2011-03-02(Wed)
アクションへの道(160)
テーマパークでのキャラクターショー、
僕がラストに表現したかったテーマとは…?
このイベントで僕が演じたヒーローは、あの、日本で最もメジャーな等身大ヒーローでした。
彼は孤独を隠し、苦痛を隠しながらも人間の自由の為に戦うヒーローです。
どれだけ応援されようと、どれだけ称賛されようと、もはや彼の身体は人との関わりを持つ事すら許されないのです。
彼が孤独と苦痛を背負いながらも無償で戦い続けるのは、それが唯一の
『絆だから』(by綾波)
かもしれません。
このヒーローを演じるにあたって、この部分は外せない所です。
もし彼がスポーティーに軽快に、カタルシスたっぷりに戦ったらファンは納得しないでしょう。
※通常の不特定多数向けのキャラクターショーならそういう側面も必要です。
しかしながらこのイベントは『好きな人が観に来る』要素が強かったのです。
そこで僕は、彼が怪人を倒し、観客に別れを告げて去って行くシーンにかなりの時間を費やしました。
最後の台詞を言い終わると、くるりと踵を返し客席に背中を向けてゆっくりと歩いて去って行きます。
少し進んだ所で立ち止まり、少しだけ振り向きます。
観客達を見つめてから一瞬の間を置いて深くうなずき、疾風のように走り去って姿を消します。
この芝居にはどんな意味合いがあるのでしょうか。
怪人を倒した彼は、本当は観客達(子供達)と一緒にいたい。
でも自分の宿命がそれを許さない。
立ち去らなくてはいけない。
分かっている、早々に去らねばならない事は分かっている。
彼は後ろ髪を引かれながら歩いて行きます。
しかし内心は
『なぜ俺がこんな孤独を、ツラさを背負わなければならないんだ!?いっそ戦う事を捨てて、人々の元に…』
と揺れています。
葛藤の末、彼は振り向き、人々を見つめます。
その表情に、
『俺が戦いをやめたら、誰があの笑顔を守るんだ?そうだ。これでいいんだ。みんなの笑顔の為に、俺は戦い続ける』
と新たに誓い、子供達を安心させるように
『君達は俺が必ず守るから』
とうなずいて、
そして迷いを振り切るように走り去るのです。
実際にお客さんに伝わったかどうかはともかく、僕は『去る』シーンにキャラクターの心情を込めました。
人によっては
『なんでそんなジメジメした演出にするの!ヒーローショーなんだから、スカッ!と終わって拍手っ!ってなった方がいいじゃん!』
って意見もあると思いますが…
もちろんそれがヒーローショーの王道だと思います。
でも、子供向けだからって、王道だけじゃダメなんです(…と僕は考えます)。
僕が観客に(特に子供達に)残したかったのは『爽快感』ではなく『ある種のやりきれなさ』。
『切なさ』と言ってもいいでしょう。
ヒーローは強い、カッコいい。
でも、人は戦う時、必ず何かを背負っているんです。
キャラクターショーは人生の縮図です。
悪役というのは押し寄せる不条理です。
ヒーローとは、人生の荒波に翻弄されて、それでもあきらめない人間です。
綺麗事で済まない苦難が無差別に襲いかかって来る人生、
それに何度も叩きのめされて、それでも誰かの為に、何かの為に、そして自分の為に戦いを挑む強さ、
その素晴らしさ。
アクションやストーリーを通して、それを伝えるのがキャラクターショーなんです(…と僕は考えます)。
『ヒーローは頑張った。だから僕も頑張ろう』
『ヒーローは耐えた。だから僕もツラくても耐えよう』
そう思ってもらえる事こそキャラクターショーの醍醐味じゃないでしょうか。
だから僕は、あえて『やるせなさ』を伝えたかったんです。
僕がラストに表現したかったテーマとは…?
このイベントで僕が演じたヒーローは、あの、日本で最もメジャーな等身大ヒーローでした。
彼は孤独を隠し、苦痛を隠しながらも人間の自由の為に戦うヒーローです。
どれだけ応援されようと、どれだけ称賛されようと、もはや彼の身体は人との関わりを持つ事すら許されないのです。
彼が孤独と苦痛を背負いながらも無償で戦い続けるのは、それが唯一の
『絆だから』(by綾波)
かもしれません。
このヒーローを演じるにあたって、この部分は外せない所です。
もし彼がスポーティーに軽快に、カタルシスたっぷりに戦ったらファンは納得しないでしょう。
※通常の不特定多数向けのキャラクターショーならそういう側面も必要です。
しかしながらこのイベントは『好きな人が観に来る』要素が強かったのです。
そこで僕は、彼が怪人を倒し、観客に別れを告げて去って行くシーンにかなりの時間を費やしました。
最後の台詞を言い終わると、くるりと踵を返し客席に背中を向けてゆっくりと歩いて去って行きます。
少し進んだ所で立ち止まり、少しだけ振り向きます。
観客達を見つめてから一瞬の間を置いて深くうなずき、疾風のように走り去って姿を消します。
この芝居にはどんな意味合いがあるのでしょうか。
怪人を倒した彼は、本当は観客達(子供達)と一緒にいたい。
でも自分の宿命がそれを許さない。
立ち去らなくてはいけない。
分かっている、早々に去らねばならない事は分かっている。
彼は後ろ髪を引かれながら歩いて行きます。
しかし内心は
『なぜ俺がこんな孤独を、ツラさを背負わなければならないんだ!?いっそ戦う事を捨てて、人々の元に…』
と揺れています。
葛藤の末、彼は振り向き、人々を見つめます。
その表情に、
『俺が戦いをやめたら、誰があの笑顔を守るんだ?そうだ。これでいいんだ。みんなの笑顔の為に、俺は戦い続ける』
と新たに誓い、子供達を安心させるように
『君達は俺が必ず守るから』
とうなずいて、
そして迷いを振り切るように走り去るのです。
実際にお客さんに伝わったかどうかはともかく、僕は『去る』シーンにキャラクターの心情を込めました。
人によっては
『なんでそんなジメジメした演出にするの!ヒーローショーなんだから、スカッ!と終わって拍手っ!ってなった方がいいじゃん!』
って意見もあると思いますが…
もちろんそれがヒーローショーの王道だと思います。
でも、子供向けだからって、王道だけじゃダメなんです(…と僕は考えます)。
僕が観客に(特に子供達に)残したかったのは『爽快感』ではなく『ある種のやりきれなさ』。
『切なさ』と言ってもいいでしょう。
ヒーローは強い、カッコいい。
でも、人は戦う時、必ず何かを背負っているんです。
キャラクターショーは人生の縮図です。
悪役というのは押し寄せる不条理です。
ヒーローとは、人生の荒波に翻弄されて、それでもあきらめない人間です。
綺麗事で済まない苦難が無差別に襲いかかって来る人生、
それに何度も叩きのめされて、それでも誰かの為に、何かの為に、そして自分の為に戦いを挑む強さ、
その素晴らしさ。
アクションやストーリーを通して、それを伝えるのがキャラクターショーなんです(…と僕は考えます)。
『ヒーローは頑張った。だから僕も頑張ろう』
『ヒーローは耐えた。だから僕もツラくても耐えよう』
そう思ってもらえる事こそキャラクターショーの醍醐味じゃないでしょうか。
だから僕は、あえて『やるせなさ』を伝えたかったんです。
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