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2009-12-21(Mon)

アクションへの道(25)

みなさんはキャラクターショーにおける『しゃべり』というものをご存じでしょうか?
(※べしゃりという所もあります)
ショーの中で悪役のボスがマイクを持ってしゃべり、ショーを進行したり子供に絡んだりする、それがしゃべりです。

対して完パケ(完全パッケージ)というスタイルがあります。
これは台詞、音楽、効果音などが全てCDやMDに入っていて、プレイヤーの再生ボタンを押せば音だけで物語が完結してしまうというものです。

元々キャラクターショーでは『しゃべり』が主流だったそうです。
しかし、当然ながらこれには『しゃべりの技量』を持った人材が必要になります。
そしてしゃべりの展開に合わせて音を出す(時には影で声をアテる)優秀なスタッフが必要です。

キャラクターショーが九州に入ってきた時、人材の不足から完パケ方式を採用する事にしたそうです。
完パケならしゃべれる人間も要らないし、新人スタッフでも再生ボタンさえ押せれば何とかなるからです。

そんなワケで九州にはしゃべりショーの文化があまりありません。
という事は、お手本が少ないという事です。

そんなお手本が少ない中、僕が初めてのしゃべりに挑戦する事になりました。
ヤスエが死んでから1ヶ月経つか経たないかの夏の事です。
ショーが好きで、裏方的な事も喜んでやっていた僕に社員さんが
『今度しゃべりがあるけどやってみるや?』
と聞いてきました。

ちなみに僕はまだまだショー歴9ヶ月ぐらい。
キャリア的には無謀な挑戦だと思います。
僕は身の程知らずにも
『何とか出来るだろう』
と思い、

『やります!』

と答えたのでした。

完パケ主流の九州においてウチのチームも例外ではなかったのですが、時々しゃべりの現場がありました。

~放送が始まったばかりの番組のショーをする時~

キャラクターのしゃべり方やポーズのタイミングなどは放送を観なければ分からないが、第1話放送後に急いでパケを作っても間に合わない事があるので。


~イレギュラーなショーをする時~

とっくの昔に放送が終わった番組などは当時のパケを使うとタイムラグが大きいし、共演ショーやミニショーはパケを作っても2度目があるかないか分からないので。


僕がやる事になったのは歴代のヒーローが共演するショー。

『お見せしよう』と言って変身する力のヒーローと、空を飛んだりバイクで壁を壊したりするヒーローと、太陽の子の3人が登場します。
僕は悪ボス役です。

しゃべる事が決まってから、まずは台本をしっかり書いて来るように言われました。

先輩方は台本なんて作らずにやってましたが、新人の初しゃべりなのでチェックを受けて当然でしょう。


ありきたりに、『空を飛ぶ人』『お見せしよう』が敵に操られ『太陽の子』と戦うというストーリーです。

台本が出来ると、自分の台詞をゆっくり何度も読む練習をさせられました。
僕がしゃべりに関して教えてもらった事は後にも先にもただひとつ、
『ゆっくりしゃべる事』
これだけです。


そしていよいよリハーサルの日がやってきました。

~つづく~
2009-12-19(Sat)

アクションへの道(24)

ヒーロー役に入れていただき、大きな舞台に立つチャンスもいただき、ますますキャラクターショーにのめり込んでいたこの年の夏、親友が死にました。

アクションで、とかではなく単なる事故でしたが。

彼は中学時代の親友で、オリジナルヒーローの自主映画を一緒に撮った仲でした。
ヤスエという愛称で呼ばれていた彼はこの時専門学校に通っていましたが、僕がショーの世界に引きずり込んで、何度か現場に入ったばかりでした。

翌日の現場が夏の夜祭りで集合が遅かったので僕は夜更かしをして明け方寝たばかり。
午前中、知人のN君から電話がかかってきたのですが、それに出た事も記憶にないぐらい寝ぼけていました。
昼前に起きて現場の準備をしていると、母が僕に言いました。
母『N君はあんなに早く何の用やったと?』

僕はまったく記憶がありません。
僕『N?Nがどうかしたと?』
母『N君から電話があったやんね。覚えとらんと?』

そう言われて考えてみると…
ようやく記憶が蘇ってきました。

僕『…もしもし…』
N『あ、俺Nやけど、寝とった?』
僕『…うん…』
N『じゃあさ、今から話す事は現実味がないかもしれんけど夢じゃないけん、しっかり聞いてね。』
僕『…うん…』
N『ヤスエが死んだよ。』
僕『…』
N『どうも事故らしい。詳しくは分からないけど。何か分かったらまた連絡するけん。』
僕『…うん…』

そして僕は再び眠りについて、そのやり取りを忘れてしまっていたのでした。

慌てて家にあった新聞を見ましたが事故の記事はありません。

走ってコンビニに行き、いくつかの新聞を見ると、1つだけ事故の記事を載せているものがありました。

地元の山道…峠と呼べるほどのものでもない所ですが、そこで友達を助手席に乗せてドライブ中にカーブを曲がり切れずガードレールを突き破り6mの崖を落ちたそうです。
助手席の友人は怪我で済んだのですが、ヤスエは即死だったらしいと聞きました。
実は彼の親が新しい車を買ったばかりで、彼は調子に乗って連日その山道を飛ばしていたのでした。
かくいう僕も事故の前日、ヤスエの運転で同じ道を走っています。
その時彼はあるカーブで

『このカーブを曲がり切れんかったら俺は崖から落ちて死ぬやろうね。』

と言っていましたが、図らずもそれは翌日に現実になってしまったのです。

集合時間が近付いていたので、僕は混乱したまま事務所に向かいました。

事務所に着くと、集まったメンバー達が道場で楽しげに話していました。
この時の光景は何故か頭にこびりついています。

僕はしばらくその話に耳をかたむけてから、一段落ついた所でキャスティング担当の社員に言いました。

僕『スミマセン、ヤスエの奴、これから現場に入れなくなりました。』
社『どうした?』
僕『いや、あいつ死んだんですよ』
社『おいおい、そんな事は冗談でも言うなよ』

そう言った社員に新聞の切り抜きを見せると顔色がサァッと変わったのを覚えています。

僕はそのまま現場に行ってショーをしたのですが、放心して魂が抜けてたような気もするし、親友が死んだというのに普段通りだったような気もするし、結局この日の事は自分でもよく分かっていません。


彼の事故を悲しむつもりはないんです。自業自得ですから。
助手席に乗ってた友人が気の毒だし、事故が前日だったなら僕も被害にあってたかもしれません。
何より残されたお母さんが一番可哀想です。


漫画家のゆうきまさみ先生の初期の作品がコミックス化された時、ゆうき先生の友人でもあるとり・みき先生があとがきを書いておられました。

まだ2人が売れる前、若さゆえに馬鹿らしくも楽しかった毎日を過ごした事がつづってあって、今では取り返せないその思い出を、
『もう一度だけ言わせてもらう。あの時は本当に楽しかったぜ』
と締めてある文章でした。

僕は青春の楽しさや大人になる切なさ、そして仲間との友情に溢れたこのあとがきが大好きでよく話題にしていたのですが、その度にヤスエが
『じゃあアンタが成功して本を出したら俺があとがきを書いてやるよ。中学時代は本当に楽しかったぜ、ってな。』
と言ってくれていました。

もしこの先、僕が成功して万が一、本を出すような事があっても、あとがきに

『あの時は本当に楽しかったぜ』

と書いてくれる親友がいなくなった事だけが少し悲しいのでした。


今回はアクションどころかショーの話ですらないじゃないか…
次回はバッチリ本題に戻しますよ!

次回告知!
『初めてのしゃべり!』
見るでヤンス~♪


~余談~
ヤスエが事故った山道ですが、昔から
『深夜に13カーブを通ると首なしライダーが追いかけて来る』
という話がありました。
口裂け女ブームの後には
『13カーブで首なしライダーが巨大な鎌を持って追いかけて来る』
に変わっていて笑いました。

事故からしばらくして県外の知り合いから
『あの山、13カーブで赤いロードスターが追いかけてくるらしいね!』
と言われました。
赤いロードスター、それはヤスエが事故った車です。

あぁ、アイツも都市伝説になったのか…

と感慨深くなりました。
しかしそれから後に
『首のないドライバーが赤いロードスターで追いかけて来るらしい』
『大きな鎌を持っているらしい』

という噂を聞いた時にはかなりウケてしまいました。

ヤスエ、鎌はやめとこうぜ(笑)
2009-12-17(Thu)

アクションへの道(23)

大会と呼ばれるショーの合同リハの話を書いてきましたが、最後の方はもうリハの内容よりも、一緒に入ってた大先輩カップルが大喧嘩して大変だったとかそんな話しか思い浮かばないので割愛します・・・


本番当日。

イベントは、1部が歌のコーナー、2部がショーになっています。

正直・・・

当日の事もほとんど覚えてないんです!緊張して!!

いくつか覚えている事を書くと・・・
まず、


控え室に入ったら衣裳がキャラクター毎にキチンと並べられていた事。

当たり前なのかもしれませんが、僕がいたチームではこんな光景見た事なかった。
本来は僕のような下っ端の役目だろうけど。
教えてくれたらやったのになぁ~・・・

イエローの衣裳と一緒に肉じゅばん(身体を太く見せる為に衣裳の下に着込むもの)が置いてあって、
「あ、他の人達はこんなんを着てやってんのか・・・」
と驚いたり落ち込んだりした事。

イエローはドスコイ体型なので、普通体型の人が入る時は太く見せる為にそーゆーものを着込んでたんです。
僕はTシャツ1枚でちょうど良かったですけど・・・

お客さんをお出迎えする時のベルトのバックルがプラスチックで感動した事。

ショーで使うベルトはバックルが刺繍だったんです・・・

本番直前、緊張してガチガチになっていた僕に、他のチームの先輩が
「始まったらこっちのもんやけんね」
と言ってくれた事。
これはかなり気持ちが楽になりました。

リハで何度もダメ出しされていた所を本番でも間違えてしまった事。

演技で不用意に動いた為に、カッコ良く登場したレッドにぶつかってしまった事。


そんな感動や反省や学習があり、記憶もあやふやなままイベントが終了。
ステージ上に出演者が集まって最後の挨拶が行なわれました。

締めの挨拶をするのは司会を務めた歌のおにいさん。
現在アニソン界の『アニキ』と呼ばれているお方です。
アニキの締めの言葉に全員が
お疲れ様でした!!
と答え、余韻を残して解散・・・

前回書いたようにこの時のメンバーには、現在武装で共にショーをしている先輩・阿部もいたのですが、彼は当時から何気に面白い一言を言い逃げするヒット&アウェイ気質がありました。
この挨拶の直後も僕のそばにやって来て、

「内野、ミ●キさん(アニキ)に一際大きい声で挨拶しよったやろ。俺は見逃さんかったよ」
そう言うと、近付く時と同じスピードで離れていくのでした。

確かに僕は緊張して声がうわずった為に挨拶が大きくなってしまったのです。

「あの人は細かい所見てるんだなぁ~」

と感心してしまいました。


当日だったか後日だったか忘れましたが、打ち上げが行なわれ、僕も参加しました。

・・・この時の記憶も確かではありません・・・
口に入れたものが影響してるのかな・・・?

時々武装を手伝ってくれる吉田にいやんもメンバーとしていたのですが、彼としゃべり始めたのはこの打ち上げがきっかけだったかも。

年はタメなのですが、ショーのキャリアは僕よりはるかに長く、おまけに顔が怖くて口数が少なかったのでそれまで話しかける事が出来なかったのです。
赤ら顔の彼は意外に面白くて気さくな男でした。

↓↓武装を手伝ったてくれた時の吉田にいやん(一番奥)
吉田にいやん

この時の記憶で一番覚えている事・・・
それは同じチームの大先輩の事です。

大先輩は当時、一匹狼みたいな男に見えました。
動けば最高にカッコ良く、偉い人にも媚びない姿勢は僕の憧れでした。

彼はお酒を酌してもらうのも嫌いです。
手酌派です。
この時も黙って手酌で飲んでいた彼の所に、瓶ビールを持った偉い人
「お疲れ様です!」
とやって来ました。

この偉い人がどーゆー立場かというと、この業界でこの仕事をしていたら多少なりとも顔色をうかがわなくちゃいけない立場の人です。
おまけにショーメンバーなんて(僕も、その大先輩も)ただのバイトですから。
僕なら「はは~っ!」と言ってひれ伏してもやりすぎではないでしょう。

大先輩は当然のように偉い人のお酌を断りました。
偉い人は今回のショーがどれだけ良かったか、関係者の中でどれだけいい評判だったかを熱く語りました。
すると大先輩は目を合わせる事もなく、

「俺はあんたらの為にショーをしよるんやない。子供達の為にやりよるんやけん」

と吐き捨てました。
それを聞いた当時の僕は

「うおおぉ~っ!カッコイイぜ!孤高の一匹狼!!」

と思って、ますます彼をリスペクトしました。


それから20年近くが経過し・・・

僕は大先輩にその話をして言いました。

「当時はカッコイイ~!って思ったんですけど、あの態度、社会人としてはどうですか!?
嘘でも最初に

『そうですか?ありがとうございます』
って言ってから
『でも本当に喜ばせたいのは子供達ですからね』
って言えば良かったじゃないですか!
仕事の付き合いだってあるんだから、もっと考えて下さいよ!」


大先輩に大説教です。
時が僕を変えたのかもしれません・・・


・・・って、今回はアクションの話が全くなかった・・・
申し訳ない・・・
2009-12-16(Wed)

アクションへの道(22)

普段のショーに加えて合同リハに励む僕だったが、2分の殺陣を覚える苦労は並々ならぬものだった・・・


僕の物覚えはすこぶる悪い。
今まで10秒前後しかやってなかった殺陣が今回は2分。
覚えられるワケがない!

家に帰ってソッコーでノートに手(段取り)を書き写す。
文字で説明しきれない所は絵を描いて覚える。
ノートを見ながら何回も何回も動いてみる・・・

こうして翌週のリハまでにようやく殺陣を覚える事が出来たのでした。

よかった~♪ふうぅ~~っ。

ひと安心♪

かくして翌週のリハは・・・

殺陣の秒数を削る所から始まりました。

なんですと~っ!?


・・・なるほどなるほど・・・
最初は長めに付けておいて、削る事で調節していくのね。
殺陣だけでなく、アイデア作業にはこの方法が効果的です。
ちなみに僕の2分の殺陣は・・・

25秒になりました。

なははははっ、ま、そんなもんか。
仕方ねぇや、この中で一番ヘタだし。



しかし、個人で出るシーンは短くとも、他のキャラクターと登場してる時間ってのはいっぱいあるワケです。

前回書いたように、イエローにはアクションらしいアクションはほとんどありません。
他のヒーロー達が戦ったりやられたりしてる時もあまりやる事がないのです。
ではイエローは何をするべきなのか?


間を埋めるべきなのです!
それこそが演技であり殺陣なのです!


それは普段のショーではやった事がありませんでした。


ブラックが敵に向かっていく、
「次は俺が行くぞ!」という芝居をする。

ブラックがやられる。
それを見てひるむ。

その隙にブルーがかかっていく。
劣勢を感じてかまえる。

ブルーがやられて戻ってくる。
それをかばうが、向かってくる敵と対峙して後ずさる・・・


何もやってないシーンでもこれだけの事が出来るのです。
これはまだ新人の域を出てなかった僕には新鮮な体験でした。

このシーンではどう動くか?
それを考えるのが楽しくて仕方ありませんでした。

僕は今でも格闘技のような殺陣よりも感情が見える殺陣が好きなのですが、その因子はこの時に生まれていたのだと思います。

・・・まぁこれが災いして、後に先輩達に
「エセ殺陣の内野」
との悪名をいただく事になるのですが・・・

それはもうちょい先のお話。

~つづく~
2009-12-14(Mon)

アクションへの道(21)

合同練習にて、あまりの緊張に心折れそうになりながらも、台本に自分(イエロー)のセリフが2言もある事に何とか踏みとどまった僕であった・・・


翌週、いよいよ本格的なリハがスタートした。

舞台をやってらっしゃる方は驚くかもしれないが、僕がいたチームは(他の所は知りません)演出家とか舞台監督に当たる立場の人はいませんでした。

もちろん最終決定権を持ってるリーダー的な人はいるんですが、全体を見るワケではありません。

レッドがメインのシーンではレッド役におまかせ、
ピンクがメインのシーンではピンク役におまかせ、
怪人がメインなら怪人におまかせ、
といった感じでした(だからこそゴールデンウィークに新人戦闘員が勝手な演出をやれたのですが)

これは自由にのびのび出来ます!
自分がやりたい事をやれるので、色んなアイデアを盛り込む事が出来て、バリエーションが増えます。
しかし!
欠点をあげるならば、ショー全体の整合性がなくなってしまう事があります。

例えば、戦隊のショーで、主役5人にそれぞれアクションシーンが用意されていたとしましょう。

もし、5人がみんな、ガンガン動いて蹴り技を使いたがるタイプだったらどうなるか?
時代劇のような剣殺陣が好きな5人が集まっていたらどうなるか?

最初から最後まで同じようなアクションシーンが続く事になります。
演ってる本人達は気持ちいいのでしょうが、子供から観たら、ヒーローの色が変わるだけでやってる事はみんな同じです。
それでは飽きてしまいます。

また、こういった例も考えられます。

前半、ピンクが素手で悪役を追い詰めていたのに、後半レッドが剣を持ってるのに負けてしまう・・・
「レッド弱っ!!」
みたいな。

だからこそ全体を見る演出は必要です。

「このシーンは戦ってる感じを出したいから蹴り技メインでいこう」
とか、
「ここでは画的な綺麗さが欲しいから時代劇みたいに演って」
とか、
「ピンクは武器があったから対等に戦えたけど、レッドは素手だったからピンチになった事にしよう」
とか、ショーの中のメリハリを付けるのが演出です(アクションシーンに限らず)

素手のアクションでピンチに陥っていたヒーロー5人が、最後の最後で揃って剣を持ったら『反撃開始!』って雰囲気になりません?
そーゆー事を考えるのが演出です。

この合同リハで、僕は初めてそれを目の当たりにしたのでした。
ヒーロー達の個性を出しながら、魅せる所は魅せ、危機感が必要ならそれを出し、盛り上げるべき所には華やかさを加える・・・

すごい!
アクションってこうやって作られるのか!!


僕の感動は並々ならぬものがありました。
・・・しかし、何故ウチのチームはこれをやらないんだろう??

しばらく経ってウチのメンバーに、
「なんでウチには演出家がいないのかな?」
と聞いたところ、
「そんなんがいたら自分の好きな事が出来んやん!」
と言われました。

どうやら僕がいたチームは、個人個人が自由に動いて切磋琢磨していくスタイルだったようです。

これは一長一短で、ズバ抜けた個性を持った個人が生まれる可能性を秘めながら、総合力にムラが出る危険性があるスタイルです。

正しいのか間違ってるのか、正解があるのかないのか分かりませんが、僕は決して嫌いではありません(武装のスタイルは違いますが・・・)

リハに話を戻しましょう。

イエローのアクションシーンを付けてもらう時間がやってきました。
まず・・・尺が長い!!
トータルで2分近くあったんじゃないかな!?
普段のショーではほとんど個人のアクションシーンはなかったし、たまにあっても10秒~15秒ぐらい。
2分となると未知の領域です。
そして、アクション、と言っても、殴る蹴るはほとんどありませんでした。

僕が入っていたイエローというのは以前も書きましたがドスコイキャラ。
戦いが嫌いで戦いが苦手で運動能力も低いけど、気は優しくて力持ち。
そんなキャラでした。
だからとにかく、担ぐ、振り回す、投げる、転がすといった、ちょっとコミカルな力技のオンパレード。

なるほど。イエローはお笑いを担当すればいいんだな。

と気が付いたのでした。

~つづく~
プロフィール

武装代表・内野

Author:武装代表・内野
福岡・久留米を中心に、九州全域で活動している『アトラクションチーム武装』の代表です。

1972年生まれ。
1990年にキャラクターショーの世界に入り現在に至る。

2007年に武装を設立。

武装の活動内容は殺陣教室、殺陣指導、オリジナルキャラクターショー等。

現在は関西コレクションエンターテイメント福岡校さんでのアクションレッスン講師もやらせてもらってます。

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