2011-07-19(Tue)
S君と僕はお互い新人の頃からの仲間で、
時折ケンカしながらも深く付き合ってきました。
なのでお互いの事は嫌と言うほど分かるのです。
『あんたに出来るハズがない』
『あんたにはそんな技術はない』
『あんたは努力もしていない』
『あんたに人を魅き付けるカリスマはない』
『俺達抜きで何かやれると思うんならやってみろ』
そう彼が言ったとしたら、それは間違いない真実なのです。
確かに僕が責任を持って団体を引っ張るなんて無理かもしれない、
アクターとして大した技術もない、
人並み以上の努力をしてきたと胸を張れる事もない、
先輩にも後輩にも嫌われてきた僕にカリスマがあろうハズがない、
そんな僕が1人ぼっちで何をやれる?
これは本当にそうなんですよ。
自覚があるんです。
自分でもそう思ってるんです。
やっぱりS君は俺の事分かってるなぁ~って感じです。
そして、
僕も同じようにS君の気持ちが分かります。
『俺はかなり動けるぜ!』
『俺は努力してきたぜ!』
『俺にはカリスマ性があるぜ!』
『だからあんたには俺が必要なんじゃないの!?』
彼はそう言いたかったハズなんです。
これは間違ってないという自信があります。
『俺にはあんたが必要なんだ!一緒にやろうぜ!』
と言われたかったハズなんです。
しかし…
僕はあえてS君の言葉を叱咤激励だと解釈する事にしました。
彼の言葉を裏返せば、今までの僕は、
『大した事など出来ない』
『技術もない』
『努力もしていない』
『人を魅き付ける魅力もない』
『仲間がいなければ何も出来ない』
と思われるような人間だったワケです。
S君が僕を見てそう思っていたのならそれは間違いないでしょう。
ならば僕は成長しなければいけない、と、この時にそう思ったのです。
確かに目を見張るような技術はない。
だったら今出来る事の精度を上げて説得力を持たせよう。
人並み以上の努力はしてこなかった。
努力はやろうと思えばこれから出来る。
カリスマ性を身に付ける事は出来ないだろう。
でもせめて人との関わりを大切にしよう。
そうして、今までの仲間に頼らなくても何か出来る(と思ってもらえる)自分になろう。
S君の厳しい言葉がなかったら、僕はここまで考えなかったでしょうね。
嫌味や皮肉ではなく、僕はS君に本当に感謝しています。
そして、感謝しているからこそ彼と一緒にはやらない事に決めたのです。
もしここで
『あんたが必要だ。一緒にやろう』
と言ってしまえば、団体の活動も、僕も、S君まで駄目になってしまう。
ぬるま湯のような関係を維持する為に将来を棒に振る事はない。
僕がやるべきなのは、自力で団体の活動を成功させ、S君に
『いやぁ、見直したわ』
と言わせる事、だと思いました。
それが我々の成長に繋がるんだと、そう思ったのです。
これからしばらくS君とは訣別する事になりましたが、これが武装設立のきっかけの1つになった事は間違いありません。
2011-07-18(Mon)
S君は僕に言いました。
『あんたは周りの人間を駒として使おうとしている。
俺は駒として動くのは嫌だ』
その通り。
僕は優秀な駒が欲しいと思っていました。
しかしそんなのは当たり前です。
僕は、組織を動かすのは駒なんだと思っています。
例え僕が自分のチームを作ったとしても、その中においては僕も駒の1人に過ぎないのです。
おそらくS君は『使う者』と『使われる者』という分類しか思い浮かばなかったのでしょう。
もちろん『使う者』と『使われる者』に分かれるのは間違いないのですが、僕の考えるそれと、S君の考えるそれとでは大きな隔たりがあるように感じました。
しかし、それについて詳しく説明するのはやめました。
S君は身体能力の高いアクターですが、言ってしまえばアクターとしての経験しかない、
それだけならば結局『駒』になるしかないのですから。
そして彼はアクターとして、『やりたい事はやる』『やりたくない事はやらない』という信念を貫いてきました。
この飲み会の数年前、僕とS君が一緒にショーをした時の話です。
その時チームリーダーだった僕はメンバーのみんなに言いました。
『子供達を盛り上げる為にショーの最後にダンスをやりたい』
それを聞いたS君は即答で
『俺は踊らんよ。俺以外でやって』
と言い、結局ダンスは中止しました。
少なくとも僕が運営するチームでこんな事があっては困るのです。
メンバーの意見を尊重しないワケじゃないのですが、ベストと思える指針だけは僕が決めなくちゃいけないんです。
これを受け入れられないメンバーは、駒としても使えないのです。
僕はS君と一緒にやるという可能性を捨てました。
『うーん、それじゃ一緒にやるのは難しそうやね~。
お互いの考え方もあるし仕方ないか』
僕はやんわりと拒絶しました。
しかしS君を慕う後輩達は
『内野さん、Sさんと一緒にやりたいなら一緒にやろうって素直に言えばいいじゃないですか』
なんて言ってきます。
本当は一緒にやりたいのに僕がS君に頭を下げる事が出来ない、と思ったみたいでした。
いや、本気で断ってるんだけど。
僕と彼が一緒にやれば運営に支障が出る事は分かるもの。
しかしS君はかなり傷ついたようでした。
言葉はかなり悪いので申し訳ないですが、彼は根拠のないプライドを支えに生きているのです。
『俺は何か出来るハズ』
『俺は必要とされてるハズ』
そう思いたい彼は僕から
『あんたと一緒にやりたいんだ!
一緒にやろう!!』
と言われたかったに違いありません。
でもチームを作ろうとしている僕は、そんな軽はずみな事を言える立場じゃなかったんです。
彼は言いました。
『あんたに出来るハズがない』
『あんたにはそんな技術はない』
『あんたは努力もしていない』
『あんたに人を魅き付けるカリスマはない』
『俺達抜きで何かやれると思うんならやってみろ』
かなりの批判を受けたのですが、僕は『悔しい』とは思いませんでした。
腹が立つ事もありませんでした。
これはS君の負け惜しみであると同時に僕の真実だったからです。
2011-07-17(Sun)
はあぁぁ~、
しばらく小難しい事を書き過ぎて、
しかも上手くまとまらなかった感じで、
ドッと疲れてしまいました…
今回はライトに済ませたいなぁ…
2004年の後半は、お化け屋敷への通勤+貧乏でかなり痩せてしまい、おかげでいくつかのヒーロー役に入る機会がありました。
僕はヒーロー役より悪役の方が好きなんですが、たまにはヒーローの動きもやっておかないと忘れてしまうので、非常にありがたい機会でした。
それでも不本意に改変されたパッケージでショーをする事はかなり苦痛で、やはり僕はショーとの距離を置く事にしたのでした。
2005年、
かつて頓挫した『忍者ショー』の準備をすすめていた僕は、キャラクターショーと距離を置いたのをきっかけに、いよいよ本格的に企画を進める事にしました。
しかし当然1人では出来ません。
新しい仲間を集める事を前提に考えていたのですが、1つ気になっている事がありました。
もし僕が声をかけたら、以前一緒に忍者ショーをやろうとしていた仲間達はどうするだろう?
企画倒れになったとは言え、話し合い、役割分担まで考えた連中です。
まだショーに対する思いがあるかもしれません。
僕は彼らと飲んだ際、忍者ショーを一緒にやる気があるかどうかを聞いてみました。
特に企画倒れの原因となった同期のS君の気持ちを知りたかった。
彼は何かをやりたくて、
でも何をやっていいか分からなくてくすぶっているように思えたからです。
自分には何か出来るという自信と、
何も出来なかったらどうしようという恐怖と、
そんなジレンマで動けなくなってるような、
僕にはそう見えていたんです。
もしかしたら自分達で動き出す事が何かに繋がるかもしれない。
彼は動き出すきっかけを探しているのかもしれない。
そうだとしたら、今回の企画はいいチャンスになるかもしれない。
僕は企画の説明をして彼の返事を待ちました。
彼から返ってきたのは
『同じ立場でやるんならやってもいい。
でもあんたの下でやるのは嫌だ』
という言葉でした。
プライドの高いS君らしい返事です。
しかし今さら同じ立場になる事は出来ません。
確かに最初はみんなでやろうと始まった企画でした。
しかしそれが空中分解したのは、他ならぬS君のせいなのです。
彼が逃げ出した事で頓挫した企画を貰い受け、僕は1人で進めてきたのです。
設定、キャラクターデザイン、衣裳製作、台本の執筆、
それらを1人でやってきたのです。
その僕とS君が同じ立場でやっていけるハズがない。
僕は別に、
『1人で企画を進めてきたんだからS君より上の立場でいたい』
と考えていたワケではありません。
覚悟の問題です。
仮に僕とS君が共同でチームを運営する事になった場合、
S君はショーを完成させる為に努力する事が出来るのか、
今まで彼がやった事がない衣裳製作や諸々の管理や交渉を頑張れるだろうか、
ショーを発展させる為のアイデアを出す事が出来るだろうか、
自分の好き嫌いよりもショーの善し悪しを優先する事が出来るだろうか、
チームの活動が上手くいかなくなった時、投げ出さずに立ち向かえるだろうか、
少なくともこれらが出来なければ代表は務まらないのです。
そして僕から見たS君に、それらの覚悟はうかがえなかったのです。
2011-07-16(Sat)
展開を活かしてメリハリを出す為には前フリが必要、
なんて事を書いてきましたが、あまりに深い話になりすぎて、正直行き詰まってしまってる武装代表です。
そもそもはアドリブの話だったんですよね。
アドリブを活かす為には前フリが必要で、
キチンと前フリを使いこなせるという事は物語の構成を考える能力があるという事だから、
正しくアドリブを使える奴は、ショー全体を見る能力があるのだ、と、
すなわちアドリブを多く使わねばならない『しゃべり』の人間は、必然的に広い視野を持つのだ、と、
そんな事を書くつもりだったんです。
そして『しゃべり』である自分自身を褒めてやろうと、
そうするつもりだったんです。
ところがどっこい、何を間違ったか途中から
『前フリとはなんぞや!?』
『それによって生まれるメリハリとはなんぞや!?』
みたいな話になっちゃって…
そんなもん簡単に文章でまとめられないっつーの!
なので出来るだけサラサラっと済ませたいと思います。
物語にはメリハリが必要です。
メリハリとは『山場(見せ場)』と前フリの事です。
キチンと見せたい物が有る事、
それを活かす為の前フリが有る事、
これが物語の絶対条件です。
前フリには色んな手法がありますが、一番簡単なのは、
『見せ場と逆の要素を入れておく』
というものですね。
つまり、
『ヒーローの勝利』
を山場にしたければ
『ヒーローの敗北』
を見せておく、とか、
『仲間同士の友情』
が山場なら
『仲違い』
のシーンを作っておく、とかがそれですね。
強いヒーローが敵を倒しまくるよりも、一度負けたヒーローが敗北を乗り越えて勝利を掴んだ方が盛り上がるでしょ?
ずっと仲良しなキャラクター達が物語を進めるよりも、仲良しがケンカ別れして、それでも仲直りした方が『友情』って感じじゃないですか?
強豪野球部がスイスイ勝ち進んで甲子園で優勝するよりも、ヤンキーばっかりで試合どころじゃない野球部が甲子園を目指した方が面白そうですよね?
前フリってそういう事です。
ストーリーだけじゃなくて立ち回りだってそうですよ。
スピード感のあるアクションを見せたい時は、その前にわざとテンポの遅い動きを見せておくんです。
これは例えとして適切かどうか分かりませんが、黒澤明監督の『椿三十郎』のラスト、
三船敏郎と仲代達矢の対決のシーンなんかはそれを極限まで突き詰めたものではないでしょうか。
他にも『力強い一撃』の前フリとして、テンポ良く軽い技を見せておく、なんてのもありますね。
何にしても、山場(見せたいシーンや動き)がキチンとある事が、物語を構成する大前提って事です。
自分がやりたい事だけを考え無しに羅列したって駄目なんです。
まず物語全体の山場があり前フリがある。
物語を構成するシーン毎に見せたいものがあって前フリがある。
立ち回りのシーンにも起承転結や山場があり前フリがある。
それを考えていかなければ物語は作れません。
ストーリーの構築も、
立ち回りの構築も、
複雑なパズルを、あーでもないこーでもないと組み合わせて完成させるような作業なのです。
山場と前フリがいかに重要か、少し伝わりましたでしょうか。
文章が支離滅裂で伝わらなかった?
行き当たりばったりにダラダラ書かず、文章の山場と前フリをキチンと作れ?
確かにそうですね…
申し訳ないです…
追伸:山場を大切にするのと同様、どうでもいい部分をサラっと流す事も必要ですよ。
2011-07-14(Thu)
前フリが大事、って話の続きから。
展開を活かす前フリって何パターンがありますが、分かりやすいのは『逆走からのターンダッシュ』(命名・僕)ですかね。
本来見せたいものと逆の前フリをする手法なんですが、これは分かりやすいし使いやすい。
前回書いたように、しっとりしたシーンからいきなり激しい立ち回りが始まるようなパターンですね。
激しさを引き立てる為におだやかさを前フリにする、
おだやかさを引き立てる為に激しさを前フリにする、
笑いを引き立てる為にシリアスを前フリにする、
シリアスを引き立てる為に笑いを前フリにする、
悲しさを引き立てる為に幸せを前フリにする、
幸せを引き立てる為に悲しさを前フリにする…
例えを出せば枚挙に暇がありません。
物語というのは前フリと展開と事後処理で構成されているのです。
それはストーリー全体にも当てはまります。
シーン毎にも当てはまります。
立ち回りにだって当てはまっています。
『忍者ライブショー さやか見参!』の台本を見ると、立ち回りのシーンはこういう風に書かれています。
殺陣1…さやか vs 下忍ABC(40秒)
さやか勝利
この文字から何か伝わるでしょうか?
一番目の立ち回りである事、
さやかと下忍3人が戦う事、
40秒でさやかが勝つ事、
その他の要素を見つける事が出来るでしょうか?
出来ないでしょう。
間違いなく。
だって書かれてないんですから。
しかし、この立ち回りにだってストーリーがあるハズなんです。
40秒の中に起承転結があるハズなんです。
それを見つけられなければ40秒の立ち回りを付ける事は出来ません。
もし付けたとしてもそれは立ち回りではなく『形ばかりの技の羅列』に過ぎないでしょう。
『なぜ?
1対3の立ち回りを40秒やればいいんでしょ?
最後にさやかが勝てばいいんでしょ?
そんなに深く考える事かなぁ?』
と思った方いますか?
では例えを2パターン用意してみますね。
想像しながら読んでみて下さいね。
~パターンA~
さやか『あなた達がお兄ちゃんを殺したのね!?』
下忍A『あぁそうさ。あいつはお人好しだったからな。騙し討ちにするのは簡単だったぜ』
さやか『お兄ちゃんはあなた達を信じてたのに…許せない…絶対許せない!』
抜刀し、下忍達に飛び込んでいくさやか
さやか『お兄ちゃんのかたきッ!!』
殺陣1…さやか vs 下忍ABC(40秒)
さやか勝利
~パターンB~
さやか『なに…?急に目まいが…』
下忍A『へっへっへ、さっきの水に仕込んだ毒が効いてきたみたいだな』
さやか『毒…!?卑怯な…』
さやか、震える手で抜刀するが、力が入らず刀を落としてしまう
下忍A『さすがのオマエでも全身痺れちゃ戦えねぇよな、立ってるのもやっとみたいだしよ』
さやか『くっ…!』
必死に拾った刀を杖にして、どうにか踏み堪えているさやか
下忍A『悪いな、死んでもらうぜ』
殺陣1…さやか vs 下忍ABC(40秒)
さやか勝利
…どうでしょう?
この2つの立ち回り、イメージ出来ましたか?
パターンAはどうなりましたか?
パターンBはどうですか?
『あまり違いはなかったなぁ』
って方がいたなら、その方は立ち回りをつけるのはやめた方がいいですね。
少しでも芝居っ気がある方ならこの2つは同じにならないと思います。
演技(立ち回りを含む)には『行間を読む力』が必要になってきます。
では立ち回りの行間はどこに示されているのか。
台本の全てに、です。
全ての台詞、全てのト書きが、立ち回りの行間をありありと示しているのです。
つづく