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2009-12-29(Tue)

アクションへの道(30)

タイトルとは裏腹にアクションと関係ない内容が多いこのシリーズ。

まぁ全てを含めて今の僕に至る道なのでご容赦下さい。



大きな舞台も踏ませてもらって、実家も追い出されてしゃべりも経験して、この辺りで僕のスタイルも段々と出来上がってきました。

アクションショーの幹となるのはやはりアクション、立ち回りです。
当時僕の同期や同年代は身体能力に秀でた者が多く、その為、

より早く
より高く
よりダイナミック

という方向性に向かうのが主流だったのです。

彼らの動きは華やかさや人を惹きつけるトリッキーさがありました。
そして当時のリーダー達はそれを浮かせない安定感を持っていました。

ここが戦隊物のむずかしいところです。

リーダー然と安定したレッドがいます。
可憐なピンクがいます。
トリッキーで華やかなブラックやブルーがいます。
だとしたらイエローは何をするべきか??

ここを考えないと戦隊は失敗します。
アクションが好きな人間なら、カッコ良く派手な動きをして目立ちたいと思うでしょう。
ところが5人とも同じような動きだったらどうなるか?

特撮ファン向けの例えで言うならば、

『仮面ライダー電王』で良太郎に憑依しているイマジン達・・・
それがみんなモモタロスだったらどうなのか?

って事ですよね。

モモタロスが「いくぜ!いくぜ!いくぜ!!」
ウラタロスが「いくぜ!いくぜ!いくぜ!!」
キンタロスも「いくぜ!いくぜ!いくぜ!!」
リュウタロスも「いくぜ!いくぜ!いくぜ!!」


これ、フォームチェンジせんでよくね??
って思いますよね。

電王人気の大きな要因の1つは各々のキャラクターの個性にある事は間違いないでしょう(電王知らない人ゴメンナサイ)

戦隊の魅力は5人の個性です。
ってか、それぞれの個性を発揮させる為に5人いるのです。

メジャーキャラクターにしろローカルキャラクターにしろ、演じ手はここに気をつけてほしいですね。

まぁそれで、自分のイエローのポジションに悩んだワケですが、幸いな事にこの年のイエローは
「心優しきドスコイキャラ」
だったので、

カッコ良くなくてもいい、むしろカッコ悪いぐらい一生懸命にみんなを守ろうとしている

という設定にしました。
設定といっても単なる決まり事ではありません。動きで表現していくべき設定です。
どうやって表現すればいいのか??

アクションはお芝居です。
例えばパンチやキックにしても、それは技ではなく演技なのです。

僕らは技の基本を学びます。
パンチやキック、ガードやリアクションなどの基本です。
これらは基本を学んだ時点では基本に過ぎません。
応用させていくのがプロの仕事なのです。
では応用とは何なのか?

基本で学んだキック。
これを、達人のキックにするのか素人のキックにするのか、
余裕があるように見せるのか必死なのか、
威力があるのか無いのか、
当てたのか止められたのかよけられたのか、
設定によって使い分ける事が応用です。
そしてそれが演技であり立ち回りです。

なので僕は力強さを出す為にモーションを大きくして大振りな技を出しました。
戦いが苦手な感じを出す為に少し形を崩しました。
やられる時はぶざまにやられました。

基本をアレンジして、自分のイメージ通りのイエローを表現するべく努力しました。

しかし、実はその前の段階にも僕はこだわったのです。

怪人のセリフに憤った演技を入れたり、レッドのセリフに同調して正義感を燃え上がらせた動きを入れたり、仲間がやられる度に心配したり怒ったり、自分がダメージを負っていても仲間を気遣ったり・・・
そういった自分の動きが決められていない部分に性格を出していこうとしていたのです。

カッコ良く言えば「行間(ぎょうかん)の芝居」、僕流に言うと「動きの密度を濃くする」という事です。

「こんなの当たり前や~ん」と思うなかれ、当時こんな事誰も教えてくれなかったし、やってる人も少なかったんですよ!(あくまで僕が知ってる範囲で)

技は技だけでは演技になりません。
そこに至る感情が見えて初めて演技になるのです。

なぜ殴るのか?
なぜ戦うのか?

キャラクターショーのストーリーというのは、それぞれの感情を子供達に伝える為にあるのです。
僕は他のキャラクターがカッコ良さを見せている間の「感情担当」を目指しました。

おそらく子供達はレッドのカッコ良さやブラックの華やかさに目を奪われているでしょう。
でも、もし変な間が空いたらお客さんは「んっ?」と我に返ってしまいます。
彼らのカッコ良さが活きるように僕は間を埋めようと思ったのです。

これは、運動能力の低い僕だからそうしようと思えたのかもしれません。
頑張ってもカッコ良さや華やかさではみんなにかなわない事が分かっていたからこそ、何の未練も持たず、引き立て役になろうと思えたのです。
でも、もしイエローに注目してくれている子供がいたなら、イエローの優しさや一生懸命さを感じてくれる演技をしていたと思います。


・・・まぁこんな風に書いてますけど、この時でキャリア9~10ヶ月ぐらい。
考えた通りにしっかり動けていたワケじゃないですよ。
単純に動けない人、下手な人の動きになってたかもしれません。いや、間違いなくなってたでしょう。
でもその時期にこういった事を考えた事で自分のスタイルが出来上がったと思うのです。
すなわち、

役割を考え、それに徹する事。
間を埋める演技をする事。
素の自分を主張しすぎない事。


これがこの時期に完成された僕の軸です。
絶対にブレてはいけない軸なんです。
2009-12-28(Mon)

アクションへの道(29)

実家を追い出され、あてにしていた下宿も断られ、宿無しになってしまった僕であった・・・


傷心のまま、チームのメンバー達と花火大会に出かけた僕。
しかし気持ちは花火どころではありませんでした。

(俺は今日、どこで寝たらいいんだ・・・)

花火が終わって僕は先輩に事情を話しました。

「実は僕、7000円しか持ってないのに今後住む所がないんですよ・・・」

それを聞いた先輩は力強く言いました。

「おう!それなら俺がいい所を知っとる。ついて来い!!」

なんて頼もしい先輩でしょう!!
僕は先輩を追いかけました。

先輩について入ったのは、とあるカプセルホテル。

(へぇ~、こーゆー所でも安く長期滞在出来るのかぁ・・・)

僕はぬくぬくと実家で暮らしていた世間知らずだったのです。
フロントに行くと、

「一泊3500円です」

と言われました。

「えっ!?」
「えっ!?」
「えっ!?」

一泊3500円ですって!?
僕は頭がクラクラしました。
なぜ!?
なぜに!?
全財産7000円しか無い僕を、なぜこんな所に!?

僕は先輩をキッ!と見ました。
すると先輩は得意気に

「一泊3500円なんて安いやろ!?」

と言うのでした。

そうです。この先輩が言った「いい所」とは、僕の状況に対してではなく、世間一般の宿泊料金と比較して、だったのです。
僕は怒りがメラメラと燃え、失意がザパーンと波打ち、不安がドド~ンと押し寄せ、結局眠れませんでした・・・

全財産3500円、宿無しって・・・


ちなみにこの先輩の人柄を物語るエピソード。

僕が新人時代、毎週2000円ほどの赤字を出しながらショーをやってた事は以前書きました。
それでも連休に何日か続けてショーに入るとまとまったギャラをもらえる事があって、そんなギャラ日には

「よ~し、今日は贅沢してココイチでカレーをガッツリ食うぞ!!」

なんて事になるのですが、ある日僕がココイチに向かっていると

「俺も一緒に行こ~っ」
と、先輩がついて来ました。
店に入ってテーブルに着くと先輩は

「あ、しまった!財布忘れてきた!わりぃけど今日の分出しといて!」

と言いました。
確信犯かそうでないのかは分かりませんが、この状況で先輩に言われたら首を縦に振るしかありません。

贅沢する気まんまんだった僕は注文を取りに来た店員さんに

「●●カレーの甘口900gにトッピングで●●と●●と●●と●●を!!」

と言いました。
かなりの量、かなりの額になると思われます。
しかし先輩は、

「俺も同じの」

と言いました。
僕のギャラはあっという間にスッカラカンになりましたとさ・・・

そんな先輩です。


まぁ先輩への恨み節はさておいて、いよいよお金のない僕は結局、下宿を紹介してくれた社員さんにお願いして、彼の部屋を使わせてもらう事にしました。
一度断られた下宿なので気が引けましたが、社員さんが家賃を払って住んでいる部屋です。本人の許可をもらって僕が寝てても問題ないハズ!!

・・・しかし世の中そう甘くはなく、翌朝大家さんが部屋にやって来てこっぴどく怒られました。
社員さん個人を信用しているから部屋を貸してるのであって、どこの誰とも分からん人間が勝手に入っては困る!!
という事でした。
まぁ確かにそうですよね・・・

でも僕も背に腹は変えられません。

翌日からは大家さんが寝静まった深夜に部屋に入り、トイレも我慢して静かに寝て、人目を忍んで抜け出すというコソ泥のような生活を送っていました。
しかしそれも数日でバレてしまい、今度は本格的に追い出されました。

それからは公園や屋根のある駐車場が僕の寝床となったのです。
このホームレス生活は4~5ヶ月続きました。

初しゃべりショーはこの時期の話です。

2009-12-26(Sat)

アクションへの道(28)

初しゃべりショーの時期、僕の生活環境を大きく揺るがす事態が起きていました。

以前書いたように僕は大学を落ちてからショーの世界に入ったのですが、やはりフリーターとしてショー1本に専念するというような生活は許してもらえませんでした。
親にではありません。に、です(まぁ親も許さなかったでしょうが)

自分のやりたい事を押し殺して周りの期待に応えようとする性格の兄は、自堕落に好きな事ばかりしている僕が許せなかったのでしょう。
1991年8月、兄は僕に言いました。

「今月中に就職先を決めろ。決まらなかったら来月オマエを自衛隊に入れる。嫌ならウチから出て行け。」

期限は8月いっぱいだそうです。
こう言われた瞬間に僕は8月いっぱいで家を出る事を決意しました。
せっかく憧れの世界に入ったのに中途半端にやりたくなかったからです。

しかし、今思うと、兄に僕を追い出す権限はなかったんじゃないかと・・・
最近母に聞いてみたら、両親は僕が兄から追い出された事を知らなかったそうです。
勝手に出て行ったと思ってたみたいです。
今さらどうでもいい話ですが。

8月31日、僕は自転車に荷物を積んで久留米を後にしました。
まだまだ暑い季節、2時間半かけて福岡に向かいました。

この時、僕の全財産は7000円

実は、事務所の社員さんが当時住んでいた下宿が敷金礼金なしの家賃7000円だったのでそこに入れるよう話をつけていたのです。
次のギャラが出るまで無一文ですが、住む所さえあれば何とかなります。
僕は社員さんと一緒に大家さんの所に挨拶に行きました。
ところが・・・

「ごめんねぇ、やっぱり新しい人は入れん事になったんよ」
「えっ!!先日は大丈夫って言われましたが・・・」
「家族で話し合ってね、もう下宿はやめようって事になってね。約束しといて悪いけど・・・」

はい、住む場所消えた~!


社員さんは責任を感じたのか、

「すまんな・・・俺の部屋使っていいよ。俺はほとんど帰ってないし」
「ありがとうございます・・・でも出来るだけ自分で探してみます・・・」

お先真っ暗です。

~つづく~
2009-12-24(Thu)

アクションへの道(27)

僕の初しゃべりショー、いよいよ当日です。

現場は長崎。
まだまだ暑い日でした。
控え室のテントにいるだけで汗がダラダラ流れてきます。

このショーもですね・・・
正直細かい所まで覚えてないんです・・・
緊張してたから・・・

でも、現場を「痛々しい空気」にしてしまった事はハッキリ覚えています。

僕は元来目立ちたがり屋で自信過剰です。
おまけに古い因習(←大袈裟。要するに惰性)みたいなものが嫌いです。

僕が当時考えていた古いネタ・・・
例えば、

怪『オース!!』
客「オース・・・」
怪『お前ら声が小さいよ!もっと大きな声で!オース!!』
客「オース!」
怪『オーッス!!』
客「オーッス!!」
怪『うるせぇよ静かにしろ!!』

みたいな・・・

良く言えば『テッパン』なんですが(ドリフネタは基本テッパンです)、当時の僕には
「ありきたり」
「何の工夫もなく昔のネタを繰り返している」

と見えていたのです。
なので、今まで観た事のないオリジナルのネタで勝負しようと思っていました。
それが失敗の始まり・・・

何のこっちゃ分からんネタで静まり返る客席・・・
その状況を上手く収める事も出来ずパニクる僕・・・


ここ近年の、しゃべりに関する僕の持論ですが、

1・弱音を吐いて客に媚びない。
2・失敗を認め、失敗した時こそあっさりと進行する。


というのがあります。
この2つを意識しないと何かあったら大変な事になります。

どういう事かと言うと、まず1つ目。
ネタがすべって客席が静まり返った時、
「おいおい、ここ笑うトコだよ」
とか、
「少しは笑ってくれよ!一生懸命やってるんだよ!」
等と言う事ですね。
ハズした事で同情を買って笑いに変えたい気持ちは分かりますが、これは良くない。
哀れで不憫になるけど、面白くなる事はない発言です。

そして2は、
ネタがスベる
↓ ↓ ↓
シ~ン・・・
↓ ↓ ↓
さらにかぶせてみる
↓ ↓ ↓
シ~ン・・・
↓ ↓ ↓
あきらめ切れず引っ張る
↓ ↓ ↓
シ~ン・・・
↓ ↓ ↓
『オマエら何で笑わないんだ!』
↓ ↓ ↓
シ~ン・・・
↓ ↓ ↓
『少しは笑ってくれよ~』
↓ ↓ ↓
ドツボにハマる

といった感じです。

こんな時は最初にスベった段階で、せめて2回目にスベった時に、何事もなかったように本題に戻るのが正解です。
ネタがスベる
↓ ↓ ↓
シ~ン・・・
↓ ↓ ↓
不敵に笑う
ってやったら大丈夫です。
試してみて下さい。


当時の未熟な僕はこの2つの禁忌を完全に犯してしまいました。

スベリの無限連鎖、負のスパイラル…

見兼ねたスタッフが戦闘員の影マイクで
『ボス~、そろそろ本題に戻りましょうよ~、子供達、完全に飽きちゃってますよ~』
と助け舟を出しても、すでに引っ込みがつかなくなっている僕は
『うるさい!俺はまだまだしゃべるんだ!!』
と逆ギレするのでした。

そんな感じだったので、本来30分で終わるハズのショーは、静まり返ったまま50分近く続いたのでした…


生まれてゴメンナサイ…(泣)
2009-12-23(Wed)

アクションへの道(26)

悪役ボスの『しゃべり』については前回説明しました。
今回は僕が初めてしゃべりに挑戦するお話し(後編)です。

ちなみに、アトラクションチーム武装『忍者ライブショー さやか見参!』では、悪の忍者イバラキによるおあそび(修行)コーナーがありますが、その原点とも言えるのが今回のお話しです。




いよいよ初しゃべりのリハーサルです。

この時の僕はキャリア9ヶ月。
何も分からないままの挑戦ですが、自分からやりたいと言った事だけにもう後には引けません。


しゃべりショーにおけるしゃべりの比重は、
おあそび本編
いや、ぐらいのもんです。

で、おあそびってのは、リハーサルなんて出来ないんです。
何故なら子供とのやり取りがメインだから。つまりほとんどアドリブだから。

…ってなワケで、この日のリハでもおあそびパートはさておいて、本編メインでやる事に。

ストーリーを知っているのは僕1人。
まだまだペーペーの僕が大先輩方に

『じゃあこの台詞きっかけでステージに出て下さい』

とか

『次は●●と▲▲で40秒立ち回りして下さい』

とか指示しながら進めるワケです。
これだけでもかなり時間を食いましたが、ラス立ち(ラストの立ち回り)で僕が絡むとさらに大変。

まともな怪人すら演った事のない僕が悪のボスとして名だたるヒーロー達と渡り合うのですから、そのぎこちなさはハンパありません。
おまけに当時
『ボス=剣を使う』
みたいな風潮があって僕も剣を持たされました。

ショーで剣なんか持った事ありません。
ってか、剣の練習なんかした事ありません。
逆に、剣殺陣を練習しようとして怒られた事があるぐらいです(理由はチームの名誉の為にも書きません)
なので剣の持ち方や使い方、動きまで、1から教えてもらいながらのリハになってしまいました。

当然時間もかかるし僕はいっぱいいっぱいになるし、もう大変。

さぁて、

初めて書いた台本で、
初めて悪ボスを演り、
初めて剣を使い、
初めてしゃべりをする、

そんな僕は一体どんなショーをするのでしょうか?

乞うご期待!


…いや、ホントは期待されるような結果ではなかったです…
ホントに…
プロフィール

武装代表・内野

Author:武装代表・内野
福岡・久留米を中心に、九州全域で活動している『アトラクションチーム武装』の代表です。

1972年生まれ。
1990年にキャラクターショーの世界に入り現在に至る。

2007年に武装を設立。

武装の活動内容は殺陣教室、殺陣指導、オリジナルキャラクターショー等。

現在は関西コレクションエンターテイメント福岡校さんでのアクションレッスン講師もやらせてもらってます。

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