2011-05-16(Mon)
2001年、僕にとって大きな出来事は、地方局のテレビ番組に参加させていただいた事だろう。
なぜ事務所が僕をキャスティングしたかと言えば単にスケジュールの都合が付き易かったからなのだが、その偶然に僕は今でも感謝する。
小学生をメインターゲットにした情報バラエティーみたいな番組で、僕はマスコットキャラクターのアクターとして第1回放送から関わらせてもらった。
この番組に参加した8年間(撮影に呼ばれた頻度はすこぶる低いけれど)、本当にたくさんの勉強をさせていただいたし、たくさんの方々と出会う事が出来た。
今の僕があるのはこの番組のおかげ、と言っても過言ではない。
勉強という事で言えば、まずペーパーだった僕が車の運転を覚えた(アクターのスキルとは関係ないじゃん!)。
この撮影には僕と女性メンバーが2人1組で参加していた。
午前と午後でアクターとアテンド(付き人)を交代する為だ。
もちろん移動の車も自分達で運転しなければならない。
そこで会社から
『基本的には(運転に慣れている)女性メンバーに運転を任せるけど、この機会にオマエも運転を覚えろ』
との特命(?)が下ったのだ。
というワケで僕は後輩である女性メンバーに厳しく指導を受けた。
『内野さんっ!なんでここで車線変更しちゃうんですかっ!』
『内野さんっ!いつまで1速で走るつもりですかっ!』
テレビ局のスタッフも同乗しているというのに、いつも怒鳴られたものだ。
この女性メンバー、『人前で怒りたがる』癖がある。
移動の車内でもそうだが、テレビ局内でも現場でも、人目があるとどうでもいい事で僕を怒鳴り散らすのだ。
周りの人達は、明らかに後輩である女性に怒鳴られている僕を見てクスクス笑っている。
そういった事で優越感に浸るのが好きな側面が彼女にあった事は間違いない。
それに関してはまた別のエピソードで触れると思う。
といずれにしても、僕が現在ハイエースにメンバーを乗せて現場に行けるのは、この厳しい後輩のおかげなのだ。
さて、次は実際にアクターとして勉強になった事だ。
僕はそれまで、テレビ番組の撮影は事前にしっかりと打ち合わせがあって、キチンと分かりやすい合図の元に進められるのだと思っていた(以前関わった撮影はそんな感じだったし)。
しかし状況によってはそうではない事もあるのだ。
僕が参加した番組の場合、メインはタレントさん達であり参加する子供達である。
タレントさんは100人以上の子供達と絡みながら番組を進行しなければならない。
マスコットキャラクターは特に絡みもなく、言われた立ち位置で流れに合わせて動いていればいい。
難しい事など何もない。
なので事前の打ち合わせも特になかった。
では撮影中の指示はどうか?
昼休みや放課後という限られた撮影時間に大勢の子供を相手にスタッフさんはバタバタ。
そんな中でマスコットキャラクターにまで細かい指示があるハズもない。
カメラがいつ回っていつ止まったかも僕らには分からなかった。
タレントさんと子供達がどんな話をしているかも聞こえなかった。
集中して状況確認したいが、悪ガキ達に囲まれてそれも出来なかった。
着ぐるみは僕が経験してきた中でも屈指のキツさだ。
休憩する暇もなく、平均して1時間~1時間半、長い時は2時間ぐらい出ずっぱり。
重い着ぐるみを支える肩に激痛が走る、
重い腕パーツを支える筋肉が悲鳴をあげる。
最初の頃は
『えーーっ!?撮影ってこんな感じなんー!?』
と思っていた。
でも、
それを続ける内に気付いた事がある。
それは
『キャラクターの役割』
について、だ。
2011-05-13(Fri)
『2001年の夏は暑かった』ばかり書いていても仕方ない。
とは思ったが、やはりこの年の想い出は『暑かった』事なのだ。
とある夏祭りでのショー。
夕方に1ステージ、夜に1ステージというプログラムだった。
3人のヒーローが活躍するアクションショーだった。
夕方、
ただでさえ暑いのに、西日を浴びながらの激しいアクション。
ショーが終わってヒーローの1人を演じていたメンバーが倒れた。
我々とて長年の経験から、
『非常に疲れている』
と
『ちょっとヤバい』
の違いは分かる。
倒れたメンバーは、明らかに『ちょっとヤバい』状態だった。
僕らはとにかく彼を安静にさせて、2回目のショーで彼の負担を減らすべく打ち合わせを始めた。
しばらく時間が経ち…
打ち合わせを終えた我々が彼を見ると…
彼は『苦しむ』でもなく、ただ、
『ぐったり』
としていた。
『ちょっとヤバい』が『非常にヤバい』に変わっていた。
『緊急事態』と言ってもいい。
同じ班に入っていた大ベテランの先輩が最終判断を下した。
『Sさん(スタッフ)、こいつを病院に連れて行って。2回目はヒーローを1人減らしてしゃべりでいこう。
内野、しゃべりでストーリーと構成を考えといてくれ、俺は音響さんと打ち合わせしてくる』
この『アクションへの道』の中で、僕はこの大先輩を悪く書く事が多い。
しかし実際の所は(当然だけど)尊敬して余りある所もたくさんあるのだ。
この時の迅速な判断、行動は賞賛に値する。
突発的なアクシデントに対しての見極め、適切な人材配置、指示の的確さ、どれを取っても見事なものである。
これはイベントの世界で長年修羅場をくぐってきた経験値がそうさせるのだろうか。
いや、きっとそればかりではない。
先輩は若い頃から大勢の人達の上に立ってきた方なので、自分を含めた人の動かし方を心得ているのだ。
僕は関心しながらストーリーを考えた。
ここは僕の経験値を活かす所だ。
1人が倒れたからしゃべりにすると言っても、ただ単に
『3人のヒーローを2人に減らしたストーリー』
を作ればいいワケではない。
『出来るだけ1回目と変えない事』
が重要なのだ。
ストーリーから立ち回りから全てを新作にしてしまったらゼロからリハーサルをやらなければいけなくなる。
1回目が終わってしばらくして決定した事なので、2回目のショーまで時間はないのである。
出来るだけパッケージと同じストーリー(展開)で、
立ち回りも極力変更させずに、
ヒーロー、戦闘員に台詞を極力喋らせずに(スタッフがいないので影マイクが出来ないのだ)、
なおかつショーとしての盛り上がりを損なわない、
そんな構成を考え、30分ぐらいで完成させなければならない。
結論から言えば、このショーは成功でした。
キチンと盛り上げられたと思うし、メンバーへの負担も少なく出来たし。
すごく当たり前の事なんですが、こうしたアクシデントやトラブルは無い方がいいに決まってます。
でも、それでも起きてしまうのがトラブルやアクシデントなんです。
僕が考えるプロの仕事の定義の1つは
『アクシデントに対応出来る事』
なんですが(もう1つは、常に平均点のショーが出来る事。仕事の再現性が高い事)、このような事態に対応する事でそのスキルを磨かなきゃいけない、
そう思います。
さて、数日してから再会した後輩は元気になっていました。
ホッとしました。
正直、
『このまま死ぬんじゃないか』
と思っていたからです。
無事で良かった。
キャラクターショーには危険がいっぱいです。
2011-05-12(Thu)
2001年の夏は暑かった、と書いた。
他の年も暑いのだが、一際暑かったように思う。
着ぐるみやヒーローショーをやっていると、よく
『暑くて大変でしょう!』
と労いの言葉をかけていただく。
言っても詮無い事ではあるが、
『暑いでしょう!』
と言って下さる方が想像するより何倍も暑い。
夏場のアクションショーなど、『暑い』ではなく『熱い』なのだ。
照り付ける太陽、
日陰にいても汗が吹き出す気温、
身体にびっちりと張り付くゴテゴテした衣裳、
酸素も視界もないに等しいマスク、
その中での演技、アクション。
暑さを増す要素ばかりがてんこ盛り、
それがキャラクターショーだ。
ハッキリ言って、ショーの出来不出来に関わらず、
『1回のショーをこなす』
だけでも不慣れな人間には、そしてショーが好きでない人間には不可能だと思える。
(だから新人さんにはある程度ラクな演出をつけなければならないのだ)
だが我々はプロである。
『出来不出来に関わらず』
なんて言っている立場ではない。
どんなにキツくとも、どんなに苦しくとも最高のショーをする義務がある。
もしも
『ヒーロー番組が好きだから』
『コスプレが趣味だから』
といった理由だけでショーの世界に足を踏み入れようとしている方がいたら言っておきたい。
『日常生活でも死者をだしてしまう近年の暑さの中、サウナの中でサウナスーツを着込み、フルフェイスのヘルメットを被ってビリーズブートキャンプをする覚悟はあるのか?』
と。
直接の面識はない知り合いの話だが、
『キャラクターショーが大好き!』
を公言していたほぼ素人の男性は、とある現場の途中、あまりのキツさに仕事を放棄して行方をくらませた。
ショーではなくグリーティングのみの現場だったそうである。
(グリーティング…キャラクターが会場を練り歩き、握手や撮影などを行なう事)
まぁ彼の場合は特殊なのかもしれないが、これはそこまで稀な事ではない。
数日間通しの現場で、2日目の朝に来ない(連絡も取れない)新人なんてざらにいるのだ。
改めて言うが、アクションの世界に飛び込む以上はそれなりの覚悟で臨んでほしい。
(こうやって狭き門にしちゃうのも良くないと思うけど)
僕も夏場のショーでは、必殺技をくらって(怪人役なので)テントに戻ると、一瞬でも早く衣裳を脱ぎたかった。
まずマスクを脱がせてもらいたかった。
呼吸がしたかった。
それが分かっているので後輩も急いでマスクを脱がせようとする。
するとファスナーがひっかかって脱げなくなったりする。
『落ち着けぇっ!慌てなくていいっ!落ち着いて開けろぉっ!』
僕も慌てた声で叫んだものだ。
そして衣裳を脱ぐと、とりあえずテントに大の字に倒れる。
背中の下は熱いアスファルトだ。
背中が焼けそうに熱い。
汗がいつまでも吹き出す。
でも動けない。
どうにか呼吸を整えて立ち上がると、地面には僕の形の水溜まり(汗溜まり)が出来ている。
夏場は毎回そうだった。
しかし大の字で休めるのはメンバーに恵まれている時だけ。
新人や慣れないメンバー、使えない奴が戦闘員役の時は、衣裳からダッシュでジャージに着替えてステージに飛び出さなければならない。
サイン会や撮影会の手伝いをする為だ。
滝のように流れる汗を拭いながら、
『こちらに1列にお並び下さーい!』
『撮影会は後ほど行ないまーす!』
『はい!写真撮るよー!ママの方向いてカッコ良くポーズ!』
と叫び続けるサイン会、撮影会。
『テントで大の字で休んでても死にそうなのに…!』
と思いながら動き回っているのだが、ふと意外に元気な自分に気付く。
『あれ?俺、元気じゃね?』
『じゃあ大の字になってる時は何であんなキツいんだ?』
『もしかして、休んでても大丈夫っていう甘えがあるからキツいのか!?』
普段の自分に対する、
『キツいフリをした甘え疑惑』
が浮上してしまう夏のひと時だった。
2011-05-11(Wed)
2001年の夏はとにかく暑かった!
熱中症という言葉を知ったのも、それで命を落とす事があるというのもこの年だった。
なにしろ、登校中の学生さんが亡くなったりしたのだ。
そんな中、炎天下で警備員のバイトをする僕もその影響を受けないワケにはいかなかった。
当時通っていた現場は道路を作っている最中で日陰などなく、暑さで作業員が何人か倒れた。
そこに1人で派遣されていた僕は、ダンプを誘導してあっちに走りこっちに走り、とにかく走り回っていた。
あまりに汗をかくので、冷凍したお茶4リットルを毎日持って行っていたのだが、どうやらこれが良くなかったらしい。
胃が弱ってしまったのかもしれない、
ある時を境に、食べても飲んでも戻してしまうようになったのだ。
これはけっこうツラかった。
暑い中を走り回る、
大量の汗をかく、
お茶を飲む、
戻す、
この繰り返しだ。
会社に『休みをくれ!』と言ってみたがもらえなかった。
どうやら年配の警備員達が(熱中症で)バタバタと倒れ、人手が足りなかったらしい。
僕はみるみるやつれてきた。
どんどん落ちる体重、
どんどん落ちる脂肪、
やがてこの夏バテ状態が楽しくなってきた。
前年からダイエットしていたのだが、それが加速する形で痩せていく。
よし!
こうなったら夏バテを利用してダイエットだ!
それからは毎朝5時に起きて筋トレ、
最低限の食事を摂りながら警備で走り回る、
警備が終われば道場へ行き、筋トレ&有酸素運動、
アクションの練習をみっちりやって帰って寝る。
そんな日々を送った。
練習がない日も筋トレとジョギングを続けた。
おかげでこの年はかなりいい身体をしていたと思う。
ショーに入っても、あえてキツい事をやった。
現役の後輩達との真剣勝負が楽しかった。
この年は本当に充実していた。
年間通して現場に入った数も、アクションリーダー、メルヘンリーダーと並んで1位だったぐらいショーに入った。
おそらくここで僕は道を誤ったのかもしれない。
それに関してはもう少し後に書こう。
2011-05-07(Sat)
2001年のゴールデンウィーク最終日。
ベテラン4人と新人3人、ショーが苦手なメンバー1人で始まったしゃべりショーもいよいよラストです!
ゴールデンウィークのように、数日に渡り同じメンバーでショーをする機会があると、
『ド新人がどこまで成長するか』
が楽しみの1つだったりしますが、この時の新人さん達は成長が早かったですね!
立ち回りも上手くなりましたが、何より動きのスピードが上がった!
おかげでショーの尺が合わなくなり、最終日には立ち回りを1つ追加する事に。
立ち回りを追加するほど新人が上達する事ってなかなかないですよ(僕の策略もあるんですが)。
センスのある新人達だったんですね。
3人のうち、後々まで残ったのは1人だけでしたが、その1人は今や東京で映像や舞台に関わり本格的にアクションをやっています。
先輩気取りでいたらいつの間にか先を越されてたって感じで恥ずかしくもありながら彼の活躍を応援している僕なのです。
ところで…
しゃべりショーには(基本的に)録音された台詞がありません。
スタッフや手の空いているキャストが裏で声をアテたりするんです(影マイクと呼んでいます)。
しかしながらゴールデンウィークはスタッフも不慣れな方が多いので影マイクをお願いするのも忍びない、
という事はキャストが声をアテるしかない。
それを説明する前に、この時のキャストを紹介しておきましょう。
レッド :ベテラン(♂)
ブルー :新人(♂)
イエロー:新人(♂)
グリーン:準新人(♂)
ピンク :ベテラン(♀)
敵幹部 :ベテラン(♀)
戦闘員 :新人(♂)
怪人 :僕
つまりこの時のキャストは半数が新人、
ベテランの半数が女性だったんです。
とゆー事は、僕以外に声をアテれそうなのはレッド役しかいない。
しかしながらレッドは新人ばかりのショーを引っ張る為にステージに出ずっぱり…
そうです。
僕は怪人(自分)の声だけでなく、ピンク以外の6役、おまけにナレーションまで1人でやってたんです。
そんな事出来るのかって?
出来るんです!
声色の使い分けが上手くいってたかは別として…
怪人としてステージに立ちながらヒーロー達の声を出し、自分(怪人)との会話を成立させる…
僕が初めてそれをやったのは1991年、まだ新人の頃でした。
それから研究を重ね、ついには自己最高の1人8役をこなすまでになったのです!
…いや、こなせてたかは分からないですけど…
でも、こうやって考えると、現在が2011年でしょ、
いま書いてるのが2001年の話でしょ、
初めて1人数役のしゃべりをやったのが1991年でしょ、
そりゃー年も取るわな!って感じですね!
最終日のショーが終わった後、現地の担当さんが声をかけて下さいました。
『ゴールデンウィークにこのレベルのショーが見れるとは思わなかった!』
これを言われた時は本当に嬉しかったなぁ。
メンバー全員の、特に新人さん達の頑張りが実を結んだ気がしました。