2010-12-09(Thu)
山吹たけると妹、さやかは久方ぶりに山を降りた。
『これから所用で街に行くけどさやかも来るか?』
たけるがそう訊いてきたのは、朝の修行を終えたさやかが屋敷に戻ってすぐであった。
大好きな兄の誘いだ。
さやかに断る理由はない。
『行く行く~っ!わ~い♪お兄ちゃんとお出かけだぁっ♪』
こうして二人は街に向かった。
忍びとして走ればあっという間の距離だが、人目のある場所ではそうもいかぬし今回は特に急ぎでもなかったのでたけるはのんびりと歩いている。
隣りを歩くさやかは終始にこやかだ。
たけると歩くのがよっぽど嬉しいのだろう。
左右で結んだ髪を揺らして、楽しげにおしゃべりしながら歩いている。
こうして見ていると、この子が忍びである事を忘れそうだ、とたけるは思う。
普段の忍び装束ではないのも理由の一つかもしれない。
さやかは浴衣とも甚平とも言えぬような着物である。
動きにくいのが嫌いなさやかはしっかりした着物を好まない。
生地は薄く、袖と裾は短く、それがさやかのこだわりであった。
色はやはり桜色で、所々に澄んだ空の色が入って、その色合いがどうにか女の子らしさを保っている。
大小に彩られた山吹の文様も華やかさに一役買っていた。
その着物の下には、身体にぴたりと張り付く黒い襦袢(?)が見える。
いかに幼いとはいえ女の子が腕や脚を晒すのはどうかと考えたたけるが作ったものだ。
若干窮屈かもしれないが、伸縮性に優れているので動きの邪魔にはならない。
さやかも本来なら拒みそうなものだが、
『たけるが自分の為に作ってくれた』
という事が嬉しくて、嫌がらずに着用している。
昼を過ぎて街に着いた。
思わずさやかが
『わぁっ』
と声をあげた。
街は祭りの最中だったのだ。
行き交う人、人、人、
歓声、怒号、楽しげな騒々しさ、
路端に並ぶ出店、
祭りを目にした事のないさやかにとっては初めて目にするものばかりであった。
『お兄ちゃんお兄ちゃん!なに!?これ!!なにがあってるの!?』
『これはな、お祭りといって、おめでたい事をみんなでお祝いしてるんだよ』
『へぇ~っ!おまつりかぁ!なんだか楽しい!』
内容は分からずとも楽しげな雰囲気は伝わるらしい。
『あ…でも、お兄ちゃんのご用で来たんだよね。おまつりにご用があったの?』
それを聞いて、たけるは酷く真剣な顔をした。
普段見ぬ兄の顔に、さやかが少々怖じ気づく。
たけるは真顔のまま片膝をつき、さやかの目線に並んだ。
『実はな、俺はさやかに言わなきゃならない事がある』
『え…』
深刻な語り口にさやかの表情も曇る。
『実はな…俺がここに来た用事というのは…』
たけるがさやかの目をまっすぐに見る。
さやかは不安で目を逸らしたい衝動に駆られるが、それでもしっかりと兄を見返す。
『本当は…』
と、突然たけるの顔がくしゃくしゃの笑顔になった。
『本当は用事なんてな~~んにもないのさ!』
あまりの豹変ぶりに流石のさやかも呆気に取られた。
一拍置いてから驚く。
『え~~~っ!?』
『あはははは!その顔が見たかったんだ。
本当は用事なんて何もなくて、さやかとお祭りで遊ぼうと思って来ただけなんだ!』
さやかはしばらくぽか~んとしていたが、段々と怒りや悔しさが込み上げてきたらしく、眉間にしわを寄せ涙を浮かべた。
『お兄ちゃんひどい!わたしの事だました!』
『ごめんごめん!さやかをびっくりさせたかったんだよ!』
『やだ!ぜ~ったい許さない!』
さやかに追われてたけるが笑顔で逃げる。
たけるはさやかに、世の中の楽しい事をたくさん知ってほしかった。
くちなわとかすみの事件で里にはどんよりとした空気が流れている。
山吹の頭領、武双が言うように一角衆が関わってきているなら、今後は何が起こるか分からない。
これからはさやかにもツラい現実が押し寄せるだろう。
さやかの豊かな感情が現実のツラさに押し潰されないように、今の内に現実の楽しさを教えておきたかったのだ。
2010-12-08(Wed)
くちなわが勢い良く戸を開けると、かがちがビクッとして手に持っていた巻き物を何本か落とした。
『く…ちなわ…』
『驚かせて申し訳ありませんな母上。しかしもうお身体の具合いも良い様子。安心いたしましたぞ。
何やら調べ物でございますか?』
二人がいるのは屋敷の奥にある書庫である。
ここにあるのはほとんどが荊木の薬学医術に関する巻き物だ。
『どれ、私も手伝いましょう』
『い、いや』
『その辺りの巻き物は毒物に関する物ですな』
『…』
『母上も水臭い。調べずとも私に訊いて下されば、全て頭に入っておりますのに…毒薬も…解毒薬も』
かがちは手にしていた巻き物をいそいそと棚に戻すと、落とした巻き物も拾った。
『別に何を調べてたワケでもないさ。ちょっと整理してただけだよ』
『うか殿は死にましたぞ』
唐突なくちなわの言葉に、かがちは一瞬不思議そうな顔をした。
『いや、正確には、うか殿に成り済ました一角衆の間者は成敗いたしました、と言うべきか』
不思議そうな顔のまま、かがちの唇がわなわなと震える。
『くちなわっ!おまえっ!』
言うが早いか瞬時に抜いた懐刀をくちなわの胸に突き出している。
老女とは思えぬ敏捷さ。
やはりかつては名うてのくのいちだったのだろう。
しかし―
かがちの右手が勢い良く撥ね上げられ、かがちは後ろの壁に背中から叩きつけられた。
吹っ飛んだ懐刀が天井に刺さる。
かがちは右手を上げたまま壁に張り付いていた。
くちなわの放ったくないが、かがちの掌を貫き、壁に串刺しにしていたのだ。
張り付けになったままかがちが絶叫する。
『くちなわぁっ!おまえはぁっ!』
くちなわはその雄叫びが聞こえぬかのように平然と語る。
『いけませぬなぁ母上。いかにかつて手練れだったとはいえ寄る年波には勝てますまい。ご自愛を』
『おまえは息子をっ!うかをっ!!』
『あのうか殿は偽者。一角衆の間者であったと申し上げたはず』
『そんなはずあるもんか!あれはうかに違いないよ!自分の息子を分からない母親なんていないよ!!』
『弱りましたな…』
この狂乱ぶりは毒のせいか、それとも母心とはこういうものなのか…
『おまえは!頭領の座を奪われたくないばかりにうかを殺したんだね!』
『それは違いますぞ。あれが本物なら…ミズチ様の血を継いだうか殿ならば、頭領を任せる事もやぶさかではなかった…』
それはくちなわの本心であった。
だがその心は今のかがちには通じない。
『嘘をつくんじゃないよ!…荊木の頭領に相応しいのはうかの方だったのに!それをっ!!』
かがちは右手を貫いているくないを左で抜こうとした。
途端、左手も撥ね上がり、右と同じく壁に串刺しとなった。
くちなわは怒っているのか悲しんでいるのか、はたまた呆れているのか分からぬような低い声でつぶやく。
『先ほどから、頭領の座にこだわりますなぁ…』
そのまま刀をすらりと抜く。
『以前、母上に言われた言葉が身に沁みますぞ』
刀をぶらりと下げ、うつむいたまま独り言のように語り続ける。
『肩書きや地位にしがみついてはいけない。そう言われましたな』
ついとかがちに近付く。
かがちの顔が恐怖に歪んだ。
『…執着は心を汚して身を滅ぼす、そうも申されましたな』
上目遣いにかがちを睨んだくちなわの目はまるで、亡者を責め立てる地獄の鬼のような凶暴さをはらんでいた。
それを見て、
『この男を敵に回すべきではなかった』
と考える暇もなく、かがちの胴体は両手同様に串刺しにされていた。
かがちはもう動かない。
くちなわは、
顔を上げず、振り向かず、
黙って書庫を出た。
振り向けるはずがない。
己が壁に貼り付けたのは、自分を数十年育ててくれた母親なのだから。
2010-12-08(Wed)
くちなわの振り下ろす刀を受けた偽者のうかはすかさず口から毒針を吹いた。
わずかな距離から放たれた攻撃をくちなわが身体を左にねじってよける。
その隙にうかは己の刀を滑らせくちなわの喉を薙いだ。
と同時に左脚でくちなわの大腿部の裏側辺りを蹴った。
至近から繰り出される前後の攻撃など普通なら躱せまい。
だがくちなわは上半身を大きく反らし、そして両脚を前方に振り上げ宙に跳ぶ事でそれをよけた。
その反動を利用して右脚でうかの頭部めがけて蹴る。
うかはとっさに右腕でそれを受ける。
くちなわは止められた瞬間に空宙で身体を左にひねった。
同時に右脚でうかの右腕を固定し、左脚のかかとをうかの頭めがけて、ぶんっと振った。
うかは身を低くしてそれを躱す。
くちなわは回転してから屋根に着地した。
瓦に足が触れた瞬間うかの刀が身体を払った。
だがくちなわは着地の反動を使って、更に回転しながら屋根から跳ぶ。
地上に着くまでのわずかな間に屋根からおびただしい手裏剣が飛んだ。
くちなわは回転しながら全てを刀ではじき返し着地する。
頭上には刀を大きく振りかぶったうかが迫っていた。
それに向かってくちなわが刀を斬り上げようとした時、うかの右足の爪先から6~7寸ほどの刃が飛び出した。
振り上げた刀は陽動で、この足技を狙っていたのだ。
目の前のくちなわに向かって、落下の勢いを加えた必殺の蹴りを繰り出すうか。
くちなわは大きく右に向かって飛び退き、そのまま地面を転がった。
そして立ち上がり様にそのまま右へ走る。うかも追う。
二人は同時に林の中に入った。
木々が立ち並び薄暗く、足元には倒木だの切り株だの蔦が絡まったような植物だの色々な物があったが、彼らほどの忍びにはその程度何の障害にもならない。
ものすごい速さで木々の間を走り抜ける。
木々の隙間を走っていると、刹那とはいえ敵が視界から木々の向こうに消える事がある。
だが、消えた、と思った瞬間には全く別の場所から斬りかかってきたりするのが忍者だ。
くちなわもうかも、まさに神出鬼没であった。
この戦い、並の忍びが見たならば、あたかもお互いが瞬間移動しながら戦っているように思えるだろう。
ましてや忍びでない者が見たならば二人の姿は見えないのではないだろうか。
『くちなわ、この林の事も俺は知ってる。
おまえに地の利はないぞ』
『それはどうかな』
くちなわの声が聞こえた瞬間、うかの動きがほんのわずか止まった。
それは高速移動の中の、ほんの痙攣的なよどみであったが、うかが
『しまった』
と思う間もなく、うかの胸にはくちなわの刃が深々と突き刺さっていた。
うかは言葉を発する事も出来ずに、目の前で自分に刀を突き刺したままニッと笑うくちなわを見た。
『ちょうどこの辺りの地中には水気を通しにくい岩盤があってな。
それに遮られた水がここにたまってよどむのだ。
つまりここは、荊木の砦の中で最も土が柔らかい場所。
気をつけねば上忍といえど足を取られますぞ』
うかは恨めしげに口を動かしたが、もう言葉が出ない。
『忍びたる者、情報に頼っておるだけではいけませぬなぁ。
拙者も心に刻まねば…
はっはっはっは!!』
くちなわは笑いながら、うかの胸に突き刺さった刃をぐるんと回転させた。
うかを名乗った敵はもう動かなかった。
2010-12-07(Tue)
くちなわの笑い声が収まると、かがちは体調の悪さを理由にふらふらと奥へ入っていった。
若干嘲りの笑みをうかべてくちなわはそれを見送る。
そして立ち上がりながら
『うか殿、今日は珍しく天気も良い。外に出てみますか』
と爽やかに言う。
うかも
『良いですな』
と立ち上がった。
荊木の砦のはずれに、今ではもう使っていない屋敷がある。
ここには昔、鉄を扱う職人がいて、手裏剣などを作っていた。
うろこと呼ばれる下忍達はここに集まって手裏剣の投げ方を教わったりしたのである。
陽射しを浴びながらくちなわとうかが歩いてくる。
うかがつぶやく。
『懐かしい…もう職人は誰も残ってはおらんのだな』
『私が幼少の頃に別の場所に移りました。荊木の職人ではなく、十二組全体の職人になりましてな。まぁちょっとした出世と言えましょう』
『おや、その辺りに大きな楓の木があったと思いましたが』
『とうに枯れてしまいましたわ。なにぶん我々もあの木を的に手裏剣の練習をして、かなり痛め付けてしまいましたからな』
二人は笑う。
その雰囲気のまま―
くちなわはうかに軽く語りかける。
『楓の事まで知っているとは…一角衆の情報網は一体どうなっておるものか』
うかもすまして答える。
『造作もない。
我ら一角衆、間者の育成においては他流派の追随を許さぬ。
かつて本物のうか殿と敵地に潜入した牛組の忍び、一角の者にはすぐに正体を見抜かれておった』
『やはり本物のうか殿は…』
『手を下したのは俺ではないぞ。俺もまだ幼かったからな』
『母上に毒を盛らせたのは貴様か?』
偽者のうかは笑った。
『それは違う。あれはあのばばぁが勝手にやった事よ』
『おぬし達の人心を惑わす技はなまなかではないな。
拙者が死なずに計画が狂ったか?』
『別に。あんたが死ねば俺が荊木をいただく。
死ななければばばぁの裏切りで荊木は崩壊。
どっちにしても俺には利がある。』
『拙者がこの事を母上に話したら?』
『信じないだろうな。あのばばぁ、俺を本当の息子だと思ってやがる。
まぁこの砦に毒を撒いたのは正常な判断を鈍らす為ってのもあったんだがな。
かすみは良くやってくれたよ。』
くちなわはかすみという名前に少し反応した。
『すまんすまん、嫌な名前を出しちまったな』
うかを名乗る一角衆の忍びがくちなわに顔を寄せ、にやりと笑った。
瞬間、
くちなわが目に見えぬほどの速さで刀を抜き、そのまま胴を払った。
確実に両断出来る距離であったはずなのに刀が空を斬る。
跳躍したうかはすでに屋敷の屋根に上っていた。
何という常人離れした身体能力であろうか。
だが瓦に着地したと思った時にはくちなわもすでに追い付き刀を振り下ろしている。
いつの間に刀を抜いたのか、うかはそれを受けた。
白刃が火花を散らした。
2010-12-03(Fri)
くちなわは飯を口に運んだ。
咀嚼の間、沈黙が流れる。
ようやく嚥下すると、
『うむ、うまい』
と唸った。
『母上もうか殿も食あたりには気をつけなさりませ。あれはなかなかにやっかいなものでございますぞ。』
かがちは青ざめて、うかは穏やかな顔で聞いている。
『魚貝など、あたれば死に至るものもあるようですからな。…はて…しかし先日は何にあたったものか…』
かがちは目を合わさぬまま固まっている。
うかは微笑んでくちなわを見ている。
くちなわは膳の上辺りをぼんやりと見ている。
突然うかが口を開く。
『心当たりはあるのですか?』
『ふむ…最後に口に入れたのは握り飯と香の物だったか…いや、しかし母上の作った飯が…』
うかが受ける。
『まぁいかに吟味したとて、腹に入るまで分からぬ物もありますからな。
それにしても、ここが医学薬学に優れた蛇組で良かった。
ここなら食あたり程度の薬なら溢れるほどございましょう』
『それがな、うか殿』
くちなわは空になった茶碗を膳に戻すと、おどけたような驚いた顔をした。
『何と、いかな薬を使っても効き目がなかったのだ。たかが食あたりと甘く見て、危うく命を落とすところであったわ。はははははっ!』
くちなわは豪快に笑った。
その振動がかがちの小さな身体を震わせているように見えた。
『荊木の秘術に…』
くちなわが突然声を落とす。
『甕の中に様々な毒蛇を入れて殺し合いをさせ、生き残った一匹をさらに3日その甕に漬け、4日目に生き血を搾り最強の毒となす、というものがありますな』
『幼き頃に聞いた気が…
伝説伝承の類かと』
『しかり。私もそう思っておりました。まぁそれはさておき、その毒を用いれば、飲んだ者の血を侵し五臓六腑を腐らせて死に至らしめるとの事。こたびはまさにその毒を飲んだような苦しみでしたぞ』
うかは片方の眉をしかめた。
『それは難儀でござったな…しかし無事で何より。先ほど、いかな薬も効かなんだ、と申されましたが』
『おぉ、それだ。何と荊木に伝わる薬草薬丸が一切通用せぬのよ。しかしな、1つだけ…』
くちなわはうかに向かってニッと笑う。
その笑みは顔を合わせていないかがちを意識しているようだ。
『実は私、かねてより独自に研究しておる物がありましてな。
先ほどの毒蛇の生き血、それに対する解毒薬を密かに完成させておったのです』
かがちが脂汗を浮かべる。
『伝説伝承の類と一笑せず研究しておいて助かりました。
もしあれが食あたりでなく敵が盛った毒であったなら…まさか解毒薬が完成しているとも知らず、悔しがっておりましょうなぁ!はっはっはっは!』
屋敷に響くその笑い声は、くちなわの敵意を辺りに充満させていった。