2010-12-24(Fri)
たけるが刀を振り上げた瞬間、開け放ったままの戸口から青装束の忍びが飛び込んできた。
それを合図に、小屋の隠し戸が一斉に開き、そこからも刺客が飛び出す。
天井から二人、
壁から三人、
床から二人。
上下の敵は刀を手にしているが、残りは少しでも距離を取ろうと槍を構えていた。
しかしたけるの必殺の間合いは刀を槍に変えた程度でどうにかなるものではない。
姿を現したと思った刹那に全て首を落とされていた。
たけるとイバラキを囲むように八つの頭部が転がる。
残された身体はばたばたと倒れ、足下の二体はまた隠し戸の中に落ちていった。
くちなわは顔面を炎に包まれながらも初めて見たたけるの技に驚愕していた。
いや、むしろ恐怖さえ覚えていた。
『た、たける!おまえはっ!』
身を焼かれながらでは言葉にならない。
炎を吸えば肺が焼けるのだ。
『感情を捨てる事は出来ませんでしたが、殺人兵器として育てられましたゆえ…悲しき事です』
『くぅっ!』
イバラキはもがきながらも腰に巻いた鎖分銅を放とうとした。
だが腰に手をかけた瞬間に鎖は切断されていた。
続いてくちなわの刀が突然弾き飛ばされて壁に突き刺さる。
たけるが動いた気配は感じられなかった。
刀の刺さった板壁がぱちぱちと音を立てる。
この小屋にも火が回り始めている。
まだ顔を覆う炎を消そうとしているイバラキの腹部にたけるの鋭い蹴りがねじ込まれる。
イバラキはぐぇっとつぶされたような声を上げて吹っ飛んだ。
倒れた拍子に、顔面の炎は壁際に積まれた藁に引火して勢いを増す。
苦しむイバラキを、たけるは無表情に見つめていた。
イバラキは暴れながら井戸水を汲み置いた桶にぶつかり、それに頭を突っ込んだ。
じゅっという音がして炎が消える。
隙だらけで呼吸を荒げているイバラキにたけるが語りかける。
『くちなわ殿…私は責任を感じている…私の油断が一角衆に付け入る隙を与えてしまった…そしてそれがあなたを追い込む事になってしまった…』
『まだそのような…!俺は…』
桶の水を飛沫かせながら振り向いたイバラキの顔は、原形をとどめぬ程に焼け崩れていた。
しかしたけるはそれを見ても平然としている。
『あなたが私を信用していない事は分かっています。
私はあなたに信じてもらう事が出来なかった。
だから責任を感じているのです』
イバラキは焼けただれた顔を押さえてうずくまりながら毒づいた。
『ふん、今さら…こうなった以上責任の所在などどうでもいいわ。この世には騙す奴と騙される奴がいて俺は後者だった。それだけの話だ』
小屋が燃える。
炎が二人を包む。
『ではこれからどうします』
壁が爆ぜる。
『俺を騙した者、俺を裏切った者を倒す。そしていずれは天下を治める』
炎がイバラキの崩れた顔を紅く染めた。
不規則な明滅がそう見せるのか、イバラキの表情はどこか悲愴に感じられた。
2010-12-23(Thu)
青き屍の山を築きながら山吹たけるが進む。
ただ歩いているようにしか見えぬが、そこに近付いて生きている者はいなかった。
前後左右、空中といえども一定の範囲に入った敵は一瞬で首を刎ねられていた。
これこそが天才と言われた殺人兵器の本領なのだ。
もちろんたけるの望む所ではない。
しかし一旦動き出せば個人の感情など関係ない。
ただやり遂げるのみ。
たけるとて鬼神の一人には違いなかったのだ。
突然、夜空が白く染まった。
まるで上空に白壁が出来たようだ。
そしてその壁は幻龍城を覆った瞬間に瓦解した。
何が起きたのか?
無数の鳥が飛来したのだ。
全ての鳥が紙を咥えていた。
白い紙を咥えた鳥が空を覆ったが故に白壁と錯覚せしめたのである。
そして鳥達は幻龍城の上空で一斉に咥えていた紙を舞い散らせたのだ。
この紙にはたっぷりと油が染み込ませてある。
ひらりひらりと舞い落ちたそれは幻龍城のあちこちに張り付いた。
壁に、屋根に、屍どもにもぴたりと張り付いたのだ。
そしてそれは各所の松明の炎を広がらせた。
幻龍城はあっと言う間に火の海となった。
無数の鳥を操ったのは言わずもがな山吹たけるである。
獣を使えるのは一角衆だけではないのだ。
炎に照らされて屋敷に向かうたけるの表情にはすでに笑みはない。
屋敷の前で足を止めた瞬間、物陰に潜んでいた忍びが飛び出した。
右から二人、左から二人、屋根の上から二人、
六人が同時にたけるに躍りかかる。
しかし全員、地面を蹴った瞬間に首から上を失くして不様に崩れ落ちた。
たけるは関心もなさげに屋敷を眺めていたが、急に方向を変えて歩き始めた。
池の脇を通り、社を突っ切り、小さな小屋に辿り着くと、いきなり戸を開ける。
小さな小屋の中にはくちなわが腰掛けていた。
『よく分かったな。屋敷へは行かなんだか?』
『くちなわ殿ならこちらにいらっしゃると思いました』
『なぜ』
『かすみ殿との想い出を簡単に吹っ切れるくちなわ殿ではありますまい』
そう。
この小屋はくちなわとかすみが長年暮らした場所なのだ。
『聞いた風な事を。ふん、屋敷に仕掛けておいた罠も無駄になったか。』
くちなわは立ち上がった。
『たける、覚えておけ。荊木流のくちなわはもうおらん。俺は幻龍組頭領、幻龍イバラキだ』
くちなわ、いや、イバラキが素早く抜刀したけるに斬りかかった。
たけるも刀を抜き、その刃を顔前で受け止める。
刃と刃がぶつかり火花が散る。
その瞬間、
たけるが胃の腑に溜めていた液体を口から吹き出した。
微かな火花が業火となりイバラキの顔を包んだ。
『ぐああぁぁっ!!』
イバラキは顔を焼かれながら悲鳴を上げてもがく。
たけるが吹き出したのは可燃性の強い液体である。
これは揮発性の為、密封しておかないと効力が薄くなる。
たけるは半日以上かけて特殊な薬品を飲み続けて食道や内臓の内側に薄い膜を作り、この液体の揮発を防いだのだ。
しかし呼吸をしたり喋ったりしても揮発してしまう為、たけるは山吹の里からここまでずっと呼吸を止めていた。
先ほどイバラキと二、三言話すまでは呼吸をしていなかったのである。
無数の下忍達を斬り殺す間も。
調息を極めたたけるならではの芸当であった。
全てはイバラキの不意を突く為。
たけるほどの腕がありながら卑怯とも思える策を弄する。
これこそが忍びなのだ。
目の前で炎に包まれて苦しむイバラキに向かって、たけるは刀を振り上げた。
2010-12-23(Thu)
日が暮れた。
先ほどまで青さの残っていた空は漆黒に染まり、いびつな形の月が煌々と輝いている。
不意に
闇の中に、ぼぅっ、と明かりが灯った。
その光が幻龍城を浮かび上がらせる。
幻龍城のいたる所で松明が点されたのだ。
忍びにとって夜襲は常套である。
つまりこの松明は襲撃への備えであり、臨戦態勢である事を示している。
城門の松明の前には門衛が十名ほどたむろしていた。
城門といっても扉はない。
やはり城と呼べる代物ではないのだ。
青い忍び装束の門衛達は手に手に武器を持って、時折無駄話などしながら周囲を警戒していたが、その内の一人が暗闇に目をやった。
『…誰か来たぞ』
『懲りねぇ奴等だな』
軽口を叩いて身構える。
やがて明かりが、ゆっくりと歩いてくる山吹たけるを照らし出した。
『山吹…たける…?』
忍び達は一瞬驚いて、そして安堵した。
驚いたのは、龍組の次期頭領自らがたった一人で出向いた為だ。
しかも普段の装束ではない。
肩当ての付いた黒い陣羽織。
帯の下には鉄製の腹当て。
脛に巻いた脚半も黒い。
これは、山吹流頭領の戦場での正装であった。
つまりはやはり、たけるは十二組の長、龍組を背負ってこの場に現われたという事だ。
いずれ龍組が来るとは思っていたものの、彼らの予想より遥かに早い。
そこにまず驚いたのだ。
門に近付いたたけるの表情を松明が照らす。
いつものように柔和な笑顔だ。
一見すると、争い事とは無縁に生きてきたようにも思える。
門衛どもが安堵したのはそのせいだ。
彼らは山吹たけるを舐めきっていた。
たけるは人前で技を見せる事がない。
修行すらも見せない。
物腰は柔らかく争いを嫌う。
そんなたけるに対して
『戦の厳しさも知らねぇくせに』
『命のやり取りの怖さも知らねぇ奴が』
『実力もねぇくせに頭領の座が約束されてるなんて、ぼんぼんはいいよなぁ』
などと思っているのだ。
たけるは門衛達の前で立ち止まり一礼した。
顔を上げて、柔らかい笑顔のまま忍び達を見る。
無言ではあるが、くちなわへの目通りを頼んでいるのだ。
青い忍び達は少しうろたえた。
たけるは門衛が反応しないのを見て、会釈しながら門をくぐろうとした。
以前ならば龍組の使いが砦に入る事を止める者などいなかった。
『待てぇ』
門衛達が手にしている武器をたけるの前に突き出した。
『勝手に入られちゃ困るんだよな』
『もう俺達は蛇組じゃねぇ。だから龍組だからって偉そうにはさせないぜ』
『そうよ。俺達は幻龍組よ』
一人が左胸の紋章を見せる。
いまだ龍になりきれぬ半分の龍の顔、
すなわち幻龍が刻まれていた。
そんなやり取りをしている間に門の内側にもぞろぞろと青い忍びが集まってきた。
ざっと三十人はいるだろうか。
刀や槍を構えて行く手を塞いでいる。
門衛達はたけるの喉に、胸に、腕に、足に、刃をぐいっと押し当てた。
『黙って帰らなきゃ、お前、死ぬぜ』
そう言い終わらぬ内に、たけるは押し付けられた刃など気にならぬようにすっと前に進んだ。
気がつくと三十人の敵の壁を越えて屋敷に向かって歩いている。
行く手を阻んでいた青い忍び達はしばらく動かなかったが、やがて一斉に全員の首がぽろりと落ちた。
たけるが刀を抜いた瞬間を誰も見る事は出来なかった。
2010-12-22(Wed)
鳥組のはやぶさが命を落とした翌朝―
山の中腹にはいつも以上に白いもやがかかっている。
霧散する気体が、差し始めた日光を乱反射してますます風景を溶かしていく。
その一面の白さの中に、突如として巨大な青黒い影が浮かんだ。
幻龍城―
かつての荊木砦を、くちなわはこう呼んだ。
堀を造り塀を建て、戦を想定して増築された砦は以前よりも威圧感を与えるが、決して城などと呼べる代物ではない。
だがくちなわはあえて呼んだ。
この場所を、己が天下を治める拠点と周囲に知らしめる為である。
ほぼ木造の幻龍城が青黒く見えたのには訳があった。
城の周囲を、屋敷の壁を、屋根を、青装束の忍び達がびっしりと埋め尽くしていたのである。
昨夜、一人を生かして帰したのは宣戦布告だ。
これで間違いなく戦が始まる。
まずはこの里の忍者どもを殲滅してやる。
古のしきたりに縛られ諾々と生きているだけのつまらぬ連中を。
十二組という制度が本当に正しいのか、本当に役に立っているのか自分には分からない。
ただ争いを避けて妥協点を見つける為だけが目的にも思える。
十二組の頂点たる龍組が決まれば皆がその命に従い、各々の意思など飲み込んでしまう。
つまらぬ連中。
やはりそう思う。
だが俺は違う。
何が正しいか、何をやるべきか、それは俺の中にあるものだ。
だから俺は俺の意思のままに生きる。
俺が正しいと思う世の中を作る。
地位や肩書き、制度に縛られる事のない世界。
そんなものがあるから父は陽の目を見なかった。
母は理性を失った。
愛などという偽りのない世界。
妻はそれを利用した。
そのまやかしのせいで自分は愛する者を殺す事となった…
そして山吹たける…
奴は笑顔で愛を語りながら卑劣な罠を仕掛けてきた…
俺は俺の天下を築く。
そしてお前達が間違っていた事を思い知らせてやる。
さぁいつでも来い、
薄汚い忍者ども。
朝の修行を終えたさやかが山吹の屋敷に戻ると、すでにたけるの姿はなかった。
ただ、文机にたくさんの折り紙が置かれているばかりである。
しばらく待ったが帰る気配もないので、さやかも紙を折り始めた。
たけるの折り紙を手本にしながら鶴を作った。
たけるが帰ってきたら驚かせようと、時間をかけて、丁寧に折った。
『えっ!これさやかが折ったのか!?』
兄の驚く顔を想像する。
『すごいなぁ、上手になったじゃないか!さやか!』
褒めてくれる兄の笑顔を想像する。
さやかは、ふふっ、と笑いながら鶴を折った。
羽根を広げ息を軽く吹き込むと…
美しい鶴が完成した。
たけるに負けない出来である。
さやかは、鶴を眺めながら兄の帰りを待った。
たけるの反応を想像しながら眩しいほどの笑顔で待ち続けた。
たけるがそれを見る事は、もう出来ないとも知らずに…
2010-12-22(Wed)
『くちなわが荊木砦に戻ってきた』
その情報は山吹流を中心とする十二組の里に瞬く間に伝わった。
くちなわに会って事の真偽を質すべく何人もの使者が立ったが、砦は堅牢な柵に囲まれ、その中に立ち入る事さえままならなかった。
事態は何ら進展せず、その間に荊木の砦は要塞の如き体を成すばかりで、
『くちなわが面会に応じない以上、武力行使に訴えるしかあるまい』
という意見が出るのも無理からぬ事であった。
緊急会合の結果、鳥組と虎組の若頭が荊木砦に向かう事になった。
鳥組は交渉を専とする組であり、虎組は斬り込みを任とする組織である。
武力行使を辞さない意思をチラつかせながら強引に面会に応じさせようという腹である。
この策に、山吹たけるだけが危惧を抱いていた。
今のくちなわは以前とは違う。
荊木でみずちの下にいた頃のくちなわと思ってかかると足元をすくわれる。
あの真っ二つにされた女神像は、くちなわがこれまでの自分を捨てたという意思表明に思えて仕方なかった。
たけるは使者に選ばれた虎組の若頭、雷牙と鳥組のはやぶさにそれを伝えたかったが、その暇もなく二人は出発してしまった。
そしてたけるの危惧は的中した。
夜になって瀕死の雷牙がはやぶさを背負って戻ってきたのだ。
すでにはやぶさは息絶えている。
腕に覚えのある雷牙ではあるが、やはり以前のくちなわを知っているが故の油断があったのだろう。
更には不意を突かれて先にはやぶさがやられた。
仲間をかばいながら多勢を相手にしては流石の雷牙とて無事では済まなかったらしい。
這うように戻ってきた雷牙は背からはやぶさの屍を降ろすと、
『たける…くちなわ殿…ありゃもう…鬼だぜ…』
と言って気を失った。
屋敷に戻ったたけるは、一人部屋にこもって紙を折った。
簡単なものから難しいものまで、知り得る限りの折り紙を作った。
これからさやかがお手本に出来るようにと丁寧に、綺麗に。
たけるはさやかの笑顔を思い浮かべる。
さやかの無邪気さ、天真爛漫さ、それは自分とは縁遠いものであった。
自分は山吹の跡継ぎとして、幼い頃から感情を殺すよう教育されてきたのだ。
それに必死で抗っていただけなのだ。
しょせん俺など、感情を殺した兵器にすぎん。
心の中で毒づいてみる。
これからの世に必要なのは、さやか、お前だ。
全ての紙を折り終わったたけるは立ち上がって
『さやか、後を頼むぞ』
とつぶやいて目を閉じた。
そして
ゆっくりと開いたその眼に感情はなかった。