い事を…』

R『きっと奴等のしわざだ…許せねぇ!今すぐぶっつぶしてやる!』

B『待て!これは奴等の罠かもしれない。落ち着いて作戦を考えよう。まずはGの手当てが先だ』

Y『仲間をこんな目に遭わされてよく落ち着いていられるわね!私も絶対許せない。R!行くわよ!』

R『おう!』

B『R、Y、待て!』

…みたいになるのが自然な展開です。

お嬢様のPが怒りに任せて突っ走ったり、

クールキャラのBが突っ走ったり、

熱血キャラのRがみんなをたしなめたりしないのが分かりやすい展開ってもんです。

(そういう例外的な展開にする時は別の設定が必要になってきます。

BとPのせいでGがやられたから2人は柄にもなく突っ走ってしまう、とか。

そしてRに

『落ち着けよ!いつものオマエ達らしくないだろ!?』

なんて言わせたり)

何かの事件が起きて、キャラクターが性格に応じた対処をすると、それだけでストーリーは進展するのです。

TVのキャラクターにはそれだけ強い個性が与えられているのです。

(上記の例だと、突っ走ったRとYは敵の罠に嵌まって大ピンチになるでしょうね)
当然ながら僕も、その方程式に則って台本を書いています。


2004年からさかのぼる事10年、

1994年辺りのエピソードで書いたと思いますが(書いてないかもしれませんが)、
当時の社員さんが、

『ベースとなる台本を作っておいて、毎年ヒーローの名前と悪役の名前だけ変えればいい。

そうすれば台本製作の手間が省ける』

というような発言をして僕が大いに憤った事がありました。

ここまで読んで下さった方ならその憤りの理由の1つを理解して下さると思います。

『キャラクターショー』は『キャラクター』によって進められるのです。

『キャラクター』とは『登場人物』を指すだけでなく、『登場人物の性格・性質』を意味する言葉なのです。

肝心の『キャラクター』をないがしろにして、『キャラクターショー』が成り立つハズがない!!

…しかし、2004年に僕が書いた台本は、まさにそのような憂き目に遭ったのです…


続きます。
プロフィール

武装代表・内野

Author:武装代表・内野
福岡・久留米を中心に、九州全域で活動している『アトラクションチーム武装』の代表です。

1972年生まれ。
1990年にキャラクターショーの世界に入り現在に至る。

2007年に武装を設立。

武装の活動内容は殺陣教室、殺陣指導、オリジナルキャラクターショー等。

現在は関西コレクションエンターテイメント福岡校さんでのアクションレッスン講師もやらせてもらってます。

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